月: 2024年10月

自己陶酔するナルシシスト

 自己陶酔しているナルシシストは、自分で自分に耳障りのいい言葉を聞かせます

 頭の中で呟きながら、さも「美しい心の人が言いそうなこと」ばかり自分に聞かせます

 そのために、他人を悪者にします

 自分を被害者にします

 心の中で自分を被害者にし、可哀想な自分に酔いしれます

 なぜ、他人を悪者にするのかと言うと、本音をつぶやくと自分が美しくならないので、自分を飾り立てるために代わりに悪者になる人が必要なのです

 ですから、「きっとあの人は」という「仮」の話ばかりになります

 実際にはわからなくても、「私を美しく見せるためにはそうするしかない」ことはわかっています

 本当は薄汚い心の持ち主であっても、強欲で卑劣な外道であっても、自分で自分に言い聞かせるのです

 漫画のヒロインのように、美しい場面であるかのように自分で自分に「ヒロインのセリフ」をつぶやき聞かせ、自分に酔いしれるのです

 完全に自作自演の独りよがりなヒロインです

 あまりにも心が薄汚いので、いつもいつもひどい目に遭っていることにしなくてはならないし、誰とも親しくなれません

 そもそも心通うなんてことは、最初からやる気もないのです

 心の中で「私は特別なヒロイン」ということになっていますから、「特別な人」が迎えに来ない限り誰とも心を開いて接する気がありません

 そして、そんな人にまだ出会っていないので、一度も心を開いたことはないのです

 「この人なら」と思う人がいたら、早速心の中のストーリーを外に出して一人で演じ始めます

 心の中で待っていた人が現れたならば、その時こそ「心の中のヒロイン」を形にして存在しようとするのです

 外化、と呼びます

 心の中の世界を現実に形作ろうとするのです

 自己陶酔する人は、本音で出てくる言葉を自分で無視します

 自分の本当の声を聞いてしまったら、ストーリーが台無しです

 美しい話が台無しになるような自分なので、自分の本音は聞かないのです

 しかし、強欲で醜い本音が次々出てきますから、その度に自分の心を無視するため、別の声を作り出して誰かを悪者にして争わなくてはなりません

 必死の形相で他人を責め立て如何にもそれが本当に起きていることかのように一人で演技します

 現実にないものをあるかのように作らなくてはならないのですから、大げさに、大変なことのように、大声を張り上げて「あの人は酷い人だ!」と言いふらして回らなくてはなりません

