お知らせ 【キャリアメールでご登録の方へ】

会員の皆様へ

 当サイトへのご登録をモバイル各社キャリアメールでご利用の皆さんへのお知らせです。

 プラン変更によりキャリアメールがご利用になれなくなった会員の皆様は、ご登録情報の変更をお願いいたします。
 プラン変更によるキャリアメールご利用の変更等は、ご利用のモバイル各社にてご確認ください。

 お知らせ、お支払い等の通知が届かない場合がございますので、ご確認いただきましたらお早めにご登録内容の変更をお願いいたします。

Refresherぷらす

真剣に人生を変えたい人向けの講座

 ずっと悩んでいたことがあります。
 僕が編み出して使っている方法を、教えるかどうかです。

 僕は自分自身が人とうまく行っている人格だとは全く思わずに生きてきました。
 確かに、自分のことは好きになり生きてきました。
 周りの人から見れば異性にもモテたようです。
 何かあれば誰かが助けてくれました。

 自分自身がレジリエンスパーソナリティ(近年発見された精神的快復力が高く、共同体感覚の強い人格)だと知ってからは、自分と人の何が違うのか比較してきました。

 結論として「人生は人格が全てなのだ」とよくわかりました。
 生きるのは自分、人格が生き方を決めるからです。

 他人と仲良くできない、また、結婚しても本当に愛し合っていない夫婦がいたことに逆に驚きました。
 どう生きているかで、こんなに人の人生は変わるものなのかと、生きることの重大さを思い知りました。

 僕は幼児期に両親に捨てられました。
 幼児の頃に既に「僕は自力で生きていく方法を見つけなければ死ぬ」と危機感を持っていました。
 そして引き取られた先の母に虐待され、「なんとか他人とうまくやっていく方法を見つけていかねば」と将来に強い危機感を覚え、観察と考察を繰り返し法則を見いだしました。

 当時編み出した方法は、今も使っています。
 この30年以上、最初に使いだした頃から体験と発見を繰り返し、既に板についています。人格の一部となっているので、自然と動くようになっています。

 僕はこの方法を実行し、人格が変わりました。
 人格は行動と体験によって作られていくからです。
 矛盾した毒親からの離脱に、早くに成功しました。
 そして多くの人が体験していない、ドラマのような友情や恋愛を体験しました。

 一般的に人格が変わるということも認識されていませんが、人間は成長するたびに人格を変容させていきます。
 成長は変化ですから、人格はどんどん変化していくものなのです。

 「子供の頃から人格が全く変わらない」
 という人は、今も自分が子供のように感じ、自分に自信がないと思います。

 内面的には一人の人間ですが、外から見た人格は変容していくのが普通なのです。
 しかし、毒親の子は「死ぬまで同じ人格」で生きることを求められています。生きることはどんどん辛くなるでしょう。それも当然なのです。
 自分の人格は変わらない、年はどんどん取る、責任はどんどん重くなるでは、生きていくのが辛く苦しくなるばかりなのです。
 しかし、親の面倒を見る人は「どうしたいか」を優先すると人格が変容してしまうので、「どう思われるか」を重視して今の人格が固定され続けるようにして生きています。

 自分が変わると周りが変わる不安が強いと思います。
 変容する時にそれは誰もが感じるものですが、最初の一回は「親と切り離される不安」です。
 親子が一体化していないと安心できないのが人間です。自然な成長に合わせてくれる親ならともかく、自然に成長すると親と心理的に離れてしまう人は孤独になる恐怖と直面しなくてはなりません。
 自然な自分を否定され続けてきた人にとっては、失敗したら何もかも無くなるような恐怖です。

 しかし、現実に合わせて人格を変容させていかねば、生きることはどんどん苦痛になるのです。
 生きる中で訪れる数々の変化のチャンスを逃し続けると、やがては「親が正しかった」「もう親なんかどうでもいい」と言い張って自分の人格を守り続けます。

 僕は、自分自身が編み出した方法を実行し、人格が大幅に変わりました。
 実行したこと、そして体験したことの繰り返しがあったからです。

 皆さんは、「今のままの自分」が幸せになる方法を探しているかもしれません。
 しかし、幸せになるためには「今の自分ではなくなる」ことが必要なのです。

 親しい人と険悪になっている人は、相手をすぐに悪者にします。
 確かに、話を聞けば嫌なことをされたり言われたりはしています。

 しかし、原因は相手ではないのです。
 よく「外面はいい」という話を聞きます。
 相手にも問題はあるかもしれませんが、そこだけではないのです。

 自分が、相手に嫌われているのです。

 人は嫌いになった時、「嫌いだからね!」とは言いません。
 本当に嫌いな人とは、関わらないようにするものです。

 自分が嫌われているのだ、と聞いても「そんなのおかしい!」と思う人は、それが原因です。
 人の好き嫌いを自分の理由で決めたがる、人の心の自由を許さない人は、確実に嫌われます。
 自分が好かれる理由など、いくらでも作れますが、その通りに好かれるとは限らないのです。

 僕が編み出した方法は、誰にも教えたことがありません。
 僕が生きるために編み出したものなので、他人に教えたくはないからです。この方法を実行し続けていて、人より人間関係において得していると自覚しています。
 殆どの人は「そんなことあるんだ」と驚くような扱いを受けてきています。
 僕はこれについて「せめてそれくらいないと僕の人生に良いところなどひとつもなくなる」と考えています。

