真剣に人生を変えたい人向けの講座
仲間にすべき人と争う現代人 ~被災地等の人に特に読んでほしい~
千葉に来て困っています ~YouTubeより~
周りと違うことで気に病む方
僕は最初から周りに全く馴染めずに生きています
そして千葉に来て困っています
人はこうして生まれ変わる ~有料会員限定~
出戻りに期待した理由・本当に皆さんありがとう ~有料会員限定~
音感がある人に聞いて欲しい話 ~無料記事~
絶対音感がある人は、どんな音も音階に変換されて聞こえるそうです。
救急車が近くに来ても、また遠ざかっていく時も、音の変化も全部音階に変換できる、というより「そう聞こえる」そうです。
実際に音階に変換できる人はこう言いました。
「他の人がどう聞こえるのかわからない。やろうと思ってやっているわけではなくて、勝手にそうなる。」
これはもう本人に身に着いた、感覚機能の能力ですよね。できない人にしてみれば特殊能力ですが、本人はやりたくなくてもそうなるのだから自然なものでしかありません。
この話を聞いて、音階になって聞こえる人に説明したらやっと理解してもらえました。
僕は人の感じているものが、同じように感覚的にわかります。
今目の前で笑って話していても、「この寂しさはなんだろう」などと感じています。
だから「何かあるんだな」とわかるのです。
他の人には「わからない」そうですが、僕は他の人が何をどう感じるのか、なぜわからないのかわかりません。
それで、以前から
「何がわからないのかわからない」
と言っているんだよと説明したら、やっとわかってもらえました。
似たようなものがひとつでもあれば、想像可能になりますよね。
音階に聞こえる、という方は、当然生まれつき勝手にというわけではなく、「幼児期からピアノを習って鍛えている」のでわかるのですが、なんの訓練もなくできるようにはならないと思います。
六歳までに身に着けないと絶対音感は身に着かない、なんてよく言われていますよね。
生まれつきの才能のようなものはあっても、本当に一切その能力に関わる部分を発達させる機会がなければ身に着かないでしょう。
僕はといえば、今になって思えば、でしかありませんが、確かに幼児期から鍛錬を積まされていました。
自分の感情を外に形にして出さないように、うえーん、と泣き続けていても、かまってもらうことを期待している時は頭ごと掴まれて「泣きやめ」と言われ、泣き止むまで何時間でも放置されたものです。
情動で人を動かそうとする、動物のような真似を許さないのです。
「お前は、今それわざと泣いとるな?泣いとればそのうち根負けしてなんとかしてもらえると甘えて、わざと泣いとるな?それをやめろ」
もう、お前は赤ちゃんじゃないんだぞ、と何度言われたことか。
四歳になるとその教育が始まりました。
そんな感じの教育の積み重ねです。多分、幼児期にやらないと身に着かないと思います。
教えることで身に着けて行けるものではありますが、僕がメロディーを聞いても音階に変換されないように、後からでは限界があるでしょう。
僕が受けた教育は、精神鍛錬です。
幼児には優しくしかしない教育が主流で、厳しい教育は世間では虐待と言われかねません。
外から広まってくることはないでしょう。
ただし、親は後で大変な苦労をしなくてはならないと思いますよ。
中身が赤ちゃんのままでは、何を身につけさせても本人が不満を抱えて生きることになりますからね。
厳しさがない優しさは、無責任な甘やかしでしかありません。
後でその責任はツケとなってやってきて、精神的な苦痛を伴い払わなくてはならない事態になるでしょう。
とにかく、そんなわけで僕も他人が何がわからないのかわからないのです。
だからいつも人様のやり取り(自分が関係ない時)を目の前で見ていても、「変なことしてるなあ」と思っています。
感情とやり取りが全く不一致ですからね。
しかし、世の中ではそんな変なやり取りが多く、それでも「形で作った方を本物だということにしていく」という場が多いのです。
わかっていると疲れる話です。自分も演技しないとそこにいられないとわかっていますから。
だから、人より遥かに群れることが苦手なのです。
感じていることを無視して形だけのやり取りを続けることは、僕には難易度が高いからです。
感情を完全に無視して形だけの関係、形だけの人生を送り続ける人たちが
「幸せになれない」「自分が何を思っているのかわからない」
と言い出すのも不思議でなりません。
自分でやっているのだから、不思議ではないのに、と思っています。
とりあえず、今回は「ああこう言えばわかる人もいるんだ」とわかりました。
音感がある皆さんは、なんとなく自分の感覚を思えば、僕の感覚もおわかりいただけたかと思います。
ファーストペンギン ~無料記事~
ファーストペンギン、という呼び名を先日初めて知りました。
