一番大事なことを書いておきます。恋愛のみならずですが、特に恋愛では確実に相手が離れていくことなので、覚えておいてください。
大事なコミュニケーションの「秘訣」です。
相手を変えない。
相手の言うことやることに注文をつけない、ということです。
相手を自然体のままでいさせられないと、確実に相手は自分といて窮屈になります。
どうしてもという時は、必ず自分が身を低くしてお願いすること。相手に罪悪感を与えない。
相手の言動に嫌な顔や態度を取らない。これは普通にいじめをする人です。やめた方がいいです。
皆さんはお付き合いをしたらどうしても「普通の流れ通りに頑張る」のではないでしょうか。
僕は最短翌日に別れを告げたことがありますが、一週間以内に別れることも沢山ありました。
そんなに早い段階で「え!なんで?!」と思うことがある。時に信用ならないことをする人がいます。
付き合った、となった途端にがらりと人が変わることもあります。
いきなり威張りだしたり、今まで言わなかった注文を付けるようになります。そんな時は即別れていいです。
頑張って話し合う必要さえありません。別れなんて一方が嫌になったら来るものです。だから慎重に相手を尊重する必要があるのですから。
もめて不満をためて関係を続けようとしないことです。
相手に注文をつけない、と書きましたが、相手のいつも通りを変えさせないということです。
この人がどういう人なのか、それを知りたいのが「好き」という気持ちです。
自然観察と同じように、相手に自然体なままいてほしいのが本当に好きになるということです。
逆に、「好きだったら嫌がることしないでよね!」と自らあれこれ注文をつけ自分のご機嫌を取らせたい人もいます。気に入られるように行動してほしいということです。
これは「王様扱いしてほしい人」です。
そんな人もいますよ。
しかし、このコミュニケーション能力は、まず「同性の友達から」で始まります。
同性の友達同士で友情を深めていること。それがまず第一です。
「そんなこと言われたくなーい」「そんなこと頼んでなーい」
本当にこんな幼稚な人もいました。それが相手の自然を許さない人です。
自分のオーダーに合わせて、それも「言わずともわかれ」でご機嫌を取り自分を上機嫌にさせてくれる。それが恋人であり、「愛される」だと思っている人もいます。
対等な関係は元々望んでいませんが、そのような人は自尊心が著しく低いです。
一緒にいるだけで勇気や意欲がわいてくる!そんな相手を選んだほうがいいです。
とにかく、友達と同化ではなく違いを認め合い友情を深めていること。
これについても今まで散々話してきたことなのですが、まずは友達からです。
友達から。自分とはまるっきり違うタイプの友達と仲良くなる。それを目指しましょう。
相手をそのままにして、それでも仲良くできるかどうか。
そうなるとコミュニケーション能力を高めるしかないのです。
自分に最初から似た人としか仲良くなろうとしない人は、いつまで経っても人間として成長していきません。
ぬるま湯に浸かった人間関係を作っていると、顔もしまりが無くなります。
そこに魅力がありません。
争うのではなく、憎しみ合いをするわけでもなく。
互いに相手を尊重する関係を作る努力をするのです。
例えば、話術により話題を変える、冗談に変えるなどの能力が必要になってきます。
誰も罪悪感を抱えなくて済むやり取りが必要なのです。
人間は「自然体でいられない相手」が嫌いです。その人が何をしてくれるとかそんなことはどうでもいいのです。
「この人といる時の自分が楽かどうか」
そこが大事なのです。
そして自分が楽になるように相手に求めるものではありません。
自分が相手が楽にいられるように努める。
そして自分が窮屈だと感じるならば、離れる。
その人の能力を、付き合ってから高めるなんて無理ですよ。
その人はその人で何十年も生きてきて今があるのですから、原因は過去にあり、過去がなければその人になりません。
そしてその人はその人で、必要な人なのです。
これは恋愛関係になるときの話です。
最難関ですから、相当勇気が必要になります。
しかし、他人はひとりひとり違いますから、ひとり新たな友達ができるたび、ひとりお付き合いした人が増えるたび、どんどん自分が成長していくことはできるのです。
「成長のチャンスを無駄にしていないかどうか」
そこが大事です。チャンスが来ても、そこで成長する気がなく相手に甘やかしてもらおうとすればどんどん堕落していきます。
自分が嫌なことは相手に伝える必要もありますが、そんな時は先に述べたように相手が悪者にされないように身を低くして伝える。
そして相手のどこが嫌だなんてことは言う必要がないことです。
おかしな人は、最初から人のしていることにケチをつけながらお付き合いしようとします。
極端なサディストです。