 これを言いたくはありませんでしたが、殆どの人は人に好かれなくても生きていけます。親が生活の面倒も見てくれて、子供の頃から親が勝手に食事を作って与えてくれたと思います。僕にとってはそのような生活は貴族の生活です。
 しかし、僕は子供の頃から本当に頼れる親族がおらず、他人と仲良くして行けなければ生きていけないのです。
 僕にとって人間は財産です。仲間がいてくれたから今まで生きてこられました。
 人を大切にして、人と仲良くできなければ僕は今頃死んでいます。
 我慢さえしていれば面倒を見てくれる親がいる人、伴侶がいる人には必要ないと考えていました。
 僕は物質的に恵まれていないので、せめて精神的には人より恵まれていないと未来が不安で生きていけません。
 心の支えがなくても生存可能な人たちに、わざわざこの方法を教えなくても生きてはいけるのだから構わない、と僕は考えていました。

 何よりも、神経症の人が大好きな「権威ある書物」にはこんな方法は書いてありません。
 根拠は心理学でも説明できますが、僕自身が三十年以上これで成功してきた事実が最も大きな確信です。

 僕はこの方法は既に人格の一部として身についていますが、一人残らず全ての人に対して実行している方法です。
 故に、僕と接する人にとっては気になることかもしれないと思い、少数精鋭の生徒にも教えたことはありません。

 親しい間柄になるまでは、法則性に乗っ取って人との関係を構築しています。
 「何も気にしなくても信頼できる」になるまでが難しいのです。

 本当にうまく行く方法を真剣に信じて実行することで、確実に結果は得られます。
 結果を得れば必ず自分の考えは変わります。新しい体験をするからです。

 憎しみ合いを続ける人は、いつか自分が相手を打ち負かすことしか考えません。
 しかし、憎んでいるのは相手に嫌われて嫌な態度を取られるからです。

 嫌われさえしなければ、人はそんなに嫌なことをしてきません。
 色々な人がいますが、親密になる人といがみ合いにはなりません。

 誰もが、好きな人には優しいのです。
 同じ場にいても、好かれる人は優しくしてもらえるし、嫌われる人は邪険に扱われるのです。

 愛ある親の子は無意識に問題を抱えていません。
 いつも通りにしていることでうまくやっていけます。

 しかし、毒親の子はそうはいきません。
 意識していないと、すぐに弱点を突かれます。

 僕は感情面だけでなく、観察と分析を繰り返し、ある意味では計算づくで生きています。
 編み出した当初は、実行していくと段々と思い通りになっていくので面白くて仕方ありませんでした。

 卑屈な人の性格が、明るく素直になれば周りの対応も変わります。
 同じ場にいても、自分のいる場所が変われば復讐など考えなくなります。

 既に人に好かれて楽しくやっているのに、その日々を放り出して復讐に戻ったりはしないのです。

 恨みを捨てない人はたどり着けませんが、復讐などどうでもいい、勝つことなどどうでもいい、と思える人は真剣に教わって欲しいと思います。

 心理の仕組みについては、悪用されることもあります。
 僕はこの方法に悪用の可能性があるかどうかも懸念してきました。

 しかしこの方法は、本当に成功しようと思って実行する限り全てを実行するしかなく、結果を体験すれば悪用する必要もないことだと思いました。

 「好きな人に好かれて、自分さえ幸せになれれば他人が悔しがらなくてもいい」

 その精神が大事です。

 僕も教えたことはありません。
 講座の時間は三時間を目安にしていますが、それより長くかかるかもしれません。
 僕自身が、思考に集中すると異常に疲れたり、気が遠くなったりします。
 似たような頭脳を持つ人はみな同じような現象に見舞われるようです。
 そのため、途中休み休みになると思います。教室でもそうしています。

 今までと同じ自分が生きる限り、人生は何も変わりません。
 想像がついている「辛い人生」に「救い主などいるわけもない当たり前の結果」があるだけです。

 現実の人生は夢物語ではありません。
 泣いても騒いでもどんどん何かが失われるだけで、一瞬にしてパッと救われる夢物語などあるわけがないのです。

 他人の悪口を言って救ってくれる人が見つかるなら、いくらでも人を罵って幸せになる人がいるでしょう。
 しかし、そうなっていないのは、そんなことは不可能だからです。

 疑似自己で生きる人、親子が逆転して親の面倒を死ぬまで見続けるための人格になった人は、その人格である限り、どんなに心理的に健康な人を捕まえても自分とのコミュニケーションにより相手をノイローゼにします。

 どんなにそれを説明してもやめないのが神経症者ではありますが、もう今までの目的は捨てて、真剣に考えれば確実性など全くない未来を諦めた人は是非講座に来てください。

 「こんなに人に好かれたなら、もう親なんかどうでもいいや。」

 かつて僕が実感した体験を、一人でも多くの人に体験してもらいたいと思います。
 この方法を教えるのは僕だけだ、と自信を持って教えます。

 開講中講座に詳細があります

 