ペンギンの群れの中で一番最初に海に飛び込んでゆく勇気あるペンギンのことだそうですが、その習性からビジネスなどでは一番に挑戦するリスクを恐れない人などを指すようですね。
先日その名を知りましたが、ペンギンの生態をドキュメントで観ていた際に実際のファーストペンギンは見たことがありました。
だとしたら、僕もファーストペンギンになる方だろうなと思いましたし、先日神経症が完治した人もそうなのかもしれないと思いました。
うちでは何人かに同じやり方で始めてはきたのですが、なにせ一度に一人にしかできない内容のやり方で対応していましたので、今回でもう最後と決めてやってきたことでした。
あっちに行ってはこっちの話をして、こっちに来てはあっちの話をして、という誰からも信用されない行動を取るような人なら無理だったでしょう。
それにしても、現実はこんなものですね。
何かにチャレンジしたい人も、世間に認められることを考えずにやってみたらどうでしょうか。
前々から自分で「世界初」と言い切っていた僕ですが、世界初かどうかは別として、他では聞かない結果に辿り着けました。
僕が目指していた「自分が敵になっているだけなのだ」と自覚して目を覚ます結果にたどり着きたかったのです。
本当にそうですから、親の態度も変わりましたし、職場の人や友達も違って見えてきました。
僕には一生足を向けて寝れないそうですが、僕としては何をどう頑張ったところでここまで辿り着けないなら意味がないと思っていました。
「愛されなかった私」の人生なんて、どこまで行っても悲壮感しか漂わないです。
世間一般ではそのまんま生きていくのが主流ですし、それも僕がそうしているわけではないのでどうでもいいです。
ただ、うちでは「僕がたどり着いたところ」に連れていくわけですから、今は親とも仲良くしているなんてことも当たり前だと言えます。
少なくとも僕が今まで相談を受けてきた中で、そんなにひどい家は滅多にありません。
今からその方のように親子仲良くが可能な人もいます。
特に、本人が長男長女の場合は可能性が高いです。
しかしそんなことは求めていない。もはや正義の怒りや嘆きを訴えるだけ、またはそれを宥めながらなんとか生かしていくだけ、というのが現在の一般的な道ではないでしょうか。
とにかく「愛されなかった子」であるという人生は絶対に変えませんね。
今回、僕が子供の頃に体験したのと同じ体験を完治した人はしたわけですが、僕より重い苦しみを体験したようですね。年季が違いますからね。
それは必ず死に際に誰もが体験する地獄です。あれが終わりなく続くなんて本当に地獄です。
目が覚めることなくそのまま終わるのですから。
しかし、ご先祖様からの繋がりをしっかり実感できたことで、なにもかも無常であるということも理解できました。
僕としては良かったと本当に思うんですよ。
僕は自分の家では無理だからこそ、まだ間に合う人たちには今からでも親子家族仲良くなってほしいと願っています。
そして、実際にはそこに至る前に体験する「自分を客観視する」は、どこかで聞くようなものではないのです。
目が覚めた人が言っていました。
「人間の記憶力ってすごい。ここまで何もかも覚えているものだなんて。」
自分ではすっかり忘れたつもりのあの記憶この記憶、今悩んでいる話とも関係ないあの過去この過去、本当によく覚えているものなのです。
あの体験は、体験した人にしか話してもわからないでしょう。
それにしても、ファーストペンギンなんてものになりたいと思ったことはありませんが、誰もわかってくれないであろうことはわかっていても、なんとなく周りに合わせて目的を失うことなくやってきてよかったです。
最近は更新も控えめになっていましたが、同じ目的のもと続けていることがあり、こうして結果が出た次第です。
「幸福な世界は怒りや憎しみではなく、慈悲や愛が生み出すものなのだ」
目が覚めた人は、親子の縁が良好な形に戻り、それを痛感しています。
僕がいることが特別なのだ、と言っても誰も信じないでしょうけれど、その人だけは今はそう思ってくれています。
心の中から外に出るまで、賽の河原から三途川を渡らせるまで、やっとひとり連れて来られました。
大変な激流を渡らなくてはならなかったようですが、それだけ罪深いのでしょうがないでしょう。
しかし渡りきってみれば、「もう戻りたくない」と断言しますね。
そりゃそうですね。
そしてあの地獄の体験が「何が原因で起きるのか」をもう知っていますから、既に慎重に考えて行動するようになりました。
僕だって、あんなことは二度と体験したくないからこそ、ものすごく慎重になり相手の気持ちも状況も考えるようになったのですから。
痛い目に合えば、人間は誰でもそうなりますよ。
脳内だけで起きる地獄の体験。
僕が言ったところで想像すらしない人が殆どでしょうけれど、やっと一人は話してわかる人が生まれましたね。
ただ、僕はこんな話を広めるつもりもなく、みんなを救うなんてことも考えないのです。
面白くないですか?
