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Refresherぷらす

真剣に人生を変えたい人向けの講座

 ずっと悩んでいたことがあります。
 僕が編み出して使っている方法を、教えるかどうかです。

 僕は自分自身が人とうまく行っている人格だとは全く思わずに生きてきました。
 確かに、自分のことは好きになり生きてきました。
 周りの人から見れば異性にもモテたようです。
 何かあれば誰かが助けてくれました。

 自分自身がレジリエンスパーソナリティ(近年発見された精神的快復力が高く、共同体感覚の強い人格)だと知ってからは、自分と人の何が違うのか比較してきました。

 結論として「人生は人格が全てなのだ」とよくわかりました。
 生きるのは自分、人格が生き方を決めるからです。

 他人と仲良くできない、また、結婚しても本当に愛し合っていない夫婦がいたことに逆に驚きました。
 どう生きているかで、こんなに人の人生は変わるものなのかと、生きることの重大さを思い知りました。

 僕は幼児期に両親に捨てられました。
 幼児の頃に既に「僕は自力で生きていく方法を見つけなければ死ぬ」と危機感を持っていました。
 そして引き取られた先の母に虐待され、「なんとか他人とうまくやっていく方法を見つけていかねば」と将来に強い危機感を覚え、観察と考察を繰り返し法則を見いだしました。

 当時編み出した方法は、今も使っています。
 この30年以上、最初に使いだした頃から体験と発見を繰り返し、既に板についています。人格の一部となっているので、自然と動くようになっています。

 僕はこの方法を実行し、人格が変わりました。
 人格は行動と体験によって作られていくからです。
 矛盾した毒親からの離脱に、早くに成功しました。
 そして多くの人が体験していない、ドラマのような友情や恋愛を体験しました。

 一般的に人格が変わるということも認識されていませんが、人間は成長するたびに人格を変容させていきます。
 成長は変化ですから、人格はどんどん変化していくものなのです。

 「子供の頃から人格が全く変わらない」
 という人は、今も自分が子供のように感じ、自分に自信がないと思います。

 内面的には一人の人間ですが、外から見た人格は変容していくのが普通なのです。
 しかし、毒親の子は「死ぬまで同じ人格」で生きることを求められています。生きることはどんどん辛くなるでしょう。それも当然なのです。
 自分の人格は変わらない、年はどんどん取る、責任はどんどん重くなるでは、生きていくのが辛く苦しくなるばかりなのです。
 しかし、親の面倒を見る人は「どうしたいか」を優先すると人格が変容してしまうので、「どう思われるか」を重視して今の人格が固定され続けるようにして生きています。

 自分が変わると周りが変わる不安が強いと思います。
 変容する時にそれは誰もが感じるものですが、最初の一回は「親と切り離される不安」です。
 親子が一体化していないと安心できないのが人間です。自然な成長に合わせてくれる親ならともかく、自然に成長すると親と心理的に離れてしまう人は孤独になる恐怖と直面しなくてはなりません。
 自然な自分を否定され続けてきた人にとっては、失敗したら何もかも無くなるような恐怖です。

 しかし、現実に合わせて人格を変容させていかねば、生きることはどんどん苦痛になるのです。
 生きる中で訪れる数々の変化のチャンスを逃し続けると、やがては「親が正しかった」「もう親なんかどうでもいい」と言い張って自分の人格を守り続けます。

 僕は、自分自身が編み出した方法を実行し、人格が大幅に変わりました。
 実行したこと、そして体験したことの繰り返しがあったからです。

 皆さんは、「今のままの自分」が幸せになる方法を探しているかもしれません。
 しかし、幸せになるためには「今の自分ではなくなる」ことが必要なのです。

 親しい人と険悪になっている人は、相手をすぐに悪者にします。
 確かに、話を聞けば嫌なことをされたり言われたりはしています。

 しかし、原因は相手ではないのです。
 よく「外面はいい」という話を聞きます。
 相手にも問題はあるかもしれませんが、そこだけではないのです。

 自分が、相手に嫌われているのです。

 人は嫌いになった時、「嫌いだからね!」とは言いません。
 本当に嫌いな人とは、関わらないようにするものです。

 自分が嫌われているのだ、と聞いても「そんなのおかしい!」と思う人は、それが原因です。
 人の好き嫌いを自分の理由で決めたがる、人の心の自由を許さない人は、確実に嫌われます。
 自分が好かれる理由など、いくらでも作れますが、その通りに好かれるとは限らないのです。