仲間にすべき人と争う現代人 ~被災地等の人に特に読んでほしい~

 今回は被災地等、助けが必要な土地にいる人たちに特に読んで欲しいです。

 今はTwitterなどがあり、全国どころか世界の人たちがネット上で会話しています。
 しかし、忘れてはならないのは「それぞれ別の人である」ということです。

 相手の背景知らずして、何をどう話せばよいのかはわかりません。

 僕は今東京におります。
 いくつかの土地を見てきましたが、首都圏外の人には特に知って欲しいのです。

 心理的には首都圏、全国的に都市部の心理状態の悪化が著しいです。

 東京の人には知らない人が多いですが、未だに援助を求める深刻な地域はあります。
 ありますが、殆どの人が知りません。

 この事態について、個人レベルで争うことは無意味です。
 現在情報の偏りと操作は非常に激しいです。

 普通に生活していると、権威が思わせたい通りにしか社会を認識しないように「作られて」います。
 それは既に全体に言えることです。

 これは政治的な問題なので、個々が争っても仕方ないことです。
 しかし、個々の心理的なものが動かなければ、結局大衆の意志で動かせるものはありません。

 それぞれの仕事が社会活動の一部ですから、僕は心理的なものを動かしています。

 ナルシシズムが深刻になるということは、「自分さえよければいい」という利己的な人が増えるということです。
 東京は安全安心、最先端で幸せかと言えばそうではありません。

 朝から晩まで働き詰めで、既に考える力が無くなっている人が大半となりました。
 命令されればなんでも言うことを聞くでしょうけれど、個々に考えて意志を持ち、更には人のために何かするという状態ではありません。

 人はみな繋がっていますし、社会の仕組みも繋がっています。

 僕のように言葉を発していく人は、言葉を認識した人の認知の中に新たな情報を入れ込んでいきます。
 意識領域の拡大は容易ではなく、大きな力の波は非常に強いです。

 しかし、現実を徐々に認識した人は、物事の裏側を考えるようになり、人のために何かするという意識は生まれてきます。

 僕は心理について、特にコミュニケーションについて多く話しますが、それぞれの土地により必要なものは違っています。

 東京は世界で最も人口が集中する都市ですから、この都市の心理的問題は全国に影響を及ぼします。

 首都圏都市部以外の土地土地は、地元について考え互いに協力し合う必要があります。
 最も大きな力を持つ者は、個人でも集団でも利己的になり暴走しやすいです。

 今必要な場所への援助を促すためには、それぞれのポジションに「現状を理解し、平等に扱うべき」と思えている人たちの協力体制が必要です。

 中には現状を理解し、どう自分が得をするか考えている人もいますから、わかっていればいいという問題でもありません。

 現在日本は世界の歴史に残る大失敗に向けて愚かな道を独走中ですが、早くなんとかしなくては日本そのものが大変な事態に陥るでしょう。
 原発事故以来の放射線問題についても、未だに汚染土他問題は山積みです。

 神経症者は後先を考えません。
 たった今を誤魔化すことしか考えませんから、表面上「良く見せる」努力しかしません。

 皆さんは神経症者と聞くと自分のこと、身近な人のことばかり気にするかもしれません。
 しかし、世界的に政治を神経症者が動かしている場合が多く、逆にそうでない場合の方が少ないです。

 僕たちは元々人間や世界が現実より良いものだと思い込んで生きていますが、実際にはそれが現実です。
 心理的に成長して自己実現すると言っても、自己実現は仏教の世界で言うところの解脱のことですからなかなかそうなれている人はいません。

 そして、自分のことではなく自分たちが抗えない力を持ち、世界を動かしている人たちにも注目しなくてはならないのです。
 全体に共通する問題を処理していく人が神経症者であれば、必ず後に問題となる都合のいい解決策を取ろうとします。

 「言われたことに従っていれば平気」
 と思ったら大間違いで、社会には親のみならずどこに行ってもナルシストで溢れかえっています。

 誤解しないで欲しいのは、「頂点に都合の悪いことは、社会では言えないのだ」ということです。
 少なくとも、広く知れ渡る場では言えなくなってしまっているのが現状です。

 この状態で「そんなことより私を見て!私の歴史を聞いて!」という人たちが増えたら、どうなることでしょう。

 ネットではどこの誰かわからない、何をしているのかわからない人がいい加減な理由と根拠、気分で人を攻撃しています。
 そんなことは常識的に考えて当然異常であり、道端で話している他人の話を聞いていきなり怒鳴りつけるようなものです。
 その程度の礼節も弁えることができなくなってしまったのが、現在の日本人です。

 既に、この世界が現実のものであると感じられないのです。
 この状態で、他県に困っている人たちがいると聞いても、可哀想がって気分がよくなる程度ですぐに忘れてしまいます。

 これからの政策の方向性を見ても、現状を見ても、沈没寸前の船で先に進もうとしていることは明らかです。
 もう誤魔化せないところまで来ているのに、これ以上誤魔化したらどうにもならなくなります。

