もう終わったのだ。
何もかも、親に愛されないという事実を受け入れ、復讐の道を選んだ時にすべて終わったのだ。
親を恨みすぎてしまって、「可哀想な自分」に寄り添ってもらい、自分の気が済むようにしてもらうことくらいしか、考えることはないのだ。
人間どもに自分が満足いくことをやらせる、または「特別な私」が他人に何か「してやる」のだ。
普通の人は、自分如きに大それたことができるなんて思っていない。
人間だからだ。
だが、特別な人は、自分が特別であるが故に、他人に対して「人間には不可能なこと」を求める。
言えばできると思っている。
人間がわからないから、やる気がないことはできないとすら思わない。
人間が理屈で動いていると思っていて、感情があると思っていない。
自分にだけはあると思っている。
自分だけが特別な存在だと思っているから。
親とも他人とも違う。自分だけが特別な存在で、他は「理由なく生きている存在」だと思っているのだ。
だから、人間として生きている人は感じられる喜びが感じられない。
人を意のままに操れると思っているから、他人が思いやりでしてくれたことも当然と考え感謝もできない。
感謝しないから、生きている喜びも感じられない。
親を恨むと地獄に落ちると言った人は誰なのか知らないが、重要な本質を教えた言葉だ。
その親から生まれてきたのに、現実的に想像して自覚しなかったのだ。
言葉ではわかっても、想像して自覚しなかったのだ。
言葉で聞いたことは、現実的に想像して考えなくては本当に理解することはできない。
だが、それをしてしまうと「特別な私」の存在が崩れ去る。
いつまでも特別な存在であるために、想像力を身に着けてはならないのだ。
しかし、ここまで自分の親に対して情が湧かないものだとは知らなかった。
親を道具のように思っていて、人だとすら思えていない。
親を恨むだけ。
自分は空想の世界に浸り、人と共に生きる気がない。
夢見てうっとりしながら、生きた人間は蔑ろにしていく。
特別な存在がやってくるまで、現実に出会う人間たちと共に生きる気がないのだ。
僕にできることなどない。
僕は親を信じて生きる道、人を信じて共に生きる道を進んできたし、自分がそうしたいからしてきた。
親に愛されないという事実を簡単に受け入れ、恨む道を選ぶ人たちにできることはない。
自分が望んだとおりにしてくれなかったことを恨み、「あの時」のことを反省させたい。
それだけなのだ。
「なぜ、あんなことをしたのか」
それが気にならないのだ。ただ許せないだけなのだ。
自分の親を信じないのだ。
だから地獄を生きているのだ。
人が人であることを受け入れられないからだ。