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To those who are unhappy now.

I just noticed it, so I’ll write it down.

There may not be anyone who understands this alone, but I think there are people who can understand it if you think about it.

Unhappy people live by making things that do not exist exist in this world.

This is the cause of misery.

It is unfortunate because we live on the assumption that something that has not been confirmed to exist yet exists.

I have never confirmed the ideal parent.

There is nothing that I thought “must be like this” from the outside.

What is the one that you experience, confirm, and accurately recognize as “existing”?

There is nothing.

The reason I mourn in reality is that I haven’t even confirmed whether it exists or not, and even though I haven’t even experienced it, I’m convinced that it’s there.

There is nothing in the world that I wanted.

If you take it for granted, you will not be unhappy, but if you think that something that does not exist, including yourself, exists, you will be unhappy.

If I thought I had a good personality, I would feel that I was being bullied even if I had a bad personality and was hated.

In that way, misery is born.

What is your actual self?

What kind of person are you now?

What kind of person is your parent actually?

The only thing that is actually needed is reality.

Therefore, if you leave only the things that are true in the world of cognition and recognize them as “things that you do not understand yet”, the misfortune will disappear.

Even so, it’s fun to fry Chinese shrimp.

It makes me want to do it without any particular meaning.

今が不幸な人へ

 今気づいたので書いておく

 これだけで理解する人はいないかもしれないが、考えてみればわかる人もいると思う

 不幸な人は、存在しないものをこの世に存在させて生きている

 これが不幸の原因だ

 存在をまだ確認したことがないものを、存在すると仮定して生きているから不幸なのだ

 理想の親、というものも確認したことがない

 外から見て「きっとこうに違いない」と思ったものは存在していない

 体験して確認して「存在している」と正確に認識しているものはなにか?

 何一つない

 現実に嘆くのは、存在しているのかしないのか、確認さえしていない、体験すらしていないのに「ふある」と思い込んでいるからだ

 自分が望んだものなどこの世に何一つ存在していない

 それが当たり前だと思っていれば不幸にはならないが、自分含め存在していないものを存在していると思っていたら不幸になる

 自分は性格がいいと思っていたら、性格が悪くて嫌われていても「いじめられている」と感じる

 そのような形で、不幸は生まれてくる

 実際の自分はどうなのか?

 自分とは今現在どんな人なのか?

 自分の親は実際どんな人なのか?

 現実に必要なものは現実のみ

 だから事実そうであるものだけ認知の世界に残し、後は全て「まだわからないもの」として認識すれば不幸は消え去るだろう

 それにしても中華のえびせんを揚げるのが面白くて仕方ない

 特に意味もなくやりたくなってしまう

アニメ、特撮、日本のオタク力

 アニメ、特撮というものが日本の力になるであろう、と考えています。

 オタクと呼ぶ層へのイメージがネガティブであるのも、やはりメディアの力によるところです。

 潜在的な能力を持つ人々が力を発揮できれば概念自体が覆るでしょう。自分の概念が覆れば、持てる力は発揮できるようになります。

騙される人

 騙されやすい人がいる。

 どんな人か?

 理想の自分を演じて、思ってもいないことを口走っている人である。

 なぜか?