 そして我々は既に帝国主義ではなく、民主主義となりました。
 自分たちの力を合わせて、できることを実行することが可能なのです。

 神経症者は目立つことや権威が好きですから、権威ほど信じたいものはありません。
 しかし、歴史は合意の上に成り立つ作り話であり、全ての政府は嘘をつくのです。

 そういうものなのだ、と知り、そして自分たちが何をしていくのか考えねばなりません。

 僕は主に都市部の心理状態を改善すべく活動をしていますが、被災地等支援を必要とする人たちは、心を動かし力あるところから持ってくるよう、心理的に敵意が生み出されることを避けてもらいたいのです。

 人の心は敵意では動きません。
 何かを必要とする場合は、「助けてあげたい」という衝動を相手の中に生み出さねばなりません。

 実際、この東京に暮らしていると、自分たちの周りにはなんの問題も起きていないと感じられる環境が出来上がっています。
 情報は都合よく歪曲され、また遮断され、何かしなくてはならないという現実さえ殆どの人が知りません。

 僕は全国各地の地方紙に目を通しますが、それぞれの場で起きていることは全く違います。
 それぞれが他方のことを「知らないのだ」とまず知っておいてください。

 知っていてやっているのではなく、本当に知らない人が多いのです。

 首都圏は楽しそうに見えるかもしれませんが、完全に資本主義のサイクルに取り込まれた状態でみな生きており、中身は空っぽ状態で死んだ目をしている人が殆どです。

 ストレスが溜まり、疲れ果て、みなどこかに癒しを求めています。

 根本的な問題がどこから来るのかそれぞれが知っていく必要がありますが、僕自身の力も微々たるものです。
 何よりも状況を把握できている人が一人でも増えることが重要です。

 皆で「どうするべきか」を考えていくことが必要なのです。

 同じ問題に取り組むためには、それぞれの立場と違う力が必要です。

 元を正せば現状は150年前まで遡らねば原因がわからないくらい、過去からの流れの先にあります。

 しかし、とにかく今は現状の把握が先です。
 そしてこれからの政府の対応を考えるに、全国に問題が拡大化していきます。

 僕たちにはそれを止めることも可能ですし、自分たちの力を合わせてなんとかしていくこともできます。
 それぞれが「私を見て!」「俺の気持ちをわかって!」さえやめれば、子供たちの未来も安全になりります。

 子供たちのためにと言っても、ナルシストは「私は優しいいいお母さん」と思われたいだけで、実際に社会とつながれていないので、社会活動の中で子供たちの未来のために動きません。
 社会は他人が作ってくれるところ、自分は言うことを聞きながら大人に褒められることをして、子供を褒められるように育てるもの、と考えています。

 子供に育てられた子供は、勿論社会を誤解して同じような生き方をします。
 大人が社会を作っていると知らない大人が多くいて、「偉い人が作っている」という未だに帝国主義を続けたい人が大量にいます。

 権威が好きな人たちが権威に望ましいことをすることで、権威の力は一か所に集中し、より強力な支配体制となります。

 僕たちはひとりひとりがただ言われたことに従い、その力を合わせることで独裁的な国家を作ろうとしています。
 そうではなくとも、僕たちが従いたがれば勝手にひとつの大きな力が生まれます。全ては僕たちが望んでやっていることです。
 今の世にそのような存在は本来いません。

 自分で考えることを放棄した人は、従うことを強要されているかのように錯覚しますが、単に自分が自分で決められない、決めたくないだけです。

 「私がみんなにどう思われるかが、この国の問題である」
 という気持ちで生きている人が多くいて、社会の問題を放り出して皆が自分のことに従事して欲しいと願っています。

 自分を生きる目的にしてほしいという願いは、人間関係依存症の人しか叶えてくれませんから、社会の活動に目を向けている人はナルシストにつかまりません。

 共通の問題に取りくむから仲間になるのであって、人を目的にしたら仲間は誰もいなくなります。
 自分が社会とつながれて、社会のつながりの中から人と繋がり共同体感覚は生まれます。

 自分を目的にしてほしい人は、誰とも繋がれないのです。

 そして、自分個人ではなく所属する集団である土地そのものに起きた問題で、現在も助けを必要とする人は沢山います。

 一人ではなんともできませんし、僕もこうして知らせていくことが主な活動です。
 しかし、沢山の人に知れ渡れば今活動している内容でそれぞれ必ずできることを見つける人が現れます。

 「考えねばならない問題なのだ」

 ということを、まず知っていく必要があるのです。
 全てはそこから始まるのです。
 「どうしたらいいの?」と聞かれても、初めて出会う、しかも世界初の問題にどう取り組んだらいいのか知る人などいるわけがありません。

 しかし、問題が起きている以上、考えていかねばなりません。

 人任せにしている現代社会は、考えさせると自分たちの首を絞めかねない誰かに結論を任せています。
 それは自分で考えて間違いたくないから、地獄の悪魔に頼もう、というような発想であり、賢い選択とは呼べません。

 助けが必要な人々は、まず人とつながることを大切にしてください。
 人は少なからず人情で動きます。
 一人と知り合ったら、その背景には必ず人がいます。
 その人が必要としていなくても、他では使える何かを必ず知っていたり持っていたりします。

 今目先のことで考えず、人と知り合っていき、その繋がりを失わないようにしてください。

 まず知ってもらうことが大切です。
 人は情報として認識に入れていれば、何かを見た時に必ず「思い出す」からです。

 知らなければスルーしていた何かを、問題が起きていると知ったならば「そうだ!これがあれば!」という閃きを起こします。
 その可能性を作るためにも、ただ季節の挨拶をするような、本当に小さな繋がりも大切にしてください。