 他人は関係ないのです

 「私が私に聞かせているストーリー」を守っているだけなのです

 外側の現実、本当に起きていることはどうでもいいのです

 「私が私にいい思いをさせてもらうため」に生きているのです

 たとえば、心の中で友達をバカにする気持ちを持って、友達を軽んじるような言葉を吐いた

 するとそれに反応した友達が、嫌悪感をむき出しにして嫌がった

 そんな時、起きたことは当たり前のことなのですが、それでは「ヒロインが意地悪」であることになってしまうので

 事実はそうなのですが、頭の中でもそのまま起きたことを認識すると「ヒロインが失脚」してしまうので、起きた事実を捻じ曲げて認識するよう解釈を歪めるのです

 「私はなんの悪気もなかったのに…いきなり悪意ある嫌がらせをされてしまった」

 嗚呼、私はなんて不幸なの

 なんにも悪いことを考えていなかったのに、あの友達は私に冷たくした

 私はただ仲良くしたかっただけなのに、ただ素直に悪意もなく思ったことを言っただけなのに

 そのように、ちょっと望ましくないことがあるとすぐに傷つきそうになり、慌てて自分のストーリーを広げて妄想の中に逃げ込んでいくのです

 本来ならば、事実悪意があったのですから

 「ごめん、今のは本当に嫌な言い方だった」

 そんな風に、即座に謝るべきところです

 事実、バカにする気持ちで言ったのですから

 しかし、そこで自分にしらばっくれるのです

 「私は本当に悪意なんてなかった」

 嘘です

 自分に嘘をつくのです

 ナルシシストは自分で自分を見て酔いしれている人です

 自分に良く見せるためにしらばっくれているので、他人には批判されても嫌われても、そんなことはどうでもいいのです

 私を見て「なんて素敵な人なの?」とうっとりしたいのは

 この私だ

 先に書いた通りで、普通の人はその場ですぐ謝って、そして後から自分にがっかりして反省して、自分を戒めるのです

 「調子に乗ってあんなこと言わなきゃよかった、友達に酷いことを言ってしまった。もう仲良くしてもらえないかもしれない。」

 この落ち込み方は、正常です。不安になるのは当然です。
 自分がしたことを思えば、「あいつ感じ悪い」と友達に嫌われてしまっても当然ですから。

 それは普通のことです。自分がまずいことをして、まずい結果になった。

 そして自己嫌悪に苦しんで猛省する。

 人をバカにしたから、嫌がられた。

 悪いことをすれば悪い結果になる。これは道理であって、何もおかしなことではありません。

 望ましくないことが起きたとしても、それが当たり前のことであれば「おかしなこと」ではありません。不幸でもありません。

 「当たり前だよね」

 誰もがそう思える当然の結果を受け入れれば、自己陶酔している人のように他の世界に旅立たなくていいのです。

 そのように反省する行動を沢山して、沢山傷ついて、落ち込んで、二度と同じことをしなくなるのです。
 それが成長というものです。

 自己陶酔している人は違います。

 先ほどの友達のことは終わったのに、まだ妄想世界の続きを生きます。

 「実は〇〇ちゃんにこんなひどいこと言われたの」

 「え!あの子がそんなことを?!何があったの?」

 「わかんないんだけど、私は何も嫌なことしてないのにいきなり〇〇ちゃんが…」

 全部嘘です

 ぜーんぶ嘘です

 先ほどの友達にも嘘をついて謝りもせず被害者ヅラをして

 今ここにいる友達にも親身になって聞いてくれているのに嘘を聞かせて「起きてもいない問題」に取り組ませようとするのです

 こうして、起きてもいない問題を次々起こし、問題を拡大化し、何が原因だったのかもわからない別の問題に取り組むようになるのです

 このように生きる人が、どれだけ時間や労力を無駄にしていると思いますか?

 ずっとこうして生きているのです

 事実を受け入れて生きていたら、全く違う人生になったでしょう

 もっとマシな人間性を備えていたでしょう

 しかし、現実はどうでもいいのです

 「私が私に聞かせているお話」が大事なのです

 先ほどの例で、友達はどちらも自分の敵ではありません

 一人を敵にして、そして次の人が敵対するように仕向ける

 争いを起こしながら、自分は「被害者」として何もしないのです

 健全な精神の人は、友達が酷いことをしたと聞いても、「何か理由があるのだ」と考えます

 それがまともな付き合い方をする人の発想です

 「ちょっと〇〇ちゃんに話を聞いてくるよ、何か理由があると思うし」

 そこで、ナルシシストのヒロインは慌てます

 「そんなことしなくていいから、私はそんなこと頼んでない」

 これは本音です

 つい本性の高圧的な態度が出てしまいました

 余計なことはするなと言っているのです、今ここで私の話を鵜呑みにして、騙されながら生きていればいいんだよ、いいから〇〇ちゃんを酷いやつだと信じて、私を守るために叩きまくってくれればいいんだよ、あいつを悪者にしなくちゃならないんだから!という本音の片鱗が出たのです