 僕が編み出した方法は、誰にも教えたことがありません。
 僕が生きるために編み出したものなので、他人に教えたくはないからです。この方法を実行し続けていて、人より人間関係において得していると自覚しています。
 殆どの人は「そんなことあるんだ」と驚くような扱いを受けてきています。
 僕はこれについて「せめてそれくらいないと僕の人生に良いところなどひとつもなくなる」と考えています。

 これを言いたくはありませんでしたが、殆どの人は人に好かれなくても生きていけます。親が生活の面倒も見てくれて、子供の頃から親が勝手に食事を作って与えてくれたと思います。僕にとってはそのような生活は貴族の生活です。
 しかし、僕は子供の頃から本当に頼れる親族がおらず、他人と仲良くして行けなければ生きていけないのです。
 僕にとって人間は財産です。仲間がいてくれたから今まで生きてこられました。
 人を大切にして、人と仲良くできなければ僕は今頃死んでいます。
 我慢さえしていれば面倒を見てくれる親がいる人、伴侶がいる人には必要ないと考えていました。
 僕は物質的に恵まれていないので、せめて精神的には人より恵まれていないと未来が不安で生きていけません。
 心の支えがなくても生存可能な人たちに、わざわざこの方法を教えなくても生きてはいけるのだから構わない、と僕は考えていました。

 何よりも、神経症の人が大好きな「権威ある書物」にはこんな方法は書いてありません。
 根拠は心理学でも説明できますが、僕自身が三十年以上これで成功してきた事実が最も大きな確信です。

 僕はこの方法は既に人格の一部として身についていますが、一人残らず全ての人に対して実行している方法です。
 故に、僕と接する人にとっては気になることかもしれないと思い、少数精鋭の生徒にも教えたことはありません。

 親しい間柄になるまでは、法則性に乗っ取って人との関係を構築しています。
 「何も気にしなくても信頼できる」になるまでが難しいのです。

 本当にうまく行く方法を真剣に信じて実行することで、確実に結果は得られます。
 結果を得れば必ず自分の考えは変わります。新しい体験をするからです。

 憎しみ合いを続ける人は、いつか自分が相手を打ち負かすことしか考えません。
 しかし、憎んでいるのは相手に嫌われて嫌な態度を取られるからです。

 嫌われさえしなければ、人はそんなに嫌なことをしてきません。
 色々な人がいますが、親密になる人といがみ合いにはなりません。

 誰もが、好きな人には優しいのです。
 同じ場にいても、好かれる人は優しくしてもらえるし、嫌われる人は邪険に扱われるのです。

 愛ある親の子は無意識に問題を抱えていません。
 いつも通りにしていることでうまくやっていけます。

 しかし、毒親の子はそうはいきません。
 意識していないと、すぐに弱点を突かれます。

 僕は感情面だけでなく、観察と分析を繰り返し、ある意味では計算づくで生きています。
 編み出した当初は、実行していくと段々と思い通りになっていくので面白くて仕方ありませんでした。

 卑屈な人の性格が、明るく素直になれば周りの対応も変わります。
 同じ場にいても、自分のいる場所が変われば復讐など考えなくなります。

 既に人に好かれて楽しくやっているのに、その日々を放り出して復讐に戻ったりはしないのです。

 恨みを捨てない人はたどり着けませんが、復讐などどうでもいい、勝つことなどどうでもいい、と思える人は真剣に教わって欲しいと思います。

 心理の仕組みについては、悪用されることもあります。
 僕はこの方法に悪用の可能性があるかどうかも懸念してきました。

 しかしこの方法は、本当に成功しようと思って実行する限り全てを実行するしかなく、結果を体験すれば悪用する必要もないことだと思いました。

 「好きな人に好かれて、自分さえ幸せになれれば他人が悔しがらなくてもいい」

 その精神が大事です。

 僕も教えたことはありません。
 講座の時間は三時間を目安にしていますが、それより長くかかるかもしれません。
 僕自身が、思考に集中すると異常に疲れたり、気が遠くなったりします。
 似たような頭脳を持つ人はみな同じような現象に見舞われるようです。
 そのため、途中休み休みになると思います。教室でもそうしています。

 今までと同じ自分が生きる限り、人生は何も変わりません。
 想像がついている「辛い人生」に「救い主などいるわけもない当たり前の結果」があるだけです。

 現実の人生は夢物語ではありません。
 泣いても騒いでもどんどん何かが失われるだけで、一瞬にしてパッと救われる夢物語などあるわけがないのです。

 他人の悪口を言って救ってくれる人が見つかるなら、いくらでも人を罵って幸せになる人がいるでしょう。
 しかし、そうなっていないのは、そんなことは不可能だからです。

 疑似自己で生きる人、親子が逆転して親の面倒を死ぬまで見続けるための人格になった人は、その人格である限り、どんなに心理的に健康な人を捕まえても自分とのコミュニケーションにより相手をノイローゼにします。