 そして繋がりをより多く持つことで、心理学で言うセンス・オブ・コヒアランスを支える要因のひとつ、状況に対処していける感覚を持つことができます。
 つまり、小さな繋がりを大切に作り、それを続けることは自分自身の安心感につながるのです。

 心理的に不安が続く人は、望んだものがぱっと出てくることを期待し、それができないとすぐに捨てる真似を平気でします。
 人を大事にできない人は、人に大切にはしてもらえません。

 人を大切に扱い、尊重することは必ず自分自身の身に必要なものをもたらします。

 僕は各地の問題をできるだけ把握し、心理的状況を鑑みて様々なアプローチを試みていきます。
 それぞれに当てはまる場合とそうでない場合があると思いますが、誰か、またはどこかに必要だから行っていますので、その効果がやがて波となって全体を動かすことを期待してください。

 そしてそれぞれが行うべきことを、少しずつ行ってください。

 日本は心理的には既に壊滅状態にあり、人の心を見る人は殆どいなくなりました。
 心優しい人たちは依存され、嫌な思いをした挙句反論もできない状態に陥り、ノイローゼになり絶望して次々国を捨てています。
 安全だと思える人たちは、いじめをしたがる人にとってはやりたい放題やっても「許してくれる」ただのサンドバッグです。

 人が嫌がることがしたくて仕方ない人は、ストレス解消のためならなんでもします。
 嫌なことをされて更に自分の都合を押し付け、相手にただ嫌なことを我慢しなくてはならないと思わせる人たちが、この国を崩壊させています。

 優しい人だから、安心。
 その安心は、「いじめても安心」の人と、「不当なことをしないから安心」の人がいます。

 僕もよくやられていますし、生徒たちには僕も精神的に耐えられなくなったらやめるから、それまでに育ってくれよとお願いしています。

 精神的に幼児どころか赤ん坊の状態にとどまっている人は、説明により人の感情が決まると思っているので、例えば嫌なことをしたら言い訳することで相手は安心すると考えています。

 普通に考えれば、自分がどんなに嫌なことをされても「お前のためなのよ」「お前が大事だからこそやってるのよ」と言われて嬉しくなった人なのだと思いますが、実際には人に対して二重束縛のいじめをして、まずくなったら我慢させるの繰り返しをしている人です。

 しかし、そのような人は自分たちが如何に大きな波紋を呼ぶことをしているのかわかっていません。社会と全く繋がっていないからです。

 しかし、僕含め社会に身を投じ活動する方々は、今現在も同じ社会の問題に取り組み、互いの活動を見て励まされています。

 社会は皆が暮らす家です。
 共同体感覚がある人は、仲間意識を持ち、地域や職場の活動の中で力を合わせています。

 共同体感覚がより強くなれば、何かの繋がりから人と仲間意識を芽生えさせていくでしょう。

 どんな地域でも、何かの繋がりが必ずあるものです。
 共同体感覚を育てることを忘れず、個人的な問題だけでなく集団の問題について、皆で考えていきましょう。

 僕は元々家族に恵まれておりませんので、社会の中で皆さんと繋がりを持ち、同じ場にて力を合わせていくことを幸せに思っています。
 また、その中で信頼関係が結べることに喜びを感じております。

 皆さんの地元愛を再び取り戻すため、自身のホームページでも地域についてお話していきます。

Refresherぷらすの中で今後も様々なお話をしていきますので、無料または有料の会員登録を是非お願いいたします。

 可能な限り、一般に知れ渡ることのない話を含め皆さんにお知らせし、また教えていきたいと思います。

最上 雄基

会員の皆様にご報告とお礼 ~お知らせ~

会員の皆様へ

 いつもご愛顧いただきありがとうございます。

 当サイトの会員の皆様、また教室やワークショップ、ご相談などで関わって下さった皆様にご報告とお礼を申し上げます。

 この度、最上が目指しているところの「神経症の完治」を成功させることができました。

 最上が目指していた「成功」とは、以下の内容です。

 自分自身が存在しているだけで価値があり、また与えられた命に責任があると実感すること。

 自分の存在をご先祖様からのつながりを持って自覚し、自分が経緯の中に存在していると自覚すること。

 今まで認識していた「生まれてきた時から存在している家族」の認識が代わり、親兄弟が今までとは違う存在に見えること。

 自分は一人で自分の人生を生きている、他人とは関係ないと自覚し、自分の存在を唯一無二として感じられること。

 他人の気持ちを想像で、自分の感情は自然に沸き起こるものを感じ、同時に複数の視点による感情を感じられること。

 今を実感し、今起きたことを今感じられること。

 以上は成長に伴い自然に変化する特徴でしかありませんが、最低限そこまで導いてくることが最上にとっての成功であり、「目が覚める」でした。

 長い時間をかけ、独自に考案した方法を実践し続け、この度、目指していた成功を成し遂げることができました。

 まずは、今まで関わって下さった皆様に心よりお礼申し上げます。

 本当にありがとうございました。

 心血を注いできたと断言できるほど、最上も持てる全てを使い力を尽くして参りましたが、何よりも本人が心から苦しみから脱しようとし続けてくれたことが最も重要でした。

 「生まれてきた家の家族が、今までとは違う家族に見える」のですから、既に本人は生まれ変わったも同然です。しかし、目が覚めるまでは「過去が変わる」なんてことがあるとは信じ難いと思います。