 まともな反応ならば、相手は友達ですから

 「悪いけどお願いできる?私も何か悪いことをしたのか気になるし、余計なことを言ってしまったならちゃんと謝りたいから」

 これが、本当に悪気がなかった人の反応です

 そして、先の高圧的な態度に対してまともな友達の反応はこうです

 「なんかおかしい、あなた嘘ついてない?なんなのその態度、友達に対して酷いんじゃない?」

 もしこんな反応をしたら、そこでもまたヒロインは逃げます

 ここで心理的にパニックになれば、ヒステリーを起こして喚き散らします

 必殺技なのです

 喚き散らして相手を罵倒する、大変な目に遭っているかのように大げさに演技をする

 これが、「私の見ている私だけの世界」を守るための、防衛的攻撃の必殺技です

 他人はわかりませんが、その人の中には「それが正しいことになる世界」が作られているのです

 私が私を見てうっとりしたい

 そのために現実を崩壊させながら進んで行く、独りよがりなナルシシストです

恋人に親を求める人、一人前の恋愛ができない人

 恋人に親を求める人は非常に多い

 僕もそのような人に度々出会っているが、彼女たちは一様に父親を求める

 普通の恋愛にはならない

 恋愛がしたいのではないからだ

 「恋愛したい」と言う

 だからしたいわけではない

 本当に恋愛している人は、既にしているから言わない

 既に異性として恋愛感情があったら、そんなことを平気で口に出して言わない

 意中の人に告白する時は、緊張するものだ

 どうやって告白しようか、考えて考えて悩むものだ

 だが彼女たちは本当に父親を求めているから、何かおかしな付き合い方をしてくることに対してこちらが指摘するとこう言う

 「付き合いたいと思ってたから」

 ご機嫌取りだ

 まずい事態になった時だけ、そのように「好意がある」と言う

 既に、本当の娘になっているのだ

 僕を父親に見立てて、かつてやりたかった親子ごっこをしているだけなのだ

 「親なら恋愛でするような付き合いはしない」と言うと

 「やっぱり恋人がいい」と言う

 この、コロコロ変わる答えが「子どもの証拠」なのだ

 それでも「しょうがないなー」と許してくれて、毎回「じゃあいいよ」とやりたいごっこ遊びに次々付き合ってくれる

 そして相手は自分を恋人のように扱ってくれる

 これは、父親との恋愛をしたい幼い子供のものだ

 お父さんのお嫁さんになりたい、お父さんに守ってもらいたい時期のものだ

 念のため言っておくが、僕には娘がいる

 だからこそ、「うちの娘もこんな顔してこんなことを言っていた時期があったな」と思い出す

 娘はもう二十歳を過ぎているので、今はそんなことはしない

 僕と同年代くらいの女子でも、僕の娘が小学生の頃と同じような状態の人は沢山いる

 彼女たちは確かに親の愛に飢えていた

 してやれることは、本当の愛を注いであげることだ

 もし、本当にこの子が自分の娘であるならば、と考え、父親として愛ある対応をするのだ

 つまり、「男に依存して生きていくような女」であってはこの先不幸になるから、自立して生きていけるよう促してやるしかない

 父親になってほしがるということは、いずれ僕から自立していくということだ

 娘は父親から心理的に自立していくものだ

 それが「本物の父親」相手ではできないから、他人の僕のところで「育ててもらおう」としているのだ

 いい年になっても甘えていてはいけない

 自分のことはきちんと自分で考え、先のことは計画し、自分の意思で生きねばならない

 親がいつまでも生きているわけではないのだから、恋愛関係になる相手と親子みたいな関係を作れば、相手に依存して自分で選ぶ自由もない人生になる

 本物の父親がきちんと教育していない

 精神面を鍛えていないし、娘の未来のことを考えていない

 だから「父親代理」を求められれば、親のように可愛がり教育し、独り立ちさせなくてはならない

 とはいえ、他人の娘なので自分の娘のようにはしてやれない

 可能な範囲は限られるし、相手には本物の父親もいるから、本当に困った時に助けるべきは本物の父親だ

 甘やかしてもらえるのは三歳まで、言い訳をしていいのは小学生になる前まで

 でも、だって、後になってグズグズ言うことがあってはならない

 やり直しさせてもらえるのは幼児の頃までだ

 その後は、「終わったらおしまい」ということを体験させて覚えさせなくてはならない

 何度でもやり直させてもらえると思えば、責任感が生まれない

 一度一度をよく考えて、責任を持って行動できるように、自分の意思で考えて決断できるように、教育しなくてはならない

 大人になってから娘が精神的に幼稚なままならば、もう大人なので本当に必要なことは教育くらいしかない

 父親が構ってくれなかったという娘が多い

 だから構ってあげる

 構って遊んであげて、しかしいつまでも遊んではいられないということも教えなくてはならない

 一人の時間はきちんと自分のために使い、何をするにしても自分のためになることを選ぶよう、適当に生きて人生を無駄にしないよう、自分自身も親として精進する姿勢を見せ続けなくてはならない

