貧乏人の考え方 ~無料記事~
「貧乏人は月給で考える。金持ちは年俸で考える。」
さる富裕層の言葉を思い出す。
実際、経済的な意味でも、人生という意味でも、貧乏人の考え方と金持ちの考え方があり、最初から今後がどうなるかは考え方によって決まるのだとよくわかる。
残念なことに、金持ちになっている人でも人生そのものが貧乏人の生き方になっている場合が多々ある。
要は「どのくらいのスパンで物事を考えるか」なのだ。
僕は人生も生活も金持ちの考え方をしているが、一緒にいる人が貧乏人の考え方だとそっちに引きずられる。
僕は元々長い時間をかけて結果を出すことを前提に計画して生きているが、うちの母は月給で生きる考え方の人で、僕がやろうとすることをなんでも止めてかかった。
とにかく「堅実に」というのが母の意見なのだが、それは堅実ではなく「保証があるものにしがみつくだけ」なのだ。
今後は完全に会社に人生を握られることが先に確定し、何があっても違う道を選ぶことはできなくなる。
そんな生き方をするから、余計に先行きが不安になりますます今しがみつくものが正しいと思い込むしかなくなるのだ。
実際、母が勤めていた企業は大変なブラック企業だったが、会社都合で約束を反故にされることがあっても、母は辞めることなく勤め続けた。それ以外にどうにもしようがないからだ。
他に計画を立てることなく生きていたからだ。
そしてその生き方を正しいと信じ込んで、奴隷のように生きてガンが見つかってたった二年で死んだ。
月給で考える人間は、今、目先の安心を得たらもう何も考えなくなる。
月給で生きているかどうかの問題ではなく、月給で考えているかどうかの違いの話をしている。今はどうでも関係ない。
人生についてもそうだ。
「こうしなくてはならない」と思い込んで生きる人は、貧乏人生を生きる考え方だ。
心貧しく生きていく。
心豊かに生きていく考え方は、「こうでなくても方法はきっとある」だ。
僕も今まで、身近にいる友人たちと力を合わせようとしてもしても無駄だったが、単に人の身になったり仲間になったりできないだけではなく、元々貧乏人の考え方の人たちだったのだ。
貧乏人は、教えられたことしかやらない。
既に知っていることでしか計算しない。
新しく生み出して計画していかない。
例えば、今ここに100万円あったとする。現実的にはちょっと少なすぎだが、まあイメージで考えてほしい。
すると貧乏人は、先のことを考えてその100万円を貯金して、今後必要になるときのために取っておこうと思う。何かあった時の備えなのだ。

しかし、これは正しいようでいてそうでもない。
確かに備えは大事なのだが、これはあくまでも「受け身で今を続けた場合の備え」なのだ。
「受け身で生きないための準備」に使わない。
金持ちは「この100万円を使って、2年後に今とは違う日々を送るためにどうすればいいか」を考える。
未来が今と同じだと最初から考えない。最初から向上していく姿勢しかないのだ。未来に向かうために使うことを考え、「やってくる未来」のために使わない。
金は持っているのに生き方だけ貧乏人。これが現在の富裕層に多いタイプだと思う。
最初から決められた枠組みの中で生きるので、金持ちの思考自体は維持という形で受け継いではいく。しかし心理的な不満が溜まっていくから、金は持っていても不幸、という人生になっていく。
そして夢を見るために金を使うから、真の貧乏人たちからどんどん吸い上げていく、という流れになっている。
生きるという意味で金持ちの考え方を持っていけば、今がどうでも心は豊かになる。
社会的な成功と心理的な成功は反比例しているわけでもなく、内面的に成長するならば仕事ももっと違うことをやりたいと思うものだ。
どちらも発展していくのが自然だ。
とにかく、どちらの貧乏人についても共通していることは、「長期の計画で生きようとしないこと」なのだ。
生活も人生も何もかも不安で人にしがみつきたい人は、どこかに隷属して生きていく。
その生き方を変えようとしない。
今の自分が頑張って「自分が持たないもの」を持っている人から欲しいものをもらって生きようとする。
乞食の根性だ。
人間なのだから、考え方を分けてもらって自分の場合はどうすればいいか考えればいい。
社会的には成功しているようでいて、一流企業で隷属している父親が沢山いる。
すると社会では隷属して生きているから不満が溜まって家に帰れば殿様扱いを要求する。
母親は父親に隷属していて、子供たちに不満を漏らす。
子供たちも父親にまた母親に隷属していて、不満を抱える。
そしてそれを外に出て発散させようとするから、金持ちの子も心は貧しくなっていく。
例えば、最近の話ならば、ジャパネットタカタの社長。長崎佐世保の小さな町のカメラ屋さんから一代で今の企業を作り出した。