 どんなにそれを説明してもやめないのが神経症者ではありますが、もう今までの目的は捨てて、真剣に考えれば確実性など全くない未来を諦めた人は是非講座に来てください。

 「こんなに人に好かれたなら、もう親なんかどうでもいいや。」

 かつて僕が実感した体験を、一人でも多くの人に体験してもらいたいと思います。
 この方法を教えるのは僕だけだ、と自信を持って教えます。

 開講中講座に詳細があります

 

仲間にすべき人と争う現代人 ~被災地等の人に特に読んでほしい~

 今回は被災地等、助けが必要な土地にいる人たちに特に読んで欲しいです。

 今はTwitterなどがあり、全国どころか世界の人たちがネット上で会話しています。
 しかし、忘れてはならないのは「それぞれ別の人である」ということです。

 相手の背景知らずして、何をどう話せばよいのかはわかりません。

 僕は今東京におります。
 いくつかの土地を見てきましたが、首都圏外の人には特に知って欲しいのです。

 心理的には首都圏、全国的に都市部の心理状態の悪化が著しいです。

 東京の人には知らない人が多いですが、未だに援助を求める深刻な地域はあります。
 ありますが、殆どの人が知りません。

 この事態について、個人レベルで争うことは無意味です。
 現在情報の偏りと操作は非常に激しいです。

 普通に生活していると、権威が思わせたい通りにしか社会を認識しないように「作られて」います。
 それは既に全体に言えることです。

 これは政治的な問題なので、個々が争っても仕方ないことです。
 しかし、個々の心理的なものが動かなければ、結局大衆の意志で動かせるものはありません。

 それぞれの仕事が社会活動の一部ですから、僕は心理的なものを動かしています。

 ナルシシズムが深刻になるということは、「自分さえよければいい」という利己的な人が増えるということです。
 東京は安全安心、最先端で幸せかと言えばそうではありません。

 朝から晩まで働き詰めで、既に考える力が無くなっている人が大半となりました。
 命令されればなんでも言うことを聞くでしょうけれど、個々に考えて意志を持ち、更には人のために何かするという状態ではありません。

 人はみな繋がっていますし、社会の仕組みも繋がっています。

 僕のように言葉を発していく人は、言葉を認識した人の認知の中に新たな情報を入れ込んでいきます。
 意識領域の拡大は容易ではなく、大きな力の波は非常に強いです。

 しかし、現実を徐々に認識した人は、物事の裏側を考えるようになり、人のために何かするという意識は生まれてきます。

 僕は心理について、特にコミュニケーションについて多く話しますが、それぞれの土地により必要なものは違っています。

 東京は世界で最も人口が集中する都市ですから、この都市の心理的問題は全国に影響を及ぼします。

 首都圏都市部以外の土地土地は、地元について考え互いに協力し合う必要があります。
 最も大きな力を持つ者は、個人でも集団でも利己的になり暴走しやすいです。

 今必要な場所への援助を促すためには、それぞれのポジションに「現状を理解し、平等に扱うべき」と思えている人たちの協力体制が必要です。

 中には現状を理解し、どう自分が得をするか考えている人もいますから、わかっていればいいという問題でもありません。

 現在日本は世界の歴史に残る大失敗に向けて愚かな道を独走中ですが、早くなんとかしなくては日本そのものが大変な事態に陥るでしょう。
 原発事故以来の放射線問題についても、未だに汚染土他問題は山積みです。

 神経症者は後先を考えません。
 たった今を誤魔化すことしか考えませんから、表面上「良く見せる」努力しかしません。

 皆さんは神経症者と聞くと自分のこと、身近な人のことばかり気にするかもしれません。
 しかし、世界的に政治を神経症者が動かしている場合が多く、逆にそうでない場合の方が少ないです。

 僕たちは元々人間や世界が現実より良いものだと思い込んで生きていますが、実際にはそれが現実です。
 心理的に成長して自己実現すると言っても、自己実現は仏教の世界で言うところの解脱のことですからなかなかそうなれている人はいません。

 そして、自分のことではなく自分たちが抗えない力を持ち、世界を動かしている人たちにも注目しなくてはならないのです。
 全体に共通する問題を処理していく人が神経症者であれば、必ず後に問題となる都合のいい解決策を取ろうとします。

 「言われたことに従っていれば平気」
 と思ったら大間違いで、社会には親のみならずどこに行ってもナルシストで溢れかえっています。

 誤解しないで欲しいのは、「頂点に都合の悪いことは、社会では言えないのだ」ということです。
 少なくとも、広く知れ渡る場では言えなくなってしまっているのが現状です。

