幸せになれない人は、不幸じゃない ~無料記事~

 「不幸になれる者だけが幸せになれる」

 誰が言ったのだったか、西洋の学者が言った言葉です。

 今、「幸せになろう」としている人たちは、ほぼ確実に不幸じゃないです。

 例えば、親に愛されなかった人。不幸じゃないです。

 不幸なのは親の方でしょう。伴侶が問題ある人でも、不幸なのは相手の方でしょう。

 「幸せになれない不幸な人」は、少なくとも本人が自覚する限り、自分には問題がないんですよ。

 私はいじめられている可哀想な人、かもしれませんが、私自身は頑張り屋で、優しくて、いつも人のためを思っている「いい人」なのです。

 なのに、幸せになるために「誰か」を変えようとしているんですよ。

 相手が問題ならば、不幸なのは相手の方です。

 こんな状況を想像してみてください。

 あなたが通う学校のクラスメイトに、歪んだ性格の子がいます。その子は友達を大事にしません。友達をいじめます。

 そして、あなたはその友達にいじめられています。あなたはそれがとても苦痛です。

 さて、この状況、あなたが幸せになるためには、その友達の性格が直らなくてはいけないのでしょうか?

 あなたには問題がないならば、他の子と仲良くしていけるので問題はないでしょう。大人しくても引っ込み思案でも、逆についつい出すぎてしまうところがあっても、その程度は性格の違い程度ですから特に問題になりません。

 逆に「性格が歪んだ子」は、これからも誰とも仲良くなれません。友達をいじめますから。

 不幸なのは、その子の方です。

 この場合、あなたは不幸ではありません。

 不幸な人がいるならば、慈悲の心を持って離れてあげればいいのです。

 嫌な目には遭ったかもしれませんが、あくまでもその人の問題です。自分には関係ありません。

 結婚しても離婚すればいいです。自分はまた次に誰かと出会えるでしょうし、一人に戻っても問題はないでしょう。

 誰かのせいで今不幸になっているならば、一人の時は不幸ではないです。

 相手と関係のないところでは楽しく自由にやっていけるのですから。

 「不幸になれる人」は「不幸の元凶は自分だ」とわかる人です。

 だから、不幸になれた人しか、幸せにはなれないんです。
 不幸じゃない人は、自分は何も変わりません。自分に原因がありませんから。

 これだけ人間がいるのだから、性格が悪くて嫌われている人もいるでしょう。
 不誠実で恩知らず、人のためには何もしない人もいるでしょう。

 しかし、それで自分が不幸になるならば、学校でもクラスメイトの全員が等しく心優しい人で無い限り、誰一人明るく楽しく学校生活を送れないでしょう。

 そして人格の問題は親のせいであるならば、全ての親が愛する能力を持っていないと、誰一人楽しく生きていけないでしょう。
 親のせいで不幸な子が一人でもいる限り、クラス全員が不幸になるのでしょうか。

 全ての親が愛を与えられない場合、その子供たちは同じように愛を持たない大人になります。
 そのまた子供も愛を与えられないのですから、また不幸な子になります。

 一体誰が何をどうすれば、幸せになれるのでしょうか?

 不幸の元凶がどこにあるのか、それを自覚してはじめて「自分自身の力で幸せになる」が可能になるのです。

 人のせいで不幸だと嘆いている人は、どんなに頑張って他人を変えようとしても、幸せにはならないのです。