月: 2025年4月

娘が信じられないほどすごい手描きの絵手紙~無料記事~

 素晴らしく素晴らしい、娘が手描きと信じない絵手紙がやってきました。

 なんてことだ

 画家の先生に知り合いが?

 ありがとうございます。

 娘と先ほど「額に入れよう」と話していたところです。

 「こんなものを手描きなんてできるのか!loftで売ってるやつだ!そんなバカな!」

 娘が滅茶苦茶驚いていたので、もうloftに商品化して置いてもいいんじゃないかと思ったくらいです。

 最近の出来事で、一番いいことと言っても過言ではないくらいとっても嬉しいです。

 こんな時「こんな人と結婚したーい」と思う、そんな気持ちが湧いて出たらそのまんま行動する人が世の中にはいるんだなと、ふと思いました。

 くださったのはうちの有料会員の方ですが、平安時代なら夜な夜な歌を詠んで送りつけてくる奴が絶えなさそうですね。

 本当に美しい方で、その証拠にハンコで「美」と押してあります。多分、美しさの証です。見なくてもわかります。

 以前「おっぱいの和歌を詠む」とか言いながら出来上がらないまま会員さんからの投稿でいただいた僕ですが、見習って完成させようかと思いました。

 本当にありがとうございました。

 やはり、僕も手書き世代なので手書きお便りの方がお手紙感を感じますね。

 平成世代はどうなのでしょうか?

 手書きのお手紙は血が通っている「本物感」があるので、やはりいいものですね。

裏話は好きではないが、ある出版社での話~無料記事~

 裏話は陰口のようになるので、僕は好きではない。

 如何に人が見ないところで非道なことが起きていても、知らない人たちが表面上の一部を見て妄想しているならばそれはそれで本人たちの好き好きだ。

 実際に体験していないのに、何を言っても無駄なこと。

 そう思って「夢を壊さないように」黙っているのは、若い頃にメディアの世界に入った時からずっとだ。

 しかし最近、他の人たちが嘘をついてズルいことをしている時も、一人だけ同じことをせずに生きているある勇気ある科学者が、「意を決して言います」とこれまで黙っていたことを断言して述べていた。

 なんて勇気ある人だと思った。

 世の中は恐ろしいところだ。本当のことを知っている人たちが、黙っているからだ。

 アルベルトが言った言葉を思い出すが、僕も「黙っている」方だろう。

 まず最初は、何が起きているのかわからない。理解できない。

 僕の場合は自分の内面の変化や道理に沿っていないという理由で動くから、何かがおかしいと危険は察知できる。

 だが、殆どの人にはそれもできない。できたところでいいのかどうかはわからないが。

 ある出版社が最近話題になっている。

 良くない意味で問題になっている。

 ラジオに出ていた頃、僕の本がそこから出るはずだった。

 その頃も大変だった。色々問題が起きて、ご破算にはなったが原稿は今も僕が持っている。

 僕はもうこれでは生きていけない、と思っていたから、それを機にすぐさま教授の推薦してくるものを断ってやめた。

 ただ、その時の流れでやるはずもなかったことをやらねばならなくなり、今もその流れで苦しんでいる。

 彼の七光りで得たもの、ついてきたものは、恐らく悪しきものばかりだ。

 だから、彼を崇拝する人はいなくなって構わない、と以前述べた。

 それでいいのだ。悪しき因果の流れの中にいると、どうあっても敵を生み出し人から奪う。

 憎しみと嫉妬。それらが特に多く渦巻いているところだった。

あなたもやっていないか「餓鬼の種類」~無料記事~

 餓鬼の種類についてまとめておられた『やすらか庵』を紹介します。

 テレビでも紹介されたそうですが、千葉にある新しい方法で実践する寺院です。

餓鬼道とは

 僕がよく出会う、積み重ねてきた努力を無駄にしていく未来を破壊する餓鬼。

  • 悕望(きもう)餓鬼…貪欲や嫉妬で善人をねたみ、彼らが苦労して手に入れた物を奪い取った者がなる餓鬼。亡き父母のために供養されたものしか食せない。顔はしわだらけで黒く、手足はぼろぼろ、頭髪が顔を覆っている。苦しみながら前世を悔いて泣き、「施すことがなければ報いもない」と叫びながら走り回る。

 前世を悔いて泣き、の通り、親の行いについて嘆いてばかりの人。
 妄想ストーカー女子のみならず、僕の師もこれだなと思いました。
 何度少しずつ積み重ねても、自分の未来のために人の未来を使おうとする人に出会います。

 餓鬼は心の中から色々な種類のものが出てきますが、全く退治しない人は退治せずに生きています。

 業が深くなります。どんどん地獄の深いところに行ってしまいます。
 悪事は働いていいことはないのです。

 本当のところを言うと、親のことで嘆いている人には近寄らない方がいいのです。
 救いを求めている人たちはもれなく「たった今」地獄にいるだけの理由があるのです。
 僕も子供の頃に一緒になって親の不満を言い合う友達とは離れて、本当に楽しい日々を過ごすようになりました。

 本気で脱する人は、「そっちの輪」にはいない方がいいです。

 しかし僕も師の手前そんなことを言えたものではありませんでしたが。

 ちなみに全部精神の話ですから、餓鬼の話もそのまんまの意味ではないです。比喩として想像するとわかりやすいと思います。
 修行を積んでいくほどにその意味が理解できるようになります。

