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特別な存在を求める人は既に失敗している

 真面目に、「自分を作っていくため」の方法を考えましょう。

 「私をわかってくれる特別な人」を求める人は、是非聞いてください。

 自己を生み出すことに失敗している人が、本気で自分の人生を始めたいならば確実にやらなくてはならないことです。

 「まず、大人数からはじめる」

 人数が多いと、自分が「その他大勢」になりますよね。

 特別な存在を求める人は、大人数の中にいるのが苦手、一対一の仲良しが欲しい…と思うのですが、それが間違いです。

 最初から間違っています。

 一対一の関係は、他人との関係においては「最高に難易度が高い関係」です。

 その関係をいきなり欲する人は「特別私をわかってくれる誰か」を求めます。

 それが既に退行なのです。

 当たり前に始めなくてはならない「その他大勢からのスタート」から逃げた人の姿勢です。

 どこまでいっても、他人は他人。

 その他大勢の一人としてしか、他人は認識してくれません。

 いきなり出会った人が「この人は特別」に思えるのは、勘違いです。

 相手から見て自分は「沢山の中の一人」です。

 そこから始めるしかないのです。

 事実、そうだからです。

 大人数の関係から逃げた人は、「自分って大人数が合わないから」と思いがちですが、そうではありません。

 その「苦手」は、特別な関係になろうとしている人が「うまくいかなかったらどうしよう」などと恐れるものです。

 なんでもない人として、なんでもないやり取りの中でうまくいく。

 それが始まりです。

 それができない人が特別な関係など作るのは不可能です。

 どうあがいても、誰もが通らなくてはならないものです。

 僕も特別な人を求めたころがありました。

 しかし、適応能力が高い子に母親代わりをやらせていたら、相手の自由を奪い僕が甘えるばかりになり、おんぶに抱っこでやってもらっているのに「相手は自分を好きなのだ」と勘違いした上に態度は傲慢になっていくばかりでした。

 そして僕自身は大人数の中ではうまくいかず、自分に合わせてくれる子でなくてはやり取りもできないようになっていきました。

 そこで依存していた相手のことを真剣に考え、相手の自由を尊重したからこそ、「なんでもないその他大勢」から始めることができました。

 大勢の中に入りながら「自分だけ特別」を求めるからうまくいかないのです

 人間は特別な存在である本物の親と共に人生をはじめます。

 そして、「特別わかってくれる人」が家の中にいて、外にいるのは「その他大勢」です。

 特別わかってくれる人の支えがあり、外に出ると「なんでもない人のひとり」としてはじめていくのです。

 いつか特別素敵な関係を作りたいと思うならば、そのスタートを切らなくてはなりません。

 大人数の中で「その他大勢の一人」としてうまくやっていけるようになれば、もう余計なことは考えなくなります。

 それが現実なので、現実に大人数とうまくやれるようになるととても楽しくなります。

 実感が湧いてくることにしか、心から楽しいなんて感覚は感じられません。

 不幸な人は「実感」を得ていません。それが人生が楽しくならない原因です。

 今していることが心から楽しいと実感できるようになれば、もう社会的に理想かどうかなどどうでもよくなります。

 何より、「特別な関係」でありながら楽しくも嬉しくもないという体験は、散々家の中でしてきたでしょうから、そんなものはわざわざ外に出て他人とまで作らなくてもいいのです。

