言葉で言わなくても、起きているものは起きています。
言葉で言ったからそうなるのではなく、言葉を「事実」として捉えた人がありもしないものを生み出しているのです。
僕が妄想恋愛ストーカーの話をよく書いていますね。例に出しやすい話だからです。
僕はそんなにその手の人との交流をしてきませんでしたから、例には出しやすいです。
逆にそんなに経験がないので、他にもめたなんて話はなかなか出せません。
しかし、その時の話を書くと、猛烈に好かれた時の恋愛話程度に捉える人がいます。
念の為書いておきますが、妄想恋愛ストーカー、という名のついたタイプのストーカー犯罪があります。そこから名をとって僕は「妄想恋愛ストーカー女子」と書いているのです。
要は、犯罪の話をしているのです。
恐喝されて無理やり付き合わされたという話をしています。脅されていたのですから、まともなことではありません。
しかし、「これは犯罪です」と言われなければ、それが悪いことだとすら思わない人たちもいます。
僕はそのような方に、度々投稿で罵られています。
相手が可哀想!もっとわかってあげて!
という、似たようなことをし続けている人たちからの投稿をもらいます。
こうして、犯罪を犯すような人でも庇い立てする人はいるのです。
内容からそれがしてもいいことか悪いことか、判断ができない。
それが、現実に妄想恋愛ストーカーとして犯罪を犯すような人です。
自分の妄想世界の恋愛ストーリーに浸り続けていて、自分が現実に何をしているのかわかっていないのです。
「自分は」いい気分になっているから、それを邪魔されたくないのです。
それは自分にとっては「いいこと」なので、なんとかして相手を我慢させようとするのです。
僕は良心的な方だと思います。
わりと笑い話のように書く一面もありますから。
しかし、当時は大変でした。本当に警察に行くことも考えていました。
周囲の人たちの力を借りて、なんとか離れました。
まともな話にはなりません。最初から自分の願望を無理やりにでも叶えさせることしか考えていませんから。
一応これは、最後は話し合って「示談」という形で終わった体験談なのです。
なんでこんな真似をするのか、と聞いたところで
「私は昔から…」なんて自分の話が始まります。
今、この状況で恐喝される側が聞いているのは
「なぜ、僕を狙ってこんな真似をしてくるのですか?」
ということです。
すると、僕が優しかったとか、全く見当違いな答えが返ってきます。
本人だけは、一途な恋愛ストーリーの中にいると思っているからです。
ものすごく図々しいというか、厚かましい人でした。
逆に、その後出会った妄想恋愛ストーカー女子は、最初は厚かましいほどすごい勢いで押し込んできて、望んだ通りの反応を大人しくすると、今度は「受け身な女子」をやり始める人でした。
「なんでかわからないけど、相手が私を好きだって言うの」
このパターンがやりたい女子はとても多いです。
なればいいのです。
実際に黙っていても次々にあちこちから声をかけられていればいいのです。
しかし、それが無いから、とりあえず脅して、折れたらそこからは最初のことなど「なかったことにして」今から始めようとするのです。
こんなバカげた話はないです。誰も本人が思った通りのことが起きているとは思いません。
しかし、実際の場面に直面していない人たちに「作り話」をすることで、私は愛されて困ってる女子、と思わせるのです。
恐らくは、周りの人もそんなことは信じていないと思います。
または、言ったことだけ信じ込んでいる人を集めているでしょう。
「自分に都合のいいことが起きている、と思わせてくれる友達」を集めているでしょう。
これは、本人たちにとってはなんでもないことなのです。
寧ろ「犠牲を払って尽くしている私」をやっていい気分になります。
その「役どころ」がやりたいけれど、状況がないので無理やり作っているのです。
どこかで憧れていたその役をやりたいだけなのです。
一人よがりなのです。
本物の幼稚園児のようで、話に一貫性もないし、何もかもが取ってつけたような行動です。
大人しくしてもらうためには、言うことを聞かざるを得ない、という状況に「追い込んでいく」のです。
好きな人を追い込んでいくのは、恋愛ではありません。
恐喝して受け入れさせたことは、「愛された」ではありません。
しかし、そんなこともどうでもいいのです。
やりたい役をやるためにうずうずしているからです。
僕は三十を過ぎて、初めて見ました。
そんな人がこの世に存在していると知らないので、意味がわかりませんでした。
驚いたのでよく覚えていますが、その後は「やらされているだけ」なので覚えていません。
今はもう、その人たちのことも思い出して腹が立つなんてことすらありません。
あの状態は、心の中にいる誰も知らない私、がいる人です。
誰も知らない心の中の私、その私に気づいて、こんなに素敵なことを思っている私をわかって。
そんなところです。
頭の中に理想的な世界を広げているだけで、その世界を夢みて行動しているから「私は優しい素敵な女子」と勘違いしているのです。
理想の世界を夢みてその世界にしようと行動している人は、ただの独裁者です。
「私が思い描く素敵な世界」など、誰も見ていません。
見なくてはならないのは、現実だけです。
「こんなに素敵なこと思ってるんだぞ」
それにうっとりできるのは、自分だけです。
他人の現実を無視して、思い描く理想の世界を外に広げようとする。
その内容が恋愛であり、「この人ならば」と勝手に相手を選び恋愛ストーリーを「一人で初めて相手を巻き込む」のが、妄想恋愛ストーカーです。
誰も知らない一人の世界を生きているヒロインです。
本人は「私の理想の世界」を生きているつもりで、現実に起きたことは理想世界に絡めて解釈していきますから、現実など何も見ていないのです。
その中で、ヒロイン気取りでやっていることが、実際には「犯罪だ」ということです。
こうして犯罪だと書くと、また正義の味方ごっこをしたい人が利用するのではないかと思い、あまりこのような言葉では書きたくないのです。
それでも、やられている立場の人はわかるでしょうから。
まともではないんですよ。
告白されて、断る、それは自分に意思を伝えてきた相手を尊重した扱いであり、断ったから尊重されていないというわけではないのです。
本人の意思を無視していないから、まともに返事をしたのですから。
イエスかノーで答えるしかないのに、ノーなら許さない。
それが独りよがりな人です。
相手の反応は「関係なく」これからの未来は決まっているのです。
自由を奪われて幸せになる人はいません。
全ての人が関わる度に不幸になっていくだけなのです。