 僕自身が体験してきた道のりを進んで行くよう、本当にあの手この手で成長を促してきました。足りないと思われる材料に気づいては様々な知識や体験を与え続けることで、最後には本人が一人で考え「気づく」ことに成功しました。

 本人的には「想像していた目が覚める」とは違うため、そんなに大きなことが起きたとは思えないようですが、何もかもについて視点は変わり、心理学で言うところの「意識領域の拡大」が成されました。

 「今まで一体自分は何をしていたのか」

 そのように感じられるので、正に寝ていた子が起きたかのように「目が覚めた」なのです。

 現在、既に目が覚めた本人の感想を少し紹介します。

 「私は毒親のブームに乗っかって、親への怒りや憎しみを増幅させてどうにもならなくなっていた。親に対しても本当にひどいことを言ってしまった。」

 「世間ではいいもののようにされているけれど、私はなんでもなにかのせいにしてもいい「あなたは悪くないのよ教」という宗教に入っているようなものだった。そんなことはない。全部自分のせいだった。」

 「これまでは自分が大玉の中の一部のような感覚で、みんな一緒に大玉の中で生きていて、その中で、誰が正しい、誰が悪い、と争っているような感覚だった。それが、ある時自分一人でポンとひとつの玉になって、全員がバラバラの玉になってはじけた。私は最初から一人で、他の人たちは私には関係ない他人だった。」

 本当に、よくここに到達してくれたと僕も心から嬉しく思っています。

 今は本人の中に確信できるものがあります。菩薩道五十二位で言うところの第一位、信。やっと入り口に到達です。

 既に成長しましたから、今までと同じ場面であっても同じ感情が湧いてくることもなく、同じ考えを持つこともありません。

 本人が生まれ変わりましたので、今までは険悪であった両親とも新しい関係を作り始め、特に敵視していた父親も機嫌良く対応してくれるようになったそうです。

 本人の心が変わり、親にはできるだけ元気で長生きしてほしい、悔いのない人生になるようできるだけのことをしたい、と心から思えるようになりました。

 本人が成長し、親を超えたからです。

 最上がここまで続けて来られたのは、遊びの中に発見を見出そうとしたユングや、かつての武家の生活に近いやり方を取り入れた森田療法の森田正馬先生や、世間の批判に晒されながら、バカにされながら、それでも自分が確信を持てる何かを求め、新しいものを考案し実践してきた先人たちに心を支えられてきたからです。

 自分が先人たちが生み出した物を使わせてもらいながら生きているのですから、同じようなリスクに晒されても、その恩に報いる努力をするのは当然だと最上は考えておりますが、今回の成功は最低限のことでしかありません。

 毒親のブーム、現在の臨床心理や精神分析学など、西洋から入ってきた「正しいもの」については方向性に疑念があり、このままでは「毒親から助かったと思いながら、社会の他人に救いを求める根無し草」という末路まで絶望的な道を進む人が多数生まれてしまうと危機を感じておりました。

 誰かに教えられたから正しい、などと他人に責任を擦り付けながら行動するのは無責任ですから、それが教科書に書いてあったことであっても、自分が実践する限り自分が責任を持たねばなりません。

 とはいえ、確実な成功を自分の力で成し遂げるまでは全てが保留、断言するには至れません。

 僕が携わるこの領域は、個人の人生どころか一族の命運を変えてしまう非常に重要な分野です。

 目が覚めた人は、今では最上が救いたいのは本人、そして親を含めた一族の系譜そのものなのだと理解していますが、最上の一族が世間でも稀なだけに「なんでもない普通の農民だった一族」でも可能であることを実践して自分に証明しなくてはなりませんでした。

 なんとしてでも一度成功しなくてはならないと思っていましたので、目標達成という意味では大成功でした。

 ここまでくると、道理を説くだけで本人が理解できるようになるので今までより遥かに楽だなと思いつつ、本人が「本当の喜び」を体験するのはまだまだこれからですから、やっと生まれてきた「意識」におめでとうと言いたいです。

 私は最初から一人だった。

 その通りです。

 あれこれ皆さんに説明しながらも、結果を出すまで断言できないこともあり、考えながら実践を続けてきました。

 「長く続けてほしい」と言っても実際にここまでたどり着くのはなかなか難しいことですが、今回目が覚めた人は最上より年上の五十代であったこともあり、この分野で言われている三十代が限界という常識もまた言われているだけだったと確認できました。

 知りもしないのに世間で正しいとされることを鵜呑みにし、確認を怠りながら生きないよう常々気を付けておりますが、お陰様で善き方向に進んでくることができました。

 強い力に離反しての今ですから、ここまでついてきてくれた本人にも感謝しております。

 争いの無い、弱肉強食の輪廻の輪から脱した方の今後の未来を祝福すると共に、今後は既に確認済みの内容を基に皆さんに必要なものを発信していけるよう力を尽くしたいと思います。