 この状態で「そんなことより私を見て!私の歴史を聞いて!」という人たちが増えたら、どうなることでしょう。

 ネットではどこの誰かわからない、何をしているのかわからない人がいい加減な理由と根拠、気分で人を攻撃しています。
 そんなことは常識的に考えて当然異常であり、道端で話している他人の話を聞いていきなり怒鳴りつけるようなものです。
 その程度の礼節も弁えることができなくなってしまったのが、現在の日本人です。

 既に、この世界が現実のものであると感じられないのです。
 この状態で、他県に困っている人たちがいると聞いても、可哀想がって気分がよくなる程度ですぐに忘れてしまいます。

 これからの政策の方向性を見ても、現状を見ても、沈没寸前の船で先に進もうとしていることは明らかです。
 もう誤魔化せないところまで来ているのに、これ以上誤魔化したらどうにもならなくなります。

 そして我々は既に帝国主義ではなく、民主主義となりました。
 自分たちの力を合わせて、できることを実行することが可能なのです。

 神経症者は目立つことや権威が好きですから、権威ほど信じたいものはありません。
 しかし、歴史は合意の上に成り立つ作り話であり、全ての政府は嘘をつくのです。

 そういうものなのだ、と知り、そして自分たちが何をしていくのか考えねばなりません。

 僕は主に都市部の心理状態を改善すべく活動をしていますが、被災地等支援を必要とする人たちは、心を動かし力あるところから持ってくるよう、心理的に敵意が生み出されることを避けてもらいたいのです。

 人の心は敵意では動きません。
 何かを必要とする場合は、「助けてあげたい」という衝動を相手の中に生み出さねばなりません。

 実際、この東京に暮らしていると、自分たちの周りにはなんの問題も起きていないと感じられる環境が出来上がっています。
 情報は都合よく歪曲され、また遮断され、何かしなくてはならないという現実さえ殆どの人が知りません。

 僕は全国各地の地方紙に目を通しますが、それぞれの場で起きていることは全く違います。
 それぞれが他方のことを「知らないのだ」とまず知っておいてください。

 知っていてやっているのではなく、本当に知らない人が多いのです。

 首都圏は楽しそうに見えるかもしれませんが、完全に資本主義のサイクルに取り込まれた状態でみな生きており、中身は空っぽ状態で死んだ目をしている人が殆どです。

 ストレスが溜まり、疲れ果て、みなどこかに癒しを求めています。

 根本的な問題がどこから来るのかそれぞれが知っていく必要がありますが、僕自身の力も微々たるものです。
 何よりも状況を把握できている人が一人でも増えることが重要です。

 皆で「どうするべきか」を考えていくことが必要なのです。

 同じ問題に取り組むためには、それぞれの立場と違う力が必要です。

 元を正せば現状は150年前まで遡らねば原因がわからないくらい、過去からの流れの先にあります。

 しかし、とにかく今は現状の把握が先です。
 そしてこれからの政府の対応を考えるに、全国に問題が拡大化していきます。

 僕たちにはそれを止めることも可能ですし、自分たちの力を合わせてなんとかしていくこともできます。
 それぞれが「私を見て!」「俺の気持ちをわかって!」さえやめれば、子供たちの未来も安全になりります。

 子供たちのためにと言っても、ナルシストは「私は優しいいいお母さん」と思われたいだけで、実際に社会とつながれていないので、社会活動の中で子供たちの未来のために動きません。
 社会は他人が作ってくれるところ、自分は言うことを聞きながら大人に褒められることをして、子供を褒められるように育てるもの、と考えています。

 子供に育てられた子供は、勿論社会を誤解して同じような生き方をします。
 大人が社会を作っていると知らない大人が多くいて、「偉い人が作っている」という未だに帝国主義を続けたい人が大量にいます。

 権威が好きな人たちが権威に望ましいことをすることで、権威の力は一か所に集中し、より強力な支配体制となります。

 僕たちはひとりひとりがただ言われたことに従い、その力を合わせることで独裁的な国家を作ろうとしています。
 そうではなくとも、僕たちが従いたがれば勝手にひとつの大きな力が生まれます。全ては僕たちが望んでやっていることです。
 今の世にそのような存在は本来いません。

 自分で考えることを放棄した人は、従うことを強要されているかのように錯覚しますが、単に自分が自分で決められない、決めたくないだけです。

 「私がみんなにどう思われるかが、この国の問題である」
 という気持ちで生きている人が多くいて、社会の問題を放り出して皆が自分のことに従事して欲しいと願っています。