 大人になれば、難しい問題に直面する

 いつまでも誰かに教えてもらってなんとかできるわけではない

 それでは自分の人生を自分で決められない

 これから来るべきことはある程度予測して準備するよう、先のことを考えさせなくてはならない

 そのために学ばなくてはならない知識も沢山ある

 いつまでも子供のままでは、生きていけなくなる

 本当の親の愛とは、子供の自立を望むものだ

 自分がいなくなっても一人で生きていけるように、強く育てることだ

 その後どうなったかは知らないが、「お父さんに優しくしてもらいたかった」という理由で父親を求められた時は、できる限り娘として育てるようにしている

 少なくとも、最初から女ではないから恋愛対象にはならない

 恋愛風なことがしたいだけなのだ

 心理的に自立していないのだから、友達も当然のことながら、一人で恋愛もできない

 相手に自分の都合を聞いてもらって、ハードルを下げてもらって、今のままの自分でも憧れのものが体験できるようにお世話をするような形で恋愛ごっこをしなくてはならない

 次に出会う誰かとは真剣にお付き合いして、幸せになれるよう心から望む

 それが父親がすべきことだ

 いずれは他人の男と恋愛をして、結婚することになるかもしれない

 次に出会う人とは「一人前の女」として、自分の責任で、一人で考えて一人で決断して、自分なりの恋愛ができるように育てる

 その前の「練習」をするのが父親だ

 父親で慣れておくのだ

 残念ながら母親代わりはいないので、僕の恋愛の話を聞かせたりして「本当に良い関係」というものを可能な範囲で教える

 「父親とは恋人同士になれない」と諦めなくてはならない

 誰もが幼い頃に持っている、異性の親への恋愛的感情がある

 その恋愛を終わりにしてから、他人の元に行くのだ

 最初から恋愛の形などないし、そんな関係は作れない

 今のままではまともな大人同士の自立した恋愛ができない

 だから次こそは、うまくいくよう僕が教育していくしかないのだ

 親は諦めて進むしかない

 他人に親代わりを求めても、親代わりをやってもらっても

 とにかく最後には「親は諦めて自分の力で進む」しかないのだ

 何かあればふてくされてだんまりを決め込んで、口をとがらせて文句を言う

 そんなことが許されるのは親相手だからだ

 他人はそんな態度は許さない

 そんな態度でいたら、何も言われなくても心の中で縁を切られる

 文句を言って答えてもらえるのは、子供のうちだけ、親相手にだけ

 誰もが乗り越えなくてはならない恋愛のハードルを、自分だけ乗り越えずに済むように「親みたいにしてくれる人」を求める

 それが間違っている

 決して幸せにはならない

 いずれは本物の恋人同士、そして夫婦になれることを願い「親の愛」を与えておくしかないのだ

 少なくとも、自分はとっても愛される、可愛がられる、と感じられる体験をさせて、かつて親から得られなかったものを代理で埋めていくしかないのだ

 親にしてもらうより、他人にしてもらう方が難易度は高い

 他人にしてもらえたのだから、今後は自信を持って自分なりに進んでいけるよう願っている

 他人に親代わりを求める人は、なぜか「幼児の頃のような甘やかしの関係」が待っていると勘違いしている

 いい年をした息子や娘に、そんな扱いをする親がいたら問題だ

 何より、父親には母親がいるのだから、本当に恋愛相手になるポジションはない

 僕はそんな時いつも、かつての恋人を思い出しながら、心の中で声を聞いて「娘」を育てることにしている

 彼女と出会っていなかったら、僕もここまでできるようにはならなかったかもしれない

 なにせ、僕だって両親がおらず、親の愛など知らないのだから

 他人様の力を借りながら、なんとか進んできた

 そして人様の娘をこれ以上育てて生きていく余裕はないから今後はもう無理だ

 今も消耗して随分な窮地に陥っているが、それも娘を育てていたのだから致し方ないと思って、この窮地にこそ

 なんとかして前に進む方法

 を編み出し、決して、もう二度と諦めずに進んでいく

 かつて妄想恋愛ストーカー女子に入れ込まれた時は、本当に信じられない体験をして許せない気持ちしかなかった

 喧嘩になるならまだしも、「怒られる」と思うと相手は毎度毎度都合の良さそうなことをスラスラと言う

 嘘なのだ

 人の話も聞いていないし、約束も守らない

 こんな女がいるなんて、と本当に信じられなかった

 悪魔に魂を乗っ取られている、とさえ思って、教会に連れて行ったくらいだ

 僕は同じ轍を踏んでほしくないので、皆さんにもその話をする

 人の失敗を知り、そんなことがあるのだと学んで欲しいからだ

 皆さんがもし似たような目に遭った時に、不用意に疑うことはないが、「そういえばそんなこともあると聞いたから」くらいの気持ちが生まれてくれれば、多少は慎重になれるだろう

