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既に他では結果を出している

 ニューヨーク市ではSNSが公害と認定されました。

 それを受けて動いていることもありますが、既に結果を出しているところもあります。認定されるのは問題があるとわかった人たちが増えてからの話ですから、認定されたから動くというわけではなく、先に動いている人たちもいます。

 学校ではスマホは一切禁止。そのように決めた学校では、今まではみな一様に画面に向かっていた子供たちも、休み時間にはみんなで遊ぶようになったそうです。

 元々なかったものですから、なければないで、子供たちは健全に勝手に遊ぶようになります。自然に戻っていくのです。

 そして、全体的に落ちていた学力も、一年経たずに元に戻ったというのです。

 スマホが既に子供たちのメンタルや学力に悪影響を及ぼすことはわかっています。メンタル的にすっかり病んでしまって、元々病んでいたからこそコロナ禍でも特別幸福度に違いが現れなかったほど、子供たちはスマホ画面の世界に夢中でした。

 大体、作った本人、スティーブ・ジョブズ自身が、自分の子供には一日に一時間だったか何十分だったか、細かくは覚えていませんがかなり短い時間しか使わせないように決めていたというのですから、元々そんなに長く使っているために作られたわけではないのです。

 子供たちが健全に友達と遊ぶようになり、学力も戻ってきた。

 この話を知り———知ったのは海外メディアの研究者へのインタビューからでしたが、相変わらずものすごく遅れを取るだろうなと思いました。

 権威に決めてもらえないと動かないのが日本人ですが、権威がアメリカの真似をしている上になかなか決断もできないので、僕たちはもっともっと病んでいくのかもしれません。

 「一年経たずに」の部分で、もうそんなに前から実行していたのかと驚きました。

 少なくとも僕は、日本の学校でスマホは完全禁止になった、という話を聞いたことがありません。既にあるかもしれませんが、全体では好きに使わせているのではないでしょうか。

 決断力と実行力の違いを思い知りますね。結果を出すところでは既に出しています。

 熟慮し、判断し、実行できる人がいるのです。

 心理的に成長しているかどうかという角度からものを言うならば、心理的に未成熟な人達は浅慮です。

 感情的に行動しては、後から「言い訳」「正当化」として学術的なことや他人のことを理由につけてくる。考えてから判断して行動していないので、行動しては「身を守る」の繰り返しなのです。

 いじめについては、いじめをしている人の輪に入れば自分もやらざるを得なくなります。それを如何にやらずにいられるかというのはものすごく難しい問題ですが、少なくとも一時でその輪を出るしかなくなるでしょう。

 加藤諦三先生のしていることはいじめだ、とある人が僕に文句を言ってきました。勿論僕に対してもです。

 今そこでしていることがいじめです。だから、いじめをしている人はいじめないで生きていくことはできないのです。

 攻撃したら、反省して謝ってくれて、優しくしてくれる。

 そんなバカなことを考えます。

 そして加藤諦三先生のしていることは確かにいじめですが、僕は本人と共にいたのでそれをそのまま言えばそれは僕がいじめをしていることになります。今、自分が何をするかが結果ですから、陰ながら本人に進言し続けてきました。

 それも最近もう最後と決めてお伝えしたので、最近になり今までの話をし始めました。

 しかしこのようなことについても、「そうなのか、どうなのか」という問題ではないのです。

 一言で言って浅慮、考えなしに気分で動いているだけの人が殆どだと思います。

 しかし、世界では「本当に賢い人たち」が当たり前のことを言い出しましたから、少なくとも日本は駄目かもしれませんが、他の国は今回の話題のようにすぐに実行して回復していくかもしれません。

 今、浅慮で横暴な人達が日本を牛耳っているとは思いますが、そのような人達を押し上げているのは、同じく感情で動いて誰かに責任を押し付けようとしている人たちです。

 いじめをする人は、とにかくまずいことがあれば「正しいことを言っている人」の方に寄っていき、仲間のふりをして紛れ込もうとします。

 仲間に入りたいところに行き、そこで他人を批判しながら「正しい人」として人を押しのけながら居座るのです。それが支配的な人です。

 自分は関係ないのに、友達が話をしていればそこに正義の味方のように割って入る。

 「誰々が可哀想!」

 誰かを守る正義の味方気取りでいけば、自分が悪者にして批判した人が反省して自分を「優しい人だ」と思ってくれる。

 そんなアホな期待をします。これ、小学校低学年レベルですよ。

 僕もそんなことを思った頃がありましたが、よくよく考えたら関係ないくせにいきなり「文句を言いに来たやつ」なのですから、嫌われるだけで「なんて優しい、正しい人なのだ」なんて思ってくれるわけがないです。