 自分を生きる目的にしてほしいという願いは、人間関係依存症の人しか叶えてくれませんから、社会の活動に目を向けている人はナルシストにつかまりません。

 共通の問題に取りくむから仲間になるのであって、人を目的にしたら仲間は誰もいなくなります。
 自分が社会とつながれて、社会のつながりの中から人と繋がり共同体感覚は生まれます。

 自分を目的にしてほしい人は、誰とも繋がれないのです。

 そして、自分個人ではなく所属する集団である土地そのものに起きた問題で、現在も助けを必要とする人は沢山います。

 一人ではなんともできませんし、僕もこうして知らせていくことが主な活動です。
 しかし、沢山の人に知れ渡れば今活動している内容でそれぞれ必ずできることを見つける人が現れます。

 「考えねばならない問題なのだ」

 ということを、まず知っていく必要があるのです。
 全てはそこから始まるのです。
 「どうしたらいいの?」と聞かれても、初めて出会う、しかも世界初の問題にどう取り組んだらいいのか知る人などいるわけがありません。

 しかし、問題が起きている以上、考えていかねばなりません。

 人任せにしている現代社会は、考えさせると自分たちの首を絞めかねない誰かに結論を任せています。
 それは自分で考えて間違いたくないから、地獄の悪魔に頼もう、というような発想であり、賢い選択とは呼べません。

 助けが必要な人々は、まず人とつながることを大切にしてください。
 人は少なからず人情で動きます。
 一人と知り合ったら、その背景には必ず人がいます。
 その人が必要としていなくても、他では使える何かを必ず知っていたり持っていたりします。

 今目先のことで考えず、人と知り合っていき、その繋がりを失わないようにしてください。

 まず知ってもらうことが大切です。
 人は情報として認識に入れていれば、何かを見た時に必ず「思い出す」からです。

 知らなければスルーしていた何かを、問題が起きていると知ったならば「そうだ!これがあれば!」という閃きを起こします。
 その可能性を作るためにも、ただ季節の挨拶をするような、本当に小さな繋がりも大切にしてください。

 そして繋がりをより多く持つことで、心理学で言うセンス・オブ・コヒアランスを支える要因のひとつ、状況に対処していける感覚を持つことができます。
 つまり、小さな繋がりを大切に作り、それを続けることは自分自身の安心感につながるのです。

 心理的に不安が続く人は、望んだものがぱっと出てくることを期待し、それができないとすぐに捨てる真似を平気でします。
 人を大事にできない人は、人に大切にはしてもらえません。

 人を大切に扱い、尊重することは必ず自分自身の身に必要なものをもたらします。

 僕は各地の問題をできるだけ把握し、心理的状況を鑑みて様々なアプローチを試みていきます。
 それぞれに当てはまる場合とそうでない場合があると思いますが、誰か、またはどこかに必要だから行っていますので、その効果がやがて波となって全体を動かすことを期待してください。

 そしてそれぞれが行うべきことを、少しずつ行ってください。

 日本は心理的には既に壊滅状態にあり、人の心を見る人は殆どいなくなりました。
 心優しい人たちは依存され、嫌な思いをした挙句反論もできない状態に陥り、ノイローゼになり絶望して次々国を捨てています。
 安全だと思える人たちは、いじめをしたがる人にとってはやりたい放題やっても「許してくれる」ただのサンドバッグです。

 人が嫌がることがしたくて仕方ない人は、ストレス解消のためならなんでもします。
 嫌なことをされて更に自分の都合を押し付け、相手にただ嫌なことを我慢しなくてはならないと思わせる人たちが、この国を崩壊させています。

 優しい人だから、安心。
 その安心は、「いじめても安心」の人と、「不当なことをしないから安心」の人がいます。

 僕もよくやられていますし、生徒たちには僕も精神的に耐えられなくなったらやめるから、それまでに育ってくれよとお願いしています。

 精神的に幼児どころか赤ん坊の状態にとどまっている人は、説明により人の感情が決まると思っているので、例えば嫌なことをしたら言い訳することで相手は安心すると考えています。

 普通に考えれば、自分がどんなに嫌なことをされても「お前のためなのよ」「お前が大事だからこそやってるのよ」と言われて嬉しくなった人なのだと思いますが、実際には人に対して二重束縛のいじめをして、まずくなったら我慢させるの繰り返しをしている人です。

