忍耐力の差を感じる ~無料記事~

 有料会員向けの動画では少し既に話したはずなので、書きます。

 忍耐力の差って、すごい違いなんじゃないか、と思うんですよ。

 僕は自分が子供の頃から、他の人たちとは違うと知っています。

 家が違うと知っているので、小学校に入った時には驚きました。

 育ちの違いがどのくらい違うか、驚かなかった皆さんは想像がつかないかもしれません。

 幼稚園に来たのかと思いました。

 狼藉者がいっぱいいて、びっくりしました。

 「仲間は家族しかいない」と自覚し、自分が外から見てわかるような存在にならないと他人は不安になるから攻撃的になるのだと気づきました。

 母子家庭の貧しい家の子。でも頭はいい。

 これで通していけばいいと思い、他人とは深く関わってきませんでした。

 仲良くはなります。仲良くはなるし、友達も沢山できましたが、深くは関わっていきませんでした。

 僕は最初から違う道を行かねばならないとわかっていたからです。

 誰にも言わず、誤解されても気にせず、一人でも手掛かりを探し、仲間を探して生きていかねばと思っていました。

 みんなどうせ通り過ぎるだけで、僕の道とは関係ないところで生きています。

 その道中で知り合い、仲良くしてもらえただけで十分です。

 どんなに求められたところで、僕は最初から普通の家の人ではありません。

 家の外と内の違いがない人たちが殆どなのだと知り、羨ましく思いました。

 今では、良くはないのだとわかっています。子供の頃は自分だけが違うという疎外感を抱えながら生きていました。

 どんなに親しくなった友達も僕がなんのために生きていたのかなど知りません。家のことも知りません。

 そんな風に、黙って耐え忍んで生きていく道を進むことなど、感情任せに行動する人には信じられないのではないかと思うほど、忍耐力には差があるのだなと思ったのです。

 正直、相手都合で勝手に決めつけられて文句を言われることはあっても、自分のことを気遣ってくれる人になどそうは出会いません。

 相手を守るために一定の距離を保っていても、うまくいっていた恋人さえ「浮気を疑う」というどうしようもないことばかりでした。

 本当に生死をかけて生きている道など、あるわけがないと誰もが思っているように見えます。

 「なんでこんな家に生まれたんだ」と子供の頃は嘆きましたが、運命を受け入れて生きています。

 精神的な忍耐力は、僕は強い方だと思います。

 言いがかりをつけられたらすぐに応戦する人が多いし、言いがかりをつけることもやめられない人も多いです。

 しかし、そんな争いに参入していくようでは、うちの当主は務まりません。

 たとえ我々が姿かたちを失ったとしても、ご先祖様の培ってくださった力だけは失わないよう、一族として恥じる人間にならないよう、いつかつての立場になっても構わない人間になろうと決めました。

 争いをけしかけてすぐに刀を抜くのは弱い武士。

 精神の弱い人間はすぐに争う。

 しかし、統治する者はそうであってはならないのです。

 みな安寧に暮らせるようにするためには、統治する者が精神向上しなくてはなりません。

 

似た人に出会い始めて気づいた・ちょっといい話 ~無料記事~

 成長していくためには、自分が面倒を見ることも必要です。

 ある人の話がいい話だなと思ったので紹介します。

 その人は、本人がいつまでも親のこと過去のことにとらわれてグズグズと他人に甘えてしまう人でした。
 しかし、自分より頼りになりそうな人に縋り付いてきた自分が、逆に縋り付かれることがあったのです。

 話を聞いても聞いても、自分のことばかり。
 話しながら泣いたり、結論を出すこともなく愚癡を言い続けたり。

 そんな人にすっかり依存されてしまったのです。

 しかし、その人は「私は変わらなくては」と思って努力していたので、あっさり、ばっさり、厳しくしてくれる人に出会い、同時に依存され面倒を見ていて、気づいたのです。

 私は今までこんな風だったんだ。

 今まではいつまでも縋り付ける人を求めていたものの、「なんで私に」と本人は思うのにやたら頼りにされるようになり結局は自分が「厳しいことを言われた」と感じていたことを言いたくなったのです。
 というか、言ってしまったのです。

 自分中心の人は、周りの人のこと、聞いている相手のことを考えません。

 しかし似たような人に出会い、聞く側になってみると「話に出てくる他の人たち」のことも客観的に考えられたのです。

 「本当の愛情は、甘やかすことじゃない。厳しくしてくれる人の方が自分のことを考えていたんだ。」

 そう実感する体験をしたそうです。

 それは良い体験をした、いい話だ、と僕も思いました。

 外から自分がやってきた、ならば、それなりに努力してきたということです。

 因果は必ず巡ってきますから。

 「結局、気分で動くからダメなんだ」

 そんな話を聞き、よくそこまで気づいたものだと感心しました。

 事実と気分を分けられない。目的に向かって動けない。

 気分で現実を破壊していくのが「心の世界を生きている人」ですが、現実に沿って動いていけば、悪いことなど「起こす」ことはないのです。

 気が済む済まないで感情をぶちまけている人は、自分が知らない状況を知る気がありません。

 気分の場合は「こう思える」「きっとこうに違いない」の妄想ですが、「そうだったんだ」という確実な何かをつかむまで、冷静にいられないのです。

 自分の想像など自分の人格から生まれる妄想でしかありません。

 当然、まるっきり違う人格の人たちは自分が想像もつかないことを考えています。

 結局、想像の中を生きていけば「自分と似たような人」だけが残るということになります。

 世の中には知らないことが沢山あります。

 他人のことなどわかりませんし、知りもしないうちに想像を膨らませる努力をすれば、全員が自分だったらという決めつけしか起きません。

 「まだわからない」

 この時点で動く人は、悪くもないものを悪いものに決めつけ、良くもないものを良く決めつけ、要は自分一人で作った世界を生きていくことになるのです。

 と、思える。

 この時点ではまだわかりません。そんなことは誰でも思いますが、普通は口には出しません。
 現実と感情的妄想の区別がつくからです。

 大抵のことは「思い過ごし」なので、口に出さずただ現実に沿って行けば何も悪いことは起きません。

 やはり、経験は大事だ、と思いました。

 今回の話を聞き、様々な経験が人を成長させていくのだと改めて実感した次第です。