 言論統制をすると、感情を出せなくなる。本当に思うことを言えないのだから、言っていることを思っていなくてはならない。

 しかし、本当は思っていないのだから、感情を感じない。

 楽しくない時に「楽しいー」と言っても感情までは誤魔化せない。

 感情が無いから、意識の上には「楽しいことがあった」という記憶があるのに、「楽しかった」という感覚が無い。

 楽しかった体験がないから、せっかく楽しいことがあったのにその後は暗い。

 そして言語だけは意識して操れるので、言論を統制しているうちに自分が本当に思っていることはわからなくなる。

 嘘ばかりついていると、自分が何をしたいのか何を感じているのか、まったくわからなくなっていくのだ。

 ただ、意識の上で言語だけは操れるから、理想的なことはいついかなる時も口走る。

 言葉だけで理想的になることは簡単だ。

 思っていないことをいつでも口走ればいい。

 自分は何も新しいことをしなくても、勇気など出さなくても、安心安全な行動を取り続けるだけでいい。

 しかし、ここに落とし穴がある。

 言語を適当に使っていると、感情は感じなくなる。

 言葉がすべてになるのだ。

 つまり、言葉で簡単に騙されるのは、感情を感じられない人なのである。

 感情を感じない人は、騙され放題である。

 言葉に反応して言葉に返すので、「良いやり取り」を作ることだけに専念する。良いことが起きているやり取りをするのが好きなのであって、良いことを体験したいわけではない。

 感情を感じないから、本当のことを言う人は嫌いである。

 正直に接する人は現実のままに生きている。それでは困るのだ。理想の良いやり取りができなくなる。

 ありのままでは理想的にもなれないし、必ずしも予測通りの安心安全な今にならない。

 まして現実の会話は想像力が必要である。冗談はマニュアルに無いので、対処できない。

 決まったやり取りこそ最も良い関係を作るために必要なのだ。

 あくまでも形が大事なのである。

 その安心安全のためのリスクが、騙されて生きるということだ。

 嘘は感覚で察知できるものである。

 感情が無い人は嘘がわからない。

 優しさの嘘も卑怯な嘘も、何もかもわからない。冗談も本気にする。言葉が全てだから、冗談も個性ある表現も許せない。

 それでは自分が何を言えばいいのかわからないから、パニックになる。決まり第一。決まりがない会話は好きではない。

 わからないが、言葉は覚えているから「楽しい」と言われたら「楽しいんだ」と思う。

 「好き」と言われたら「好きなんだ」と思う。

 勿論、感情を感じて生きる人は感情の無い人とは接しない。

 コミュニケーションを取らなくても、それならロボットでもいいし生きている人間にしかないものが不要だ。

 安心安全な形が必要なのである。

 だが、結果騙されるのだから安心安全な形は一気に全部消え去るようなこともある。

 中身がなくても構わないという生き方をしているのは本人である。

 だから中身がある人はいなくなるが、言葉しかない世界に生きているために言葉で簡単に騙されるし、言葉のやり取りだけがすべてなので形が作られたところでやはり中身はないのである。

 スーパー戦隊にキューレンジャーという作品がある。

 その中にナーガという異星人が出てくるが、彼の星では男女とも全員同じ顔なのだ。

 彼の星では、争いを避けるためにその昔種族が感情を捨てた。
 みな同じ顔をして同じ服を着ている。そして感情もない。

 これが、所謂ユートピアである。

 争いの無い世界とは、感情の無い世界である。
 そして区別のない全員同じ人になる世界である。

 これを目指しているのが、形の安心を得ようとしている人たちである。

 区別があったら差別も起きる。
 感情があったら争いも起きる。

 苦しみの無い完全に安心な世界とは、全員が私であり、私が全員である世界なのだ。

 違いがないから好きにもならないし嫌いにもならない。

 やり取りは全て決まっているから安心だ。

 それが絶対的な安心という幸せである。

 違いを受け入れられないとは、そのような世界を目指すということである。

 努力していない、と言えば誰もが努力はしていると思うのだろうが、心理的苦労を避けて物質的努力をする人たちの目指す幸せな世界とは、そのような世界なのである。

 とはいえ、全員が同じ立場でいたら統率が取れないので、管理をする人たちだけは必要である。

 よって、ここに完全に統一された人類の世界と、管理する側の完璧な平和の世界が完成するのだ。

 キューレンジャーは物語の話であり、実際には感情を完全に捨てることはできない。

 感じているものに鈍感になるだけだ。

 結局、「ただ騙されて生きるだけの人」になると言えるだろう。

 だが騙されていても言葉の上でやり取りがうまくいけば、本人はその方がいいのだ。

 今ここに「騙される」と書くから「嫌だ」と思う人がいるかもしれないが、実際にはまず間違いなく既に騙している人が近くにいるのに、気づくことさえないのでそれでいいのだ。