 本当に、皆さんありがとうございました。

2026年 4月4日

Refresher 代表 最上 雄基

完治させたら感動して泣くかと思っていたのに

 日記。

 心血を注いできたと断言できる神経症の完治だが、成功したら涙を流して自分が感動するんじゃないか、と思っていたが案外そんなことはなかった。

 そんなに感情は強く動かないし、「ああ、やっと終わった」「長かった、疲れた」という感覚だ。

 ただ、じわじわと感じるものがある。

 「やっぱり俺はこういう方がいい」と思った。

 完治した人は、自分でもこんなものなのかと思う程度なのだが、確実に視点は変わった。

 認知能力は上がった。賢くなった。

 自分の変化は自分には「経緯がある」ので、実際には自分の変化に感動などしない。

 「周りで起きること」に感動したり驚いたりするのだ。

 だから、自分が変化せずに生きている人は周りに喜ばせてもらおうとばかりしていて、自分が変化して「他人の手をいちいち煩わせない自分」になろうとしないのだ。

 やっと、この俺が天才であるとわかったか。

 と、聞いたが、もう疑いようもないだろう。

 天才は理解されないから天才なのであって、誰にもわかってもらえなくても結果を出すのだ。

 自分が正しいから結果を出すのではなく、そうなると「知っている」からそうなっただけだ。

 ただ、信じる人はいない。少なくとも神経症の人は僕を信じない。

 神経症の人は、僕だけでなく何も信じない。

 社会的に名のあるものを崇拝、盲信はしても、事実、今自分が体験している本物だけは信じない。

 自分が体験したら、それを誰かに説明してもらわなくてはならない。

 自分ではなにひとつ判断しない。他人に教えてもらいながら生きていく。

 だが、誰にも認められなくても誰も肯定しなくても自分の決断で進めなくては、自分の意思とは言えない。

 他人が認めないから、世間が間違っているというから、だから間違いだと判断するならそんなものは最初から自分の意思でもなんでもない。

 結果は出たが、僕はそれをどこかで認めてもらう気もない。

 僕が、見たかったのだ。

 確認したかったし、一度は間違いない成功を自分のやり方で成し遂げなくてはならなかった。

 僕がそうであったように、他の人も同じ材料を持ち合わせたら目が覚める、と確認したかった。

 そして確認した。

 外から見たかった。他人から見たらどう変化するのかを。

 普通、になった。僕から見たらそんな感じだ。

 洗脳されていた独りよがりな人が、まともになった。

 世間で目的とされているところと、僕が目指しているものは違う。

 僕は、「自分の存在、自分の命が大切なものなのだ」と自覚し、これからは自分の力を、命を、大事に使おうとするようになってほしかった。

 「他人との違いがはっきりわかるようになった」と本人は言っていた。

 人間は一度変わってしまうと、もう過去の感情は持たない。

 今の自分の感情しか、湧いてこない。

 よって、同じ親、似たような場面でも、今までのように腹は立たない。

 もう視点は変わっている。成長したのだ。

 だが、僕が教えてきた多くは「その後の段階の話」なので、これから先もある。

 これからは本人の体験が変わっていく。新たな苦を体験し、新たな喜びを感じることになるだろう。

 時々もう無理かもしれないと思ったし、こんなことをしたら批判のリスクは確実にある、とも思ったが、間違いなく必要なことのためなので、それでもやってきた。

 森田先生のように、我が一族にかつての力が残っていればできることも多かったのにと思った。

 森田先生もかつて独自に療法を考案した時は、保険も効かないのに多額の治療費を取り、家の中に住まわせ掃除などの雑用をやらせている、と悪意ある見方をされて批判にさらされたらしい。