 取り越し苦労ならば構わないが、深みにハマると大変なことになる

 そうならないで欲しい、と願っている

 だが、以前からその話を書いていると、似たような人が今のままの自分を認めさせに来ることがある

 自分に文句を言われた、否定された、と勘違いして、僕に受け入れさせようとしてくるのだ

 正に妄想恋愛ストーカー女子にそっくり、という人格の人が、「私を肯定させよう」とするのだ

 僕の意図しているところが全くわかっていないので、「それでもいいと思う!」とか「それは自分が悪いんだと思う!」とか、そんな攻撃的な投書も度々もらってきた

 本当に猛攻撃をしてくる人は、一日に長文で十通程度も投書を送ってきた

 そのくらい、誰か知らない人が言っていることが「私のこと」に聞こえているのだ

 僕はかつての記憶を思い出しながら書いているのだが、知らない人が「私のことを思い出しながら言っている!」と勘違いするのだ

 自分もかぶるところがあっても、僕が知りもしない人のことを思い出すわけがない

 だが、他人と自分の境界線が無い人はそのくらい重症なのだ

 そのような人がいて、世に混乱は生まれる

 無駄に生まれる

 僕がもっと時間があって、否、僕が三人いたのならば、もっともっと娘を育てていてもいいのだが、生憎そうはいかない

 とにかくないのは「時間」だ

 お金持ちの娘はそこをなんとか金で解決してくる

 それはそれで、まだマシな部分だ

 金は時間を買うためにある

 時間を無駄遣いさせるならば、無駄になった時間をカットできるくらいの代償は必要だ

 だが、現実的に考えれば金で解決はできない

 高価なものをもらっても、それでは解決できない

 どうしても、毎日毎日進まねばならない「計画」があるからだ

 一人でも、本当に自立してくれればいいが、と「娘たち」の幸せを願い思う

 物理的にではなく、心理的に自立しなくては、人生が始まらない

 僕の愛した恋人も実家ぐらしの会社員だったが、心理的には自立していた

 物理的な依存は誰もがしなくては生きていけないものだ

 心理的にも人を頼ること、なんらかの形で依存することは少なからずみなあるものだ

 ただ、持ちつ持たれつで行ければ問題ないのに、「自分の問題を全部解決してもらおう」とする人がいるから、みんなで共倒れしなくてはならないのだ

 かつて妄想恋愛ストーカー女子に出会った時に思った

 依存して生きていくならば、母体を殺してはならない

 依存する相手の邪魔になることは望まず、大人しくしているしかない

 元々他人は自分なしで生きてきたのだから、「この人なら」と思えるほどしっかり目的を持って生きている人がいたら猶更邪魔してはいけない

 何をしても大丈夫な人がいるわけがない

 時間を自分のために使わせるということは、相手がすべきことができなくなっているということなのだから、それに見合うプラスを自分が生み出さなくてはならない

 「私は嬉しい」は、別に相手のためになることではない

 それが幼児なのだ

 自分が喜んでいることを、みんなが喜ぶ、と信じている

 「私は好きだよ?」「私は嬉しいよ?」

 別れを切り出すとそんなことを言ってくる

 そして、逆に怒りをぶつけてくる

 「私は好きだし不満もないって言ってるのに、一体何が不満なの?!不満ばっかりで我儘じゃないの?!」

 そんなことを言って罵ってくる人もいた

 本当に何人もの娘を育ててきたが、ごっこ遊びの恋愛には楽しい部分もあった