 モラハラの人です。正義の味方になるためには、「良くないこと」がまず存在してくれなくてはなりません。

 そこで難しいことはわからなくても表面上良くないとされることを「叩く対象」にするのです。

 一番楽なものは「言葉」です。辞書に載っている意味が「良くないこと」であるものを叩く対象にします。

 しかし、「叩いているのは人の方なのだ」とわかっていないのです。他人が存在しない世界に生きていますから、「悪いことだ」と批判すれば、自分は「正しい人だ」となる、そんな風に一方的に決めつけているのです。

 相手が悪いから、自分は正しい。

 そんなわけないですね。今の立場とか、時間とか、そうした認識ができないのです。

 正義の味方になりたい!と思っても、そうじゃないのだから「なろう」とすればいじめをするくらいしかできることはありません。

 正義の味方になりたいから、誰か悪役になってー!ということなのですが、こうした人は「悪役にされる側」のことを考えないんですよ。

 バカだからです。

 人の賢さの度合いの違いを、舐めない方がいいです。

 社会的には地位もある学もある人たちでも、内面的に未発達ならば子供のようなことのために難しい学術を使うのです。

 行動だけは、本人の成熟度で決まります。

 感情に任せて行動しても、後からつける理由付けの内容が「高度な内容」であれば大衆は納得してしまう。そしてその行動を真似する。

 だからいじめは蔓延してしまうのです。

 判断して生きている人は、自分が「今から正しい人になるためにどうすればいいか」とは思いません。それが後ろ向きな人との違いです。

 おかしいとわからないのです。

 後から結果を変えるために、今までの自分を正当化するため考えるのです。だから本人の行動も人格も何も変わらないのに、理由付けの内容だけがでかくなっていくのです。

 既にやってしまったのですから、もう理由も行動も何もかも変えられないのです。

 しかし、何も考えずにただ妄想したり欲を出したりして動いているだけの、本当に動物のような状態なので、「自分で自分を自覚する」という段階には至らないのです。

 やってしまってから、自分が悪者になるかならないかを恐れる。

 この時点で「おかしいだろ」とは思えないということです。

 今から誰が正しいか悪いか決まる、と考えるのです。

 行動は考えなしにするものだ、というのがその人の生き方だからです。

 理由は「後からつけるものだ」と思っているのです。

 なぜかわかりますか?なぜ変わらないのか。

 「自分が何をしたのか知るのが怖いから」です。

 状況を考えず、妄想を夢見て行動した、ということは、本人自身も「自分が何をしたのかわからない」のです。

 結果、周りの反応がまずいものだった。

 その理由がわからないのです。わからないものは怖いのです。反応から自分が何かまずいことをしたらしいことだけはわかりますから、「真実を知る」ことを避けて、すぐさま防衛に入るのです。

 そこで周りの反応を見て「他人の身を案じる優しさがない」のです。

 だから僕が何度も言っているのです。

 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

 他人の身を案じ、一体何が起きたのかを知るために自分の身を捨て覚悟を決めて、他人をただ助け守るために動けばいいのです。

 少なくとも僕は熟考します。自分が何もかもを知っているわけではないからです。

 深く考えることが大事。これについては加藤諦三先生のそのまた先生であるランガー教授も言っていますが、老先生たちの中でもアメリカで学位を取ってきたような人たちは、みな一様に彼らに同化してしまうことで権威を振りかざしますね。

 僕は名前を出して許されるであろう範囲の方が少ないので、共に行動していた加藤諦三先生の名前を出しますが、他もみな似たり寄ったりですよ。

 僕の場合は彼と行動を共にしてしまった責任がありますから、彼に対してだけは名を出して間違いを指摘する必要があると考えています。

 別に彼だけがというわけでもなく、例えばこんなことがありました。

 「日本人は子供のようだよね」とアメリカ人たちが言った。

 すると、今言われているのは自分なのだから、遠回しに

 「あなた子供っぽいよね」

 と言われただけなのに、自分がそうであると認めたくはないので日本に戻ってきてこう言い出すのです。

 「日本人は本当に子供みたいだから(笑)」

 日本に戻ってきて、日本人をバカにして、そしてこう教えるのです。

 「日本人は幼稚だから、もっと考えなくてはならない」

 自分に言え、という話ですが、そうしたおじいちゃんたちを何人も見てきました。加藤諦三先生も同じタイプです。

 余程このおじいちゃんは衝撃を受けたのだろうと思いました。

 なにせ今まで完璧だと思っていたのに、自分は内面が幼児だと発覚したのですから、「もう治った!私は平気だ!でもあの人たちは!」が始まったのです。

 これは本当によくあることなのです。人を救いに行こうとする人は、自分がまだ救われていない人なのです。

 「本当にわかっていないんだ!」と力説している本人が、確かに本当にわかっていない。

 この事態にどう収拾をつけるのか、と思いましたが、どの道間違っていることは残りませんから、時間が過ぎれば彼も忘れ去られていくでしょう。

 そんなことより、僕としては「事実どうあるべきか」の方が大事です。

 今から何の真似をしていれば、自分が正しい人になれるかなんて考えている人たちは、どちらにせよ何かの後ろをくっついて回るだけの人生ですから、全体が動かなければ何も変わりません。

 しかし、既に「本当に良い結果」を出せる人たちが、動いて結果を出しています。

 それが本当に良いことなのかどうか議論して、日本の権威が決めてくれて、全体が命令に従って…そして変わるのはいつか?