 西洋医学を崇めている「現代社会の人々」には受け入れがたい、「日本らしいやり方」だった。

 精神医療は根本が西洋のものだ。療法も理論も、何もかもだ。

 日本人は今や西洋人の真似事をして、いかに西洋人に近づけるかという民族になった。

 自分たちを捨てた。その報いが今だ。

 自分たちが元々持っていたものを捨てたことすら、気づいていない。

 僕はその「元々持っていたもの」を自覚させ、意識の上での繋がりを持たせた。

 それは僕が天才だからやれているのではなく、元々我々一族が培ってきたものがあるからできることだ。

 幼児期から僕がやらされていたことが、修行なのだと自分では知らなかった。

 僕は小学生の頃に既に知能が高かったが、その思考になるように幼児期に既に鍛錬を積まされていた。ちなみに、姉はその鍛錬を積んでいない。

 だから僕の方が賢い。母は手遅れだった、と言われたらしい。

 今、目が覚めた人は今度こそ僕の話を聞いて理解できるようになった。

 これから益々賢くなるだろう。

 なぜ、現代社会の人たちが「なにかになろうとしているのか」を既に本人も理解しているし、本人は既に自分が誰なのかを自覚したから、もうなにかになろうとすることはない。

 そんなことは「したくない」だろう。

 自然にそうなるのだ。

 自分の力を持って、人のためにできることがあればしたい、と自然に思う。

 それが、成長したということだ。

 マズローの理論に照らし合わせて言うならば、欲求の階層は段階が上がり、利他的に生きる喜びを知れる段階まで来た。

 そういえば、僕もその昔、自分が変わったら自分が感動するような何かが起きると思っていたものだ。

 だが、自分自身については「常に理由がわかる」ので、特別大きな感動などなかった。

 ただ、過去を振り返り自分が何をしていたのか「他人に何をしてもらっていたのか」を自覚すると、強く実感するものはあった。

 沢山の人に与えられて今に至っているという実感が生まれ、自分のこれからを無駄遣いしてはいけない、と心から思った。

 心の中では「感じ入る」ものがあるのに、形の上ではいつも通り何事もなく、大きな何かがあるわけではなく、ただ、自分の胸の内だけで今までにはなかったものを感じるのだ。

 やはり、本物はこうでなくては、と思った。

 世間に認められてちやほやされるのではなく、誰もに見えるところで何かをしているのでもなく、その逆。

 漫画だってそうだ。

 いちいち脇役皆に見せびらかして認めてもらって成功、幸せ、なんて主人公がやることではない。

 人知れず、ここにいる「当事者」しか知らない。

 だが、世間では聞いたこともない、見たこともない、「教えられた誰もがやっているのと同じこと」をしているわけではないのに、どんなところに行っても体験しなかった結果が出る。

 この方が感動じゃないか。僕はこっちのほうがいい。

 西洋かぶれの貴族どもよ、見るがいい。

 これが日本が培ってきた力だ。

 毒親の子、は、毒親の子ではなくなり、今までとは違う家庭の子になった。

 生まれ変わった。これでいいんだ。

 遥か彼方からの繋がりを意識の上でも自覚すれば、今度こそ肉体に刻まれた能力を覚醒させられるだろう。

 ここまで結果を出さなくては、目が覚めた本人だって僕を信じはしない。

 そして驚くだろう。驚いていた。

 ここまで先のことを見越して、あの、何年も前にやってきた頃からずっとずっと必要な材料をあの手この手で差し込んでいったのだ。脳内に。感覚に。

 だが、この方法は、二度三度できるものではない。

 なにせ僕が、どうしても見極めて行かねばならないのだから、僕がいないとできない。

 少なくとも目が覚めた本人は「場を用意する方は大変なのだ」と理解することができた。

 そして人生を、残りの寿命をもう無駄にはしない。

 そういう生き方ができる人に変わった。

 俺はもう疲れた。どの道もう同じことはできないと思っていたし、これを最後にしようと決めていた。

 この一回を成功させて、何が足りないのかもよくわかった。確認できた。

 しかしこれは、誰もが教えられるものではないだろう。

 少なくとも、教える方は自分を自覚している必要があるし、たった今、金や地位のために自分都合で動いているようでは駄目だ。

 自分の存在を遥か昔からの繋がりで自覚している必要があるのだ。

 今回はたまたま、色んな条件が重なってうまく行った。

 社会ではひとりひとりの人生など知ったことではない。他の人たちだって似たようなものなのだから。

 だが、本人にとっては重大なことだ。

 本当に、気づいてよかった。

 やりきったせいで、もう僕が死んでしまうんじゃないかと思うほど、確実に間違いない、と成功を確認した。

 神経症は治る。治った。

 過去は書き換わり、本人の情緒も安定した。

 出口の無い暗闇をふらついていた魂は、やっと出口にたどり着きのろのろと這上ってきたのだ。

 「思ったのとは違う」ので、本人も不思議な感覚だろう。

 これが、「本物」なのだ。

「私は愛されなかった」とはなんなのか?受け身な人の悪質さ ~無料記事~

 なんとなくすっきりしない、腑に落ちない、と思っていることはいつまでも気になるものだ。

 何か身勝手な悪意を感じると思っていたことがある。

 「愛されなかった私」

 この解釈だ。

 愛されずに育った私。と、「私」が解釈している場合と、他人がそう思っている場合では全く違う。

 他人が「あの子は愛されずに育った、可哀想に」と思うのは同情心だ。

 自分が「私は愛されずに育ったので」と言う場合は、そのあとに何かの要求がある。

 「だから~なのです」は、言い訳だ。何かを受け入れさせようとしている。

 この解釈が、どうしても腑に落ちなかった。

 僕は「愛されずに育った」と思っていない。

 虐待されたとも思っていない。

 そもそも「親に愛されなかった」と嘆くならば、親は愛することができる人でなくてはならない。

 愛することができるのに、愛されなかった。これなら納得だ。

 好きな人に振られたようなものだ。

 しかし、自分が愛されなかったと言うならば、親だって愛されなかったと言える育ち方をしている。

 それで「愛されなかった」の解釈は親に対するいじめだ。

 愛されずに育ったから、私はどうなのか?

 私は愛することができるのか?

 愛されずに育っても、「愛する」ということが今できるのか。

 人間には、やりたくてもできないことがある。

 それを親にだけは許さない。完璧であることを強要し、いつまでも恨む。

 どんな環境でどんな育てられ方をしようが、「親なんだから子供を愛するのは当然だ」という勝手な決めつけで親を悪者にする。

 子供を子供が望むように愛せない親は悪で、子供が望むように苦もなく生きていけるようにすれば「普通」なのだ。