 しかし、そのような人は自分たちが如何に大きな波紋を呼ぶことをしているのかわかっていません。社会と全く繋がっていないからです。

 しかし、僕含め社会に身を投じ活動する方々は、今現在も同じ社会の問題に取り組み、互いの活動を見て励まされています。

 社会は皆が暮らす家です。
 共同体感覚がある人は、仲間意識を持ち、地域や職場の活動の中で力を合わせています。

 共同体感覚がより強くなれば、何かの繋がりから人と仲間意識を芽生えさせていくでしょう。

 どんな地域でも、何かの繋がりが必ずあるものです。
 共同体感覚を育てることを忘れず、個人的な問題だけでなく集団の問題について、皆で考えていきましょう。

 僕は元々家族に恵まれておりませんので、社会の中で皆さんと繋がりを持ち、同じ場にて力を合わせていくことを幸せに思っています。
 また、その中で信頼関係が結べることに喜びを感じております。

 皆さんの地元愛を再び取り戻すため、自身のホームページでも地域についてお話していきます。

Refresherぷらすの中で今後も様々なお話をしていきますので、無料または有料の会員登録を是非お願いいたします。

 可能な限り、一般に知れ渡ることのない話を含め皆さんにお知らせし、また教えていきたいと思います。

最上 雄基

君にとっての「勝ち組」とはなんだ?

まだ見ぬ友人へ

 こうしてまだ見ぬ友人に手紙を書くのは久しぶりだ。

 君は生きていたか?

 実は「先生」として話すよう求められ頑張ってきたのだが、どうにも僕は普段から口が悪いから、キャラクターを作ろうとすればするほどうまく話せなくて疲れてしまうんだ。

 なかなか簡単に新しい顔を生み出すことはできないな。それが他人に求められる顔であれば猶更だ。

 同じ話を何度も録画して、結局配信はしない。そんなことを繰り返している。

 僕にできることなどないと思えるのだ。

 僕はただ、わかるだけだから。

 ただわかるだけ。

 世間では肩書のお陰で頭がいいと思われている連中が、実際には馬鹿だと見てわかるだけ。

 誰も突っ込まないが、少し考えればわかることなんて沢山ある。

 それだけ「少しも考えない人間」が多くなったってことだ。

 題した通りだが、君にとっての勝ち組はなんだ?

 君にとっての、だ。

 人間と戦いたい人は、世間の勝ち組になりたがるだろう?

 馬鹿め。

 なれるわけがない。

 他人が決めた価値観の勝ち組になんて、なれるやつがいたら見てみたいもんだ。

 あはははは。

 (・Θ・)あはははは

 この態度だから、僕は一般社会なんて向かないのさ。

 だって、君だって今僕が言ったこと、理解できないだろう?

 聞いても理解できない。だから話す意味を感じなくなったんだ。

 自分のことを発表し合っている人たちは、順番に相手の話から連想した自分の話をしている。

 それもどうだよと思うが、僕の話に張り合って自分の意見を言うなんてことは、そうそうできない。

 知能が違い過ぎるから。

 そしてこっちはそんなこと求めていない。

 張り合っているわけではない。

 頭がいいのもいれば、力持ちのやつもいる。料理がうまいのもいれば、話すのがうまいのもいる。

 そんなものだろう。

 それで?君の欲しい物はなんだ?

 君にとっての勝ち組は、君が欲しいものを手に入れた時になれるものだろう?

 世間の優劣で決められるものなのか?

 もしそうならば、君は誰かを見返したいのではないのか?

 「優越感」

 それが欲しいならば、君はどこかで悔しい思いをして、その時の恨みで生きているのではないか?

 ちょっと口は悪いけれど、はっきり言わせてもらう。

 君は馬鹿だな。

 否、殆どのやつが、バカだと僕は思っているよ。

 悔しい思いをしたから、恨みを晴らすだと?

 それでどうなる?

 それが勝ち組か?

 それが欲しかったものか?

 カッコつけているだけで、傷付いたことすら自覚できない負け犬だろう?

 復讐はカッコいいとか、傷付いても犠牲を払ってきたから可哀想だとか、そんなもの自己陶酔して思っているだけの「自己評価」だろう?

 君のことなんて、君を傷つけたやつは気にしていないさ。

 そんなこともわからないのか?

 いじめをする奴なんて、その時いい気分になったら「自分が相手にしたこと」すらすっかり忘れて、自分が意識して見せたい部分だけ覚えているものだ。

 もし、君がいじめられた悔しさで見返してやろうとしても、「見返す相手」なんてどこにもいない。

 なんせ、記憶していないんだから。

 知っているか?