僕は子供の頃から天才児でしたが、周りの誰も受け入れてはくれない中で一人黙って実行するということがよくありました。
自分だけが助かっている時に、心の中でにんまりしていました。
やっぱりそうだったんだ!と。
他人はどうでもいいのです。それが正解だったかどうか、結果で確認するのが嬉しいのです。
だから、今も嬉しいのです。
加藤諦三先生にも何度も怒鳴られたし、世間一般の心理学を用いてくる人に馬鹿にされることもありました。
うちに来る方にも暴言を吐いて罵る人もいたし、とにかくいなくなった人たちはみな向こう岸で馬鹿にしていました。
それでも、別に金も地位も何も持たない「五十代のおばちゃん」は、不幸な人々が乗り越えたこともない精神世界の苦しみに耐え、生まれた時から無いならばもうおしまいだと思われている「仲良し家族」を手に入れました。
こういうのがいいんですよ。
世間では知られることが「ない」中で、他では当たり前になどなっていないことが現実に起きる。
これがいいんですよ。
こういうのが嬉しいんですよ。
何を言われても目指している場所があるので、そこにたどり着くまではと思って黙って続けてきました。
本当に「やっと」ですよ。これは僕の体たらくですね。
もっと早く、せめてあと2年は早ければよかったと思っています。
この結果を出すために背負った苦労はこれからも背負い続けて進まねばなりません。
それはそれで頭を抱えなくてはならないことだらけですが、でも結果には満足です。
どちらかというと、あんまり頭が良くない感じの方なのに、認知能力や道理を考える力は並みより高くなったのです。
まあ、まだまだ能力が追い付きませんが、これから伸びていくでしょう。
これが面白いのです。
肩書や地位や、名前にばかり夢中になり結果も出ない今に満足もしていないのに気分だけは「安心」して生きている人たちには、この結果は絶対に「見せたくない」と思います。
僕たちだけで遠く離れていきたいのです。
どうせそんな形の幸福は誰も求めていないのですから。
自分が悪者になるのは構わないんですよ。
自分が悪者にさえなれば楽に離れていけます。
相手にとっては自分が悪ですから、いなくなれば向こうは安心です。
正義の優越感を得て満足するでしょう。被害者になれば向こうは向こうで仲間がいっぱいいて何も困らないでしょう。
そして自分は悪として離れていけば、恨みや憎しみを持たずにその後も幸せを失うことはありません。
「子供の頃はお父さんのこと大好きだったのに、なんでこんなことになったのかわからない。」
目が覚めた人は、かつてそんな話をしていました。
まだマシな人だったので、なんとかなりました。
親子逆転がいつまでも「酷いことだ」と思っている人は、いつまでも子供なのです。
親を超えていくのが成長ですから。
僕は誰とも争う気はないので、大体世間一般のやり方や理屈に合わせてフェードアウトしてきました。
結果が出るまではと思っていましたが、実際に結果が出てみると今度は「誰にも教えたくない」と思うようになりました。
遠くから、争っている人たちを見ていると「別にどうでもいい」という気持ちになるのは目が覚めた人も同じです。
今ここに楽しいことがある、今ここにもう守りたいものがある。
それが「幸せな人」なのです。
そして、その「楽しいこと」「守りたいもの」をこれから手に入れようと誰かに助けを求めてしまうのが、これからも地獄に生きる人なのです。
最初からそこにあった。
これがわからないと、自分の人生ははじまらないのです。