 家の中に戻れば、最高に特別な関係である「親子」の関係があります。

 その関係の中で最高に特別なのに楽しい実感もなく、形だけは良いことが起きるという体験をすればいいのです。

 外に出たら、本物の実感を伴う関係を作ればいいのです。

 そのために、「大人数が苦手なので、特別な人が欲しいです」をやめなくてはなりません。

 大体、矛盾しています。

 大人数=自分はその他大勢の一人

 なんでもない人として、なんの期待もされない立場です。

 その程度の立場でもあれない人が

 特別な人=特別相手を理解して受け入れなくてはならない存在

 こんな難易度の高い人間になれるわけがありません。

 しかし、そのようなことを求める人は自分が何者になるのかを考えていません。

 相手が特別自分を理解してくれる人、自分は相手に良い人、素敵な人だと思われるように頑張る人。

 自分はしてもらう一方の「赤ちゃん」になりたがります。

 「私は良い子だよ!こんなに優しいよ!見て!見て!こんなことがあったんだよ!」

 それが特別な関係になるために必要なことだと思っています。

 絶対に無理です。

 既に存在してしまっているのだから、相手は生まれた時から特別な人になどなり得ません。

 その他大勢と、まず仲良くやっていけるよう自分の本物の人間関係をスタートさせるのです。

 「友達100人できるかな」の歌のように、まずは沢山の子と仲良くしていく方が先です。

 特別親しくなろうなんてことは、特別親しくなっても平気なくらい「自分自身」が育ってからにすることです。

 その実力がないのに、その関係を作ることは不可能です。

 実力がないのに特別な関係を作ろうとすれば、自分に合わせて相手に言うことを聞いてもらうしかありません。

 その関係は特別「ダメな関係」であり、関係の失敗、なんにもならなかった関係です。

 相手に合わせてもらって、自分の都合に合わせて作ってもらった「特別な関係」などありえません。

 そんな関係は、ない、のです。

 僕ならできない、と思うことがあります。

 「この人は他の人に対しても、恋人になったらいつもこのように接しているのだ」

 ととても思えない自分に対してだけの接し方をさせて恋人になろうとする行為です。

 そんな情けないことは、僕はしたくありません。

 例えば、僕が愛した恋人がいます。

 その人が「完全に僕に合わせた対応」をしてくれていて、他の男と付き合った時には全く違う「母親ではない、女の顔」をしている。

 自分に優しくしてくれても、自分に合わせてくれていても、好きだと言ってくれても、そんな関係は嫌です。

 それは、僕が相手に子供として見て欲しいわけではないからです。

 自分をなんだと思って欲しいのか、それにより相手に対する接し方が変わります。

 相手が、僕に対して恋心を持っていて欲しいのです。

 僕一人で憧れていたいわけではないのです。

 僕に対して優しい母のような存在になってもらったら、相手がときめくような恋心を持てるわけがありません。

 母と子のやり取りをしながら、恋愛感情を持っていて欲しい。

 そんなことは不可能です。

 「怖いから特別扱いされながら、でもみんなと同じものが欲しい」

 これは生きることの否定です。

 生きるからには確実に避けては通れないものを避けようとする。

 「生きたくない」ということです。

 せっかく自分にも平等に試練が与えられているのにも関わらず

 それを蔑ろにするのです。

 実際、妄想恋愛女子と恋人同士の皮を被った親子関係に似た何かになるときは、僕も普段通りではありません。

 恋人ごっこです。

 何か言えば「そうじゃなくて」と相手が否定してきます。

 どう言えばいいのか、どうすればいいのか、相手に合わせてあげなくてはなりません。

 最初に「そんなことはできない」と断った時点で終了していますから、いくらしつこく続けても「始まってすらいない」のです。

 「こんな関係はおかしいでしょ?」

 と何度言っても不機嫌になるばかり。笑い話にしかなりません。

 大人がやってるんだよ(笑)

 その間の僕の気持ちとしては、「恥ずかしい」です。

 かつての恋人にこんな姿は決して見られたくないとも思いますが、見られたとしてもこう言われるでしょう。

 「あなたが優しいと思って、相手はあなたを利用しているだけよ。もっと自分を大事にして!そんなことじゃだめよ!」

 実際に言われたことがあります。

 似たようなことをしていたら、またそう言われるでしょう。

 子ども扱いされたい人は、僕を子ども扱いしてきます。

 そのみっともない扱いに堪えられるのも、心の中では「一人前の男扱いしてくれる恋人」がいるからです。

 一度でも本気で自分のことを考えてくれる人と心を通わせたら、離れても何度でも相手が心の中にやってきて、声をかけてくれます。親友も恋人も、みな同じようにやってきてくれます。

