「やっぱりお母さんが正しかった!」
そう言ったのは、バーでいつも自分より若めの男に絡む女。
若い男を捕まえては、マウントを取りにいき、説教をしている。
「正しいこと」を教えているのだ。
その女、元々母子家庭で母親とは大層仲が悪かったそうなのだが、外に出て何人かの男と暮らしたり付き合ったりした後、すべて失敗しこう思ったのだと言う。
「やっぱりお母さんが正しかった!」
私は結婚に向かない、と思ったらしい。
母親と敵対し、母親とそっくりになり、母親と似たような人生を歩み、最終的にそれらの失敗が自分のせいだと受け入れられず、全て相手のせいにした結果が「お母さんが正しかった」なのだ。
お母さんが何を言ったのか詳細は聞かされていないが、「男っていうのはこういうもの」という偏見を植え付けられていたらしいことはわかっている。
離婚しても相手のせいにする女は、別れた夫、つまり父親の悪口を聞かせてくる。愛の失敗を受け入れられるほど自尊心が高くないから、男が如何に悪いかを「教えて」くるのだ。
その経験は僕にもあるが、その女は母親に反発して若い頃に家を出て行ったらしい。
そして今では、母と二人きりで生活していると言う。
何を言う時も、どこか怒った様子で話す。
僕は、この女はバカなんだなと思った。
母親そっくりになって母親と同じ人生を歩めば、同じ結論に至るのだから先に生きた母親の結論を「正しい」と思うのは当たり前だ。
厳密に言えば「同じことを思った!」だろう。
娘に気持ちをわかってほしがっていた母親なのだから、人生を投じて娘は母親の望みを叶えたに過ぎない。
母親は「やっとわかってくれた」と満足することだろう。
人の気持ちを理解するためには、同じことをしてみる必要がある。
想像可能な範囲内になるだけの行動をしてみないと、人の気持ちはわからない。
本人が何も考えずに欲求のまま生きていれば、自然とそうなる。
成長しない、変化を拒む、ということは、もう一度母親と同じ人生を繰り返すということだ。
新しい命を授かって「生まれ変わって」も、同じ考え方、同じ人格でもう一度人間の世を同じように生きる。
命は精神とは関係なく、生まれたり老いたり死んだりできる。
だが、精神は精神的に向上しない限り、生まれ変わることがない。
こうした話を聞くにつけ、親は自分の前世とはよく言ったものだと思う。
根拠なく、「他人が望みを叶えてくれる」と思い続け、「やってみないとわからない」と何度命を与えられても欲を捨てられない。
「~さえあれば」
今しあわせにならない母と娘は、似た者同士くっついて生きていくのだ。
他人ではなく「同一の存在」として、一体化して生きていくのだ。
更にその女、部分的には正しいことを言う。
「愛するって言うのは、能力なんだよ。ない人もいればある人もいる。だからある人が私みたいにない人たちに与え続けてくれればいいんだよ。」
愛するのは能力、それは正しい。
しかし、愛する能力は自らの力で育てていくものだ。
愛のない人に与えても与えても、愛情は無くなることがない、と思っている、一方通行のもらうだけの関係を求めている、完璧な愛情搾取型の人間だった。
そして、全く内面的に成長しなかった人だ。
何かについて話していれば、相手の考え方を知る。そこで相手の人となりというものもわかっていくから、雑談する能力は必要なのだと先日雑談のワークショップでも説明した。
いちいち深く関わらなくても、こうした話を聞くだけで「この女に関わるのはやめよう」と僕は判断する。
しかし、絡んで絡んで本当に面倒くさい女だから、出禁寸前になっていることは知っているがそれにしても「会いたくないな」と思う。
それでもバーには寂しい中年男が多いから、自分で考えて決められない男たちは「勝手に決めつけてくる偉そうな女」を「頼りになるお姉さん」のように感じ、話を聞いたり時にどこかに誘う男もいると聞く。
彼女を「頼りになる」と感じる男は、そもそも社会で権威の言うなりになって生きているような男だ。
そしてどうしたらいいのかわからないまま生きている時に、寂しくなってバーに行けば「決めつける女」に出会って依存する。
派生していく流れを見ても、やはり自分で考えて自分で決めて、そして責任を持って生きていくことの大切さをより実感するばかりだ。