支配欲が強すぎる人は、いきなり支配から始める恋愛をしたがります。
相手が心の中で自分に遠慮しておびえていれば、自分の気に入らないことをしなくなるでしょう。
それを狙ってやっています。
個人的には、もう少しロマンチックなことでも考えたらどうかと思います。夢がない男女は気持ちは湧いてこなくてもいいのです。
死ぬまで恋愛の喜びを知ることはありません。
可哀想な人たちなのです。
しかし、皆さんは向上し、より幸福な感覚を体験してください。
真似っこの恋愛は全体的に違います。どうしても勇気が出せない人は本物の体験ができないのです。
自然なままで相手がいられるようにしてあげる。それが自分自身の恋愛力であると考えていいでしょう。
どうしても自分が無理だと思えるならば、自分が相手に相応しくないのです。
そのままでも平気な人はどこかにいます。その人がいる限り、その反対側に存在する人が必ずいます。
だから無理する必要はないのです。
僕は恋愛関係になりそうでならないを長いこと繰り返してきました。
好きと言っただけではダメなんですよ。
付き合いたい、仲良くしたい、などの願望を口にするかどうかではなく、そこで「じゃあ付き合ってあげるね」の答えを待つ態度があるならば、もう自分が親になって構うくらいの広い心がないと耐えられないでしょう。
しかし、本物の関係が作れている、と思い込みたいのですから、それはそれで練習でも本物だと思わせてあげるくらいの気持ちがないと付き合ってはいけないのです。
両親の存在は大きく影響していますが、本人自身がどうあるかはやはり親のせいではありません。
過去にどんな体験があろうが、今していることの言い訳にも責任逃れの理由にもならないのです。
様々な過去があり、そしてその困難を乗り越えた本人が「この人」ですから。
誰もが勇気を出して困難に立ち向かえるわけではありません。
ですから、誰もが手に入れられるものではない、という感動や関係があるのです。
常に、自分に見合ったものしか手に入らないですから、それは人間関係においても同じことなのです。
友達が全然いなかった自分でも、そんな私をいきなり見初めてくれた人が今まで他人が認めてくれなかった魅力に気づいてくれて…。
そんな妄想をする人がいますが、そんなにすごい魅力があるならもうとっくに今まで出会った人たちに愛されていたでしょう。
何かひとつでも、これだけは手に入れたいと思うもの、勿論本音でそう思うもののために精一杯努力していくとよいでしょう。
まず、家族が不仲だった人は、家の中で当たり前のように意地悪やいじめが起きていたことでしょうから、何が意地悪なのかを考えることです。
意地悪はしない人は全くしないです。
全くしない人同士でなくては、上手くいかないのです。
片方は寛容で、片方は卑屈で意地悪だ。このカップルは幸せになれません。不幸な人は寛容な人、となってしまうでしょう。
性格の悪さは、今ここにいない誰かの話、問題が起きた話をした時にすぐにわかるでしょう。
今ここにいないからと言って、いじめをするように問題ある人を責める言い方をする。その意地悪な言いぶりは聞いていて気分が悪いと思いますが、意地悪な人は他人の話に同意しているから相手は嬉しいとさえ思っていますから、治ることはありません。
普通に考えて、性格が悪いままで性格がいい人と一緒になろうとはしません。
しかし性格が悪い人は性格が悪いからこそ、相手の幸せを考えません。
先に述べたように、友達のことを思えば自分がどんどん寛容になりその場を明るくする人に変わることもできます。
まずは友達から。
友情を育むためにも、悩んだり葛藤したり、沢山の困難があります。
時に言い合いになっても仲直りできた友達がいれば、無二の親友にもなれるでしょう。
「そんな過去ない」と思っている人はいるでしょうか。
ないならば、その努力をしなかったのでしょう。努力しなければそんな過去はあるわけないです。
しかし、いくつになってもそこからしか始められません。
年によってステップ飛ばしをしようとすれば、無理してできもしないことを望み、人にも迷惑をかけるだけなのです。
一番よろしくないのは、「卑屈」ということです。
うまくできないことに傷つく「権利」は、努力した人にしかありません。
僕は人を見ていて「話していて楽しい人、クラスでも仲良くなるのがうまい子」と仲良くした試しがないのではないか、と思うことがあります。
僕が子供のころに絶望的な敗北感を味わった時のように、卑屈で意地悪なコミュニケーションを取る自分の家族の想像も及ばないレベルの人たちが存在します。
彼らは彼らで大変な努力をしてそこまでたどり着いているのです。
決して相手におんぶにだっこで迷惑をかけながら許されようなどと思わないことです。
人生のチャンスが来た時に、生まれ変わる力は勇気です。
新しい世界に羽ばたくならば、わからない未来に突き進んでいける勇気が必要なのです。