 そうなっていくための「土台」の作り方は、既に編み出しているのでまた別の機会に紹介します。

 妄想恋愛の「特別な人」を求める人は、その他大勢の中では仲良くできなかった人なのです。

 過去の話を聞いても、「あれしてくれた、これしてくれなかった、あの人はこんなことをした」なんて話ばかりです。

 ずーっと幼児のままで生きてきたのです。

 どこにいっても「母」が見つからないので、探し続けているのです。

 この場合の「母」は「自分自身」です。

 僕は本物の娘がいるので、幼い頃に娘にやったような扱いをします。

 子供の前では馬鹿をやったりふざけたりしていると、喜びます。

 情報でまず知りたがりますから、話で教えます。

 男はどうか、女はどうか。そんなことも話して知ろうとしてきますから、安心できるように色々話をします。

 現実の関係の場合は、本番が「今」なのでそんなことを話す余裕はありません。

 男ってこうなんだよ、と説明することは本番ではできません。

 「女はこういうものなのよ、私の友達もみんな…」

 なんて、本物の女は教えてくれません。教えたら本番ではありません。

 どこかでうまくいかなかった時に、家の中で話を聞いて「第三者」が教えることです。

 当事者同士のやり取りには存在しません。

 発見することはあっても、そんなことを話し合って決めるものではありません。

 他の人は関係ないからです。

 恋人同士の場合は「普通の男や女はどうか」が関係ありません。

 自分が選んだ目の前にいるのはその人ですから、たとえどんな女が相手でも「最高の女」として扱うものです。

 その人ひとりしかいません。それが恋人の関係です。

 恋人になったのに「普通はどうか」「理想的かどうか」と品評するのは、たった今自分が恋人になっていない人です。

 「恋人の皮を被った調査員」のような人もいます。潜伏しているスパイです。

 恋人の関係になりすまして、理想の人を探すため、確認している人です。

 「この人が理想の人だ!」という誰かを発見したいだけで、たった今自分がやっている恋人との関係は「調査のための形」でしかないのでそこで恋人になろうとはしないのです。

 最高の誰かを探すだけの人です。

 それが自分を探して生きている人ですが、「最高の誰か」が見つかるまでなんの関係も作れません。

 人探しするために潜伏しているだけの人生にしたくない人は、真似しないように。

 素晴らしい恋人を作りたいならば、まずその段階に至れるまでの人間になる必要があります。

 そのために、必要なことはふたつ。

 ・自分は自分の心の世界を作っていく努力をし、自分を育てること

 ・他人とはまずその他大勢の一人として仲良くなれるよう努力すること

 ここから「スタート」です。

 それ以外のスタートはこの現実世界にはありません。

 事実そうするしかない存在で始まったのですから、生まれた以上は諦めて覚悟を決めるしかありません。

 命の長さには限りがあります。

 人生には限界があるのです。

 何歳になっても、スタートは必ず同じなのです。

 そんなことより、金や社会的成功だ!と思っている人が殆どですが、手間暇惜しんで見えないものを育てなかったがために、なんとかして他人にくっついて生きようなどとするようになったのです。

 奴隷になっていくにはそれなりの理由があります。

 そんなものになるくらいならば、「特別な何か」など特別でもないくせに求める人生をやめるのです。

 まず人間が怖いと思う気持ちを克服していくため、大勢の中でスパイのようにコソコソせずともいいように、「みんなで仲良くする」を目標にするのです。

 「自分」が目立つことよりも、「皆で作るこの仲間の輪」がうまくいくように目的を変えるのです。

 それがうまくできてから、少しずつ気の合う人とはより親しくなって行けばいいのです。

 一歩も進まないのに、ゴールなど求めない。

 大勢の中でうまくやって行けたならば、必ず世界は開けるでしょう。

 最初から「うまくいっている場」という完成された輪に入りたい人は、自分の力で家族を円満にしていくなど到底できるわけがないのです。

 みんなでつくるから、「みんな仲良く」に価値が生まれるのです。