 その間にもどんどん悪化するのですから、またしても「今更真似しても同じ結果にならない」という状況違いの状態になるのではないでしょうか。

 僕は既に細々とですが、自分自身や子供には「一緒になって病んでいかないよう」に行動をしています。会員向けでも一応教えてきてはいます。実行しているかは知りませんが、かなり先を行く内容を教えてきています。

 娘は本当によく考える子に育ちました。親としても喜ばしく思っています。

 哲学的なことをよく考え、気持ちや言葉の表現や一致についてもよく理解して判断しています。

 そのように育っていく環境を作るためにも考慮してきましたが、スマホ依存させないようにすることは誰でもすぐにできるとても重大なことなのです。

 何よりも「既に親ができていること」が大前提で、僕たちが子供の頃に思ったように、できもしない大人が何を言っても子供たちは不満を抱えるだけなのです。

 しかし、全体の流れを見ているとそんなに悪くはないですね。

 やはり賢い人たちが世界には存在してくれています。

 日本人など時間が止まっているものだから「今偉い人」「今正しいと言われていること」「今目立っている人」しか認識できません。

 時の流れがない人間は、時間経過を考慮して判断することができません。

 状況の変化を推測するためには、今の状況を把握する能力が必要になります。

 が、しかし、それができないのが神経症者というものです。

 なぜか?

 それは「今の自分を自覚したくないから」です。

 たったそれだけと言えばそれだけなのですが、そのために周りの状況も人の人格も、これから起きることも今やるべきこともわからないまま、とりあえず「誰かが言っていること」を真似するのです。

 実行してそれが間違っていようが、うまくいかなかろうが、大事なことは

 「でも誰々はこう言ってたんだよ!」

 他人に責任を押し付けることだけなのです。

 責任を押し付けたい。無責任に生きたい。

 「私の人生は全て私の判断ではないので、私がやってきたことは全て私がやってきたことではありません。よって、私の人生において私は何も間違っていませんから、私はとても良い人であり幸せになるべきなのです。」

 こんな感じですね。

 そうなると、誰に責任を押し付けるかという問題になりますから、親のせいで、親のせいで、と言い続けて死んで行かねばならないのです。

 親に責任を押し付けることで、安心したいのです。自分の責任ではない、親のせいなのだと言い続ければ、今までやってきたあらゆることに対して「責任を持たずに済む」ということです。

 勿論その間に、自分がやりたいことをやります。

 加藤諦三先生も漫画の悪者か、小者か、と思えるほどわかりやすい人でした。

 外ヅラは勿論作っているので素晴らしい姿です。
 奥さんたちに囲まれてちやほやされれば上機嫌、煽てられれば気を良くしてそれに応える、気に入らないことがあると理由も聞かずに怒鳴りつけ、何か突っ込まれると自分は特別不幸なのにと自己憐憫、最後には「高度な学術」を使って部分部分は他人が納得できることを言い、自分を正しい人だと思わせることで身を守る。

 集まってくる神経症者となんら変わりなく、本物の重症な神経症者でした。

 ただし、これは見ている自分自身が自然に普段からいじめをしている人間でなければ、矛盾しているところやおかしなところにすぐ気づくと思います。

 彼の場合は「裏に何かある」がなければ、ただの感情的な虐待者になりますから、僕は身近に行けば「彼が用意した温かい場」があると期待していました。ありませんでしたね。パッパと勝手に決めて行動するのは何か深い理由があるからだと思って従っていましたが、単に感情的かつ利己的に動いているだけでした。

 社会的に正しいことをしているのだぞ!が他人を黙らせるための手段のようでしたが、そのためには「悪者」の批判をやめることはできませんから、自分が正しくあるためにいつもいつも問題ある人たちのことを口にしていなくてはなりません。

 どう見ても不幸な方で、幸せとは程遠い、楽しさも明るさも何もない場を作っておられました。普通に独裁的なおじいちゃんですが、たまたま社会的に権威ある立場にいるだけで、その辺にもそのようなおじいちゃんはいます。