 ずっと我慢して生きている「つもり」だった人が、いつか親に認めてもらうために大人しくしていた。

 よくある話さ。

 そして遂に堪忍袋の緒が切れて、親に向かってヒステリーを起こすんだ。

 昔どんな時に、どんなに辛かったかと涙ながらに訴えて。

 そんなもの対応できる相手はどこにいもいない。

 親はすっかり忘れている。そんなことを思っていたとも知らずにいた。

 そして、その事実は確実に「事実にしてしまうと親にとってマイナス」なのだから、そんなものは認めない。

 無かったことにされる。

 今更、親が「可哀想がってくれる」なんて思える方が現実を見てねえ、と僕は思うよ。

 どこに、貴様の家の中のどこに、子供の気持ちを理解して反省する親がいたんだよ。

 そんなものは「だったらいいな」と思い描いていただけの架空の親だ。

 最初から存在していない。

 現実と願望が滅茶苦茶になっているから、自覚していない。

 復讐なんて全ては無駄だよ。

 相手がいないのに一人でやっているだけなのだから。

 それで、もう一度聞く。

 君にとっての勝ち組はなんだ?

 最初に欲しいものがなかったんだろう?

 誰だってそうさ。

 欲しかったものなんてひとつもない。

 だからこそ、欲しいものがあるんだろう?

 それを手に入れることが、君の勝利じゃないのか?

 それとも、家の中に戦いがなくて面白くなかったか?

 争いたいのに、人を見下したいのに、それがないから面白くなかったのか?

 支配や服従の世界にでも憧れていたのか?

 僕は、もう勝利したんだ。

 勝ち組なんだよ。

 生れた時から欲しかったものは、手に入ったんだ。

 愛ある家庭だ。

 僕は愛し合う家族が欲しかった。

 明るく楽しく、兄弟もふざけ合ってじゃれている。

 両親は深く愛し合っていて、子供たちを心から大切に思っている。

 普段はバカなことを言っていても、大事な時は真剣になり、力を合わせられる。

 共に生きていく未来を常に考えている。

 そんな家族が欲しかった。そんな家庭に生まれたかった。

 そして生まれた。手に入った。

 だからもう僕は「可哀想な子」じゃないんだ。

 愛されて育った人間なんだよ。

 愛されずに育ったのに、なぜか前向きに成長している、と人間性心理では「例外」にされている人格だ。

 だが、違うんだよ。

 そうじゃないんだ。

 僕自身は、今のこの僕は、「愛されずに育った最初の自分」ではないんだ。

 最初から違う家に生まれた僕なんだ。

 もう勝利したんだよ。

 もう勝ち組なんだ。

 だからもう満足しているんだ。

 現実には沢山の困難があるが、僕は「愛されて育った自分」が好きなんだ。

 事実を事実として認識し、そして「常識」の発想を無視して「可能な方法」を考える。

 後は、確実に可能だと確信した方法を実行する。

 もう、最初の頃のことはよく覚えていないんだ。

 ただ「こんな人が自分の母親なんて嫌だ」と思ったのは間違いない。

 他人に「この家族の一員」だと思われたくない。そう思っていたよ。

 正直、みんなが羨ましくもある。

 そこまで執着できるほど、「この家族」を捨てたくないんだから。

 期待したい親。好きだった親。

 そんなもの、僕には最初から無い。

 認めてもらう相手が「この親」では、努力の甲斐もない。そんな親だった。

 「君は自分の過去のことを話すといいと思うよ」

 僕の才能を買ってくれた加藤諦三先生に、そう言われたんだ。

 だが、僕は話したくなかった。

 元に戻りたいわけではないから。

 僕は誰も教えていない方法を自分で編み出した。そして実行した。

 それでうまくいって、もう過去のことは本当にどうでもいいと思っているんだ。

 この今の僕の人生を生きる方が、余程大事だから。

 今になって、セラピーの方法や精神医療の治療を見ていても、自分でやってよかったと思っているよ。

 なんの後悔もしていない。自力で考え、学び、そして実行してきた。

 どこに行ってもそんなことは教えていない。

 加藤諦三先生は、その方法は知らない。ただ、僕が現実をどう考えたかを聞いて、驚いて感心していた。

 この方法しかないと思ったんだ。

 今、治療している人たちも僕は憐れに思っている。

 本人が選んでいることだし、別にそれを批判するわけでもなんでもないのだが、僕なら御免だと思うからだ。

 最初からレッテルを貼られた人生なんて、僕は御免なんだ。

 最初から、愛されて育った「普通の子」の人生が欲しかったんだから。

 親に虐げられたという不可抗力の事実のために、人生すべてを持って行かれたくなかったんだ。

 そして、武士を倒してこの社会を作っている、何者なのかもわからない連中を信じて「正しいこと」などする気もなかったんだ。

 「輪廻転生なんてあるわけがない」と言い放つアホの「専門家」の優越感になど、付き合っていられない。

 あるわけがないのは当たり前なんだから、言葉通りの意味のわけないと思わない連中。

 額面上通りにしか理解できない頭の足りない頭の連中が、社会を作っているんだ。

 社会的権威に認めてもらえたら、自分がすっかり「すごい人間」になった気になって、自分が生み出したものでもないものを覚えてはコピーして話しながらすっかり知性派気取りだ。