 ただ「私こうしてほしい!」「私はこういうのがいいの!」と言われながら、はいはいと言うことを聞いている恋愛は、大人同士でやっていても「本物の恋愛ではない」と教えなくてはならない

 本物の恋愛をするときは、相手にそんなこと言えない

 相手が何をするかは、自分が決めていいことではない

 本物の時は、何か言いたそうにしているなと気付いて、最初はどうしたのかなと思っているが、そのうちなんとなくわかってきて

 「どうした?」と聞くと、おずおずと答える

 言ってもいいことだろうか、と迷い迷い考えていることがあるのだ

 そのくらい、配慮があり立場のわかる人は、「父親を求める人」とは中身がまるっきり違うから、相手を困らせることを最初から望んでいない

 まあ、大抵は「女ってへんなこと考えるなあー」と思う程度のことなのだが、相手は気になってしょうがないということもあるのだ

 娘たちとも、「できれば一人で恋愛できるようになってから、普通に恋愛できる相手として出会いたかったな」と思うが、それはもう運命だからどうしようもない

 この世に夢のような王子さまはいない

 そして貴様もお姫様ではないぞ、と教えておきたい

 自分がお姫様気分で行動したところで、何も変わっていない

 お姫様気分の「おばちゃん」でしかない

 そして、本当に愛を育めば、相手にとっては何も気取らなくても自分がお姫様になるのだから、意欲的にお姫様ごっこなどしなくてもいいのだ

 バカな娘たちは、自分がお姫様気取りになるから相手に王子様を求める

 気取っただけでは現実は変わらないのに

 いい年になって、まだ女に妄想を抱いているならばそれはそれで男も問題だ

 気取らずに一緒にいられる方が、余程楽だし、それができるようになっているのが自分を受け入れている人だ

 気取って恰好をつけるのは若い頃だけでいい

 ずぼらになるのではなく、自分なりのスタイルを確立し、自分の手入れをきちんとできるくらいでいい

 相手に見せるために気取っていれば、いずれは疲れて相手ごと嫌になるのだから

 僕の時は、理由を聞いても言わずに結論だけ言う彼女に

 「お願い、わかって、何も聞かずにわかって」

 と言われて

 「わかった」

 と即答した

 当然、本当にわかっていたので嘘ではない

 彼女に嘘はつけない

 嘘を見破る人だったから

 そして、言いたくないことは言わせない人だったから

 あの時の、目

 様子、伝えているもの

 それを「感じ取って理解する力」がなくては、そのようなやり取りはできない

 言葉や形に表すと、傷付いたりダメになったりすることがある

 だから「心で通じ合う力」は人と人とのやり取りに必要なのだ

 言葉は時に凶器となる

 人の心を傷つけ、一生治せない傷を負わせる

 だから気をつけなくてはならない

 勿論、言葉にだけ気を付けて、どう考えてもバカにした態度で「いいこと」を言えば、それはそれで相手を傷つけるのだが

 最初から、味方になるべき相手にもっているなど「論外」の感情を持っているならば、関係など始められるわけがないのだ

 「この人なら~してくれそう」

 これを恋心と勘違いしている人がいる

 「~してくれそう」の内容が、恋愛だからだ

 それは恋愛とは呼ばないと知らないまま、大人になった人たち

 勿体ないことをしたものだと思う

 とはいえ、年をとっても関係なく本物を生きた方がいい

 本物はいいものだ

 本当に、本物の体験ほど感動的なものはない