町の小さなカメラ屋さんならば、「最近はカメラ屋に来る人も少なくなったな、そろそろ店もおしまいかな」と考える人が多いだろう。量販店が次々出てくるようになれば、町の小さなカメラ屋さんは儲からなくなる。
それは致し方ない「時代の流れ」と考える人の方が圧倒的に多いだろう。
だが彼はそう考えなかった。どうすれば売れるのか考えた。
妻と二人、大変な苦労をしてやってきた時期もあるという。
それでもその現実的な困難を前に進むために乗り越え続けてきたから、今があるのだ。
いま名前が思い出せないのだが、最近地元スーパーのことをワークショップで調べていた時に、東北地方で知られている調味料メーカーの道のりを知った。

思考錯誤を重ねて作った力作も、どこに売り込んでもダメ、という時期があったそうだ。それでも改良を重ねて自信作を世に送り出し続け、やっと人づてに広まりはじめ注文が入るようになった。
そして、遂に他所からとても大きな仕事の計画が舞い込んできた。そのためのリスクも大きく、失敗したらもう生きてはいけないというほどの大金を投じなくてはならなかったため、決意してやると決めたものの、うまくいかずに眠れない夜を過ごし続けたこともあったという。
自分には身に余ることを引き受けてしまったんじゃないかと思ったこともあったそうだが、不安を抱えながらもとにかく必死になって乗り越え続け、やがてはより大きな企業になっていった、という話だ。
今成功している人たちも、傍から見ても「成功者」にはなっていない時期があり、社会的に成功者と呼ばれる今に至った。すべてはそこに至るまでの経緯がある。
新しい道を自分自身で切り開いて進んだ過去がある。
しかし、多くの人は最初からそのような生き方をしない。
金持ちになりたいなー、成功したいなー、という願望を持ちながら、考え方は貧乏人のものだ。
生き方が、決して豊かにならない生き方なのだ。
心理的な意味でも同じだ。心が貧しいまま生きていく考え方をしているし、そうなる行動を重ね続ける。
「幸福も不幸も複利で増えていた」
精神分析学者の言葉だ。
幸福な人はますます幸福に、不幸な人もどんどん不幸に。どちらも複利で増えていた、と。
それは当然なのだ。
なぜならば、僕たちは生きる以上日々の積み重ねをしなくてはならないからだ。
たった今、この1日をどう考えてどう生きているか、その姿勢は明日に続く道へと進んでいく一歩なのだ。
どんどん貧乏人になるべく生きている人間が、なんとかして金持ちや心豊かな人にしがみついて、他人のものをもらおうとする。
しかし、どちらも自分自身で生み出していけばいいものであり、自分の力を使わずに生きているからこそ、他人のものをあてにして生きる今の自分を作り出しているのだ。
時間が止まることなどないのだから、少しずつ年老いていくのと同じで、中身の積み重ね、考え方の積み重ねも長期間かけて良し悪し関係なく熟成されていくものなのだ。
多くの人は「わからない」から「どうしようもない」と考える。
しかし、自分自身が知らない、わからない、は「どうにもできない」ではないのだ。
なんでも知っているかのように生きていると、もう欲しいものも手に入らないと思うから、それでも諦めきれずに他人のものをあてにする。
自分をあてにして生きる考え方、金持ちの考え方で生きていけば、今がどうであっても少しずつ進んでいけるのだ。
考え方は今の、今日の行動を作る。
よって考え方を変えていくことができれば、生き方そのものが豊かな道になるだろう。