 「これを言っているのか!こういうことか!」

 僕はその瞬間が好きです。

 最近世間を見ていて多いと思う餓鬼はこれです。

  • 食法(じきほう)餓鬼…名声や金儲けのために、間違った説法を行った者がなる餓鬼。飲食の代りに説法を食べて、身体は大きく、体色は黒く、長い爪を持つ。人の入らぬ険しい土地で、悪虫にたかられ、常に泣いている。
  • 無食(むじき)餓鬼…自分の権力を盾に、善人を牢につないで餓死させ、少しも悔いなかった者がなる餓鬼。全身が飢渇の火に包まれて、どんなものも飲食できない。池や川に近づくと一瞬で干上がる、または鬼たちが見張っていて近づけない。
  • 殺身(さつしん)餓鬼…人に媚びへつらって悪事を働いたり、邪法を正法のごとく説いたり、僧の修行を妨害した者がなる餓鬼。熱い鉄を飲まされて大きな苦痛を受け、餓鬼道の業が尽きると地獄道に転生する。

 悪事を働く人は、修行して生きている限り接して近しくなろうとするとすぐにわかります。

 普段から悪事を働かないようにしていると、その人と行動を共にするだけで普段と違うことが起き始めるのです。
 「修行の妨害」が一番困りますね。一緒に精進していけるならば一番いいのですが。

 貪瞋痴。

 貪る心、怒りの心、そして無智の心。

 これは気をつけねばならないことの基本ですが、すぐに怒りをむき出しにして怒鳴る人や人を決めつけてかかる人、悪人を生み出す正義の人など、とにかく近寄らない方がいいのです。

 困ったことに、世俗で生きていればどうあっても悪事を働いて生きねばなりません。

 自分だけ精進していても悪事に巻き込まれていくこともあります。

 そんな時のためにも、普段から善行を積んでいた方がいいのです。

 悪しき流れに乗って苦しくなってきた時は、その問題をなんとかするより善行を積む、人に心からの施しをする。

 そうすることで、心も落ち着き不安も解消していきます。

 悔しいから仕返ししたい!と思うことがあると思いますが、自分自身が普段から善行を心がけて生きている限り、もし大変な目に遭うことがあっても相手は勝手に地獄に落ちていくのでとにかく間違った道を進まないよう、精進の道を行った方がいいのです。

 ホームページの方では今日配信しましたが、実は僕は心理学で説かれていることは実践しておらず、仏の道の行いを重視しています。

 元々そのように教育され、幼い頃から精進するよう生きていましたので、たまたま人に説明しやすいものがあったので勉強してきましたが、自分自身は目が覚めたのもお釈迦様のお陰、ご先祖様のお陰だったので今も先祖代々の教えと仏の道を大切にしています。

 西洋で生まれてきた人間性心理は、根っこのところが日本人の根源とは異なります。

 今見ていても、精神医療系の知識がどんどん増えてきたせいで差別や争いが起きています。

 僕個人は、仏の道ほど安心できるものはないと思っています。

 お寺や宗教のことではなく、ブッダの説いた「仕組み」の方が大切です。

 実践していれば疑うことはありませんが、知識だけ持っていても仕方ないことです。

 それについては人間性心理も同じで、知ったところで元々の人格が変わったわけではありませんから、精進のために使わなければ結局はいじめをしたり何かを奪ったり、自分が名声を得るために使ってしまうのです。

 誰の教えに従うかを考える時、まず真実であること、つまり自分自身も実践してみて確認できることが重要です。

 そして説いている本人が実践して精進していないと、教えの内容を誤解しますから間違ったほうに進んでしまいます。

 世の中に都合のいい楽園もゴールもありません。

 社会的成功と本当の幸福は真反対と言ってもいいくらい違う方向性のものです。

 欲しい欲しいで生きているうちは、もっともっと手に入らないと幸せになれないと思うかもしれませんが、心からの善行を一度でも実践してみれば「幸福とはこれのことか」とわかるでしょう。

 そんなわけで、ホームページの方には「一度でいいから真の善行を」というお話を配信しました。

 僕は幼い頃から慣れ親しんできたから余計なのかもしれませんが、お釈迦様の教えほど心が安心するものはないなとつくづく思っています。

 皆さんは僕をどう見ているかわかりませんが、僕も少しずつ勉強して新しい道を切り開いている最中に呼ばれ、ラジオに出たことで流れが一変してしまいました。

 「こうしなくてはならないのだ!」という師の言葉に一旦は従ったものの、とにかく思い通りにしたい何かがあるのだとわかり、悪しき流れの中にいると気づいたのですぐに離れていきました。

 「一体何をするつもりで少しずつ進んでいたんだっけ」と思い出せないほどなのです。

 十年も前に沢山書いていたメモや発見したことの図を開いて、「まったく違う方に進んでしまった」と自分で驚いたほどです。

 いつもいつも、とにかく「心からみんなの幸せを願っているだろうか」と自分の心に問いかけて行動するようにしています。

 色々なことを編み出しては配信したり教えたりしていますが、とにかく自分自身の行いは心の中が大事です。

 「悪者をやっつける」なんてことは考えずに、辛いこと悲しいことがあっても怒りより慈悲の心を生み出すため、善行を積んだ方が遥かに早く救いの道が開かれます。

 どこまでいってもブッダに敵うものは無しだなと僕は思っています。

 物質的なものしかない世界を生きている人は、社会で起きることと心の中を混同していますが、心の中は心の中、物質的な世界ではとにかく生きていければいいのです。

 生きることは苦。

 最初から楽な人生で始まったわけではないはずです。

 精進する仲間と共に生きられるならば、今生も捨てたものではないと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。