僕は、自分で確認していないことはなんとも言えません
確認した上で、これはどうにもならんと思いました
「私の話を理解して従うかどうか」
そこにしか価値が置かれないんだなあと、加藤諦三先生を見ていて思いました
はっきりと言われません
全ての説明は「途中まで」なのです
結論は言われない
「こうしたいんだけど、君はどうしたい?これはできる?」
そのような確認は一切ない
「君の能力は誰もが持っているものではない!」と強く訴えられる
そして「神経症の人たちにこうしてやらなくてはならない」と本人の結論を言われるものの、その理由はない
他人を存在させない
人のことを漠然とした形の誘導で、気分で動かそうとしている
周りは「一体なんなのか意味がわからない」まま動いている
この「一体何が起きているのかよくわからないまま生きている不安」が、皆さんの不安な日々ではないでしょうか?
すごい不安!
実際体験してよくわかりました
ものすごく不安
ものすごく不安だけど、その中でも他のことは進むから自分でもどう答えればいいのかわからない、責任を持って進めない状況が続きます
「この人が早く何をしたいのか、はっきり言ってくれないとなんとも言えない」
そんな状態がずーっと続きます
僕が最初に思ったことは「この先生にみんなで引導を渡してあげたら終わる」でした
彼は感謝されたい
しかし、感謝して本当に終わった人たちがいない
できない完結に向かっているから
これは困った話だなと思いました
しかし、こうした話を書いているのは別に加藤諦三先生への文句というわけでもないのです
僕は本人に直接言ってきていますから
ここは大事なところです
僕はいちいち、思うことあれば率直に意見してきています
それを無視されてもなんでも、とにかく伝えてきているので恨むとか嘆くとかいうことにはならないです
ただ、本人が答えを出さないまま進んでいるのに、それに続いていくのは不安しかないですね
「どうなるのこれ」「いつ終わるの」
皆さんもそんな風に思うのではないでしょうか
なぜなのかわからなくなっていませんか
最初から明確に目的が決められていないからです
「~するのは、良いことだ」「~はこうすべきなのだ」
それで?
だから?
それは理屈の話です
だからと言って、それぞれに現実があるのだから何をしていくかは「現実的なゴール」がないと何をすればいいのかわからないです
悩んでいる皆さんは、嘆いているし、本当に我慢しながら「良い子」を続けている人もいます
しかし、終わりがない
不満の方に気を取られていて、自分自身でも「明確なゴールが最初からない」ことに気づいていない
どこに向かうために始めたことなのか、わかっていない
勿論、本人にわかるわけがないです
本人が始めたことではないのですから
だから「我慢して良い子にしていれば、いつか幸せになれる」なんて思っているのです
なんだかわからないけれど、そうしなくてはならない「状況」に追い込まれていたから
仕方なくやり始めたことです
そして「答えは親が出してくれる」ことになっています