 弁護士に何人も関わる機会があったが、彼らの仕事ぶりは金の亡者としか思えないクズそのもので、口八丁で誤魔化しながら世間知らずの庶民を騙しているだけだった。

 あんな連中と結婚する女も、ろくな女ではないだろう。

 男同士で肩を寄せ合って、「私たち一緒にやったもんねー!」なんて二人組の中学生女子みたいな話し方をする。

 そんなのがいた。

 世の中は金ではないが、金のために生きている人間ばかりで面白くもなんともない。

 妄想を具現化することしか考えていないから、今そこにある「普通」のものには興味がない。

 だが、僕はそれでいいんだ。そっちがいいんだ。

 僕は「普通のもの」が欲しかったんだから。

 社会の負け組であることを悔しく思うならば、君はもうすっかり毒されていて幸せが何か知る日は来ないだろう。

 知らなければ欲しがることもなかったもの。

 見返してやろうとさえしなければ、やらなかったこと。

 達成しても欲しいものなんて手に入らない、無駄なもの。

 ところで君は、権威ある人たちが言う「立派なこと」が本当だと思っているか?

 権力は人の頭をおかしくするんだぜ。

 君は知らないだろう。

 僕も今起きていることなんて、想像もつかなかったよ。

 だが、もし、権力を握っても、かつての武士のように己を高めるための精進を怠っていたらと想像すれば、どんなことになっているのか、人の心の中だけは容易に予測できる。

 僕たちは、なんでもない庶民として生きていく立場だ。

 だったら、知りもしない理想を追いかけない方がいい。

 君は君の人生においての、君が君と勝負して勝てる「勝ち組」になればいいんだ。

 そうすれば、戦いは終わる。

 自分の中の戦いを終わらせれば、戦いは終わる。

 君は何と、誰と、戦っているんだ。

 人を恨むものではない。

 恨みは、「負けた人間」が抱く感情であって、その時既に勝負はついているんだ。

 人を地獄に引きずり降ろしたいならば、「恨ませること」。

 そうすれば、放っておいても恨んだ相手のために人生をつぎ込んで、無駄な努力をし続ける。

 そして恨みを晴らしに来た時に、もう一度傷つけることができるんだ。

 「なんのために頑張ってきたのか」と。

 絶望できればまあラッキーだよ。

 絶望にすらたどり着けない人間には、もう出口などない。

 それにしても、あまりにもみな深く物事を考えないな。

 世の中はもっと深く、そしてずるくいろんなことを考えている人たちが作っているのだから、もっともっとよく考えないとな。

 「こんなに浅はかであったら、僕だって死ぬことになる」

 簡単にわかるほど、あまりにも何も考えずに生きている人が不幸だ困ったと言う。

 そして人に何かを教えてもらっては感傷に浸り、遊興に入れ込み、なんとなくぼんやり生きているのだ。

 こうなるともう社会にすら関われていない。

 なんとなく存在している「世の中のモブ」だ。

 意思がなければ、それすら本人自身がなんとも思わないんだな。

 気の毒に思うのは、僕に自分の意思があるからでしかない。

 本人にとっては、なんでもないことなのだから。

 僕はもう、勝ち組だから、他人のことは気にしていない。

 争いが目的だったわけではない。

 争うことが目的の人は「みんなに羨ましがられそうなもの」を欲しがる。

 だが、僕は「僕の欲しいもの」が欲しかっただけなんだ。

 君はどう生きる。

 君は、誰と勝負しているのか。

 君にとっての、「勝ち組」とは、一体なんなのか?

 

 君が息災で生きていくことを願っているよ。

 じゃあ、また。

 

まだ見ぬ君の友人

 最上 雄基

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無料動画「本当に自分を嫌いな人は全然いなかった」

 自分を嫌っている人は、実際には全然いなかった…。

 僕が思っていた「自分を嫌っている」とは違うものだった、というお話。

 寧ろそんな私が好き。

 全然違うじゃん!

 同じ言葉を使っても、まったく違うことを言っていることがあるものです。

 長いお話ですが、新しい環境で作ってみた動画なので試しに皆さん視聴できる形で配信します。

 動画 約57分