 ただし、周りの人たちは大変です。彼の尻拭いをしていなくてはなりませんからね。特に奥さんは相当な苦労をしているのではないか、と推測します。きっと言いたいことは沢山あるでしょうね。

 彼にとっては彼の言葉を真似して自己憐憫して同化してくれる人は、彼の身を守る兵隊と同じです。

 彼も「わかってくれた」と喜んでいる人たち同様に「みんなが私をわかってくれたのだ」と思っています。わかりますかね。読者たちが彼の辛い気持ちをわかってあげているんですよ。彼を皆が守っているのです。

 本当にあんな集団があるんですね。知りませんでした。

 僕はどうにもあの自己憐憫してみんなで傷をなめ合う集団が好きになれませんし、まるっきり違うので仲間にもなれませんが、その分いじめもしないしされない仲間といますから、それでいいと思っています。

 被害者であることを誇示さえすれば、知らない人を攻撃してもいいと思っているのがいじめをする人です。

 今行動として良くないことをするための理由として、自分が攻撃されないように先に身を守っているのです。

 それが「被害者であることの誇示」です。

 本人は自分がいじめられていると思っているのですが、たった今何をしているかということを自分で自覚するほど認知能力が発達していないのです。

 何を言っても無駄です。認知能力が発達していないということは、今でいうところの発達障害と同じですから、今言われたことも「私がいない世界」の話としてしか認識できないのです。

 言葉の説明を聞いて気づいたり、また他人と会話したりできるようになるためには、それなりに発達している必要があります。

 皆さんは「正しいこと」を教えてもらえればいいと思っているかもしれませんが、そうではありません。

 本人の認知能力、脳の発達がなければ、誰が何を言っても役には立たないのです。

 僕自身、何を言っても何をしてあげても、自分に気づくまでに成長しなかった人には、無駄だと思いました。

 内面的に幼児ということは、本当に幼稚園児と同じなのです。

 言葉の説明をしてもきちんと聞いていないし、理解する気もない。

 そんなことより話を聞き流しながら、自分がやらせたいことを早くやってもらいたいと考えている。

 衝動的で、いつもいつも「自分がやりたいこと」ばかり考えている。

 考えなく言いたいことを言い、やりたいことをやり、スッキリしてから周りに批判されれば身を守るために「世間で教わったことを使う」のです。

 幼児だ、と言ったら、本当に何もかも一から十まで全部幼児と同じなので、「会話」などしても無駄なのです。

 正直、「傾聴」と呼ばれるやり方も、そこそこ発達していないと意味はないと思います。

 ふと、気づく。

 これができるまでになっていないと、あれも意味はないでしょう。

 しかし、人間の中にはそこまで発達することもなく死んで行く人たちも大勢います。

 そうでない人は、自分がそうでなくてよかったと、自分の贅沢だった部分を反省した方がいいです。

 殆どの人が「上を見ては自分を不幸にしたがる」のですが、下には下がいるのです。

 簡単に見分ける方法や、言葉できちんと説明して誰も悪者にしなくて済むやり方を僕は考えています。

 熟考、熟慮は常に必要なのです。

 考えなく動く人間は、後から言い訳をしてみっともない姿を晒すだけなのです。

 皆さんも、行動の前にはきちんと考えて、責任を持って発言や行動をしてください。

 その行動が正しいかどうかは結果が出なくてはわかりません。少なくとも人間に知らないことがある以上、自分は知らずにいたこともあるでしょうから。

 それでも、その時になぜ自分が行動したのか、堂々と誰とも敵対せずかつ冷静に言えるようにはしておきましょう。

 今後、恐らくスマホなどの機器は廃れていくでしょう。

 これだけアメリカで問題とされているからには、既になぜ広まるのかなども含めて問題について論理的に説明し始めている人たちがいますから、段々と変化していくでしょう。

 何よりも、人間自身がその力を自分たちで制御して使いこなせなくなってきています。これ以上の発展は見込めないと思います。

 企業が如何に儲けたくても、人間の能力が既に限界なのです。

 理屈で可能であれば、生きた人間にできるわけではありません。
 人間はロボットではないのですから。

 皆さんは他所が結果を出してから、十年遅れて命じられる前に自分で判断して行動を決めてください。

 自分の行いは誰の何を聞いて実行したとしても、全て自分に責任があります。例え命じられてやったことであっても責任はありますから、自分より上の立場の人が相手でも責任を押し付けることなく、自分自身の行動の責任をきちんと取ってください。

 批判されることも当然と受けいれ、被害者の立場になろうとすることもなく、間違っていたのが命じた側であっても実行した自分自身が全ての責任を持って生きて行ってください。

 そうすることで、自分自身が本当に大事な存在なのだと、自覚できるようになるでしょう。