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尾張名古屋は…

 (・Θ・)ぴよりんでもつー!

 そうだねー?尾張名古屋といえばぴよりんだねー?

 (・Θ・)ぴよりんーおわりなごやゆくー

 そうかー一緒にいこうねー

 (・Θ・)あのねー!とうきょうえきからとうかいどうしんかんせんえぬななひゃくえーのぞみにのってーかながわはいってしんよこすぎたらーとんねるいっぱいとおってるうちにしずおかいつのまにかすぎてーみかわあんじょうこえたらすぐつくー!

 そうか…さすがぴよりん尾張名古屋に詳しいね。

 (・Θ・)みかわあんじょうこえたらおにもつじゅんびしてねー!なごやしゅうてんちがうからすぐおりないときょうとについちゃうからねー?

 そうな?そうな?ぴよりんすごいなーくわしいなー?

 (・Θ・)はやいけどとんねるばっかりいやならーこだまにのるのもよいよー?ていしゃえきおおいからとちゅうでしずおかみやげかえるよー?いっぷんしょうしょうのていしゃやからきよつけてー?おだわらやったらごふんもていしゃするよー?みかわのえきもとまるよー?

 すごいなーぴよりんはー、今度はこだまでゆくことにするねー。

 (・Θ・)なごやついたらめいじょうこうえんゆくー?!ぴよりんおもてなしぶしょうたいとしゃしんとりたいーかとうきよまさいがいー

 そうだね、そうだね、名城公園行こうね。

 名古屋と言えばぴよりんですが…

 

 尾張名古屋は城で持つ

 三重にある民謡の文句だそうですね。

 織田家時代は那古野城でしたが、名古屋城は家康の命により建設されています。まあいいか、そういうのは。

 名古屋から来てくださった方にお土産をいただきました!

 僕が名古屋に行った際にいただいたお土産はいつも目につくところにあります!

大変価値ある素晴らしい本をいただきました…!

 とっても嬉しいそして楽しい一日で…いや土産のせいだけじゃないですよ。

名古屋にフランスがあったよ…!
ちんこち…え?
万松寺と言えば信秀公の…
裂と書いてきれ!徳川美術館!
かわいいキャラだな!ルートガイドです

 (・Θ・)わー!!ぴよりんもゆくー!

 そうな?そうな?

 こんな宝の山をいただきました!
 名古屋ってかっこいいよね。名武将もいっぱいでさ。

 最近のブームのおかげでなぜか前田慶次がいるよね。漫画のお陰だよね。最後は上杉家にお仕えして、前田家も出奔してるのにさ。
 元々滝川家の人だけど昔からそういうのってあるよね。殿様ランクの家なら猶更。

 万松寺なんて全国的に超有名で(全俺の中ではそう)、昔行ったことあります。でもすっかり忘れちゃった!また行かないと…。

 徳川美術館!名前…かっこいい!

 うらやましい…地名とかすごくかっこいいんですよ。

 ちなみに、利家公が入城して始まった加賀藩、城下には「尾張町」という地名があります。「近江町」もあります。

 すごいですね。パラダイスか、名古屋。

 でもお越し下さった方は、東京は観光とっても楽しいそうでよかったです。
 空気悪い、とのこと。僕も思いますよ。

 名古屋はビルがあってもその辺に雑草生えているけど、東京にはない、と。

 その通りだよ…。息苦しいどころか窓を開けたら空気清浄機のランプが赤くなるよ…。

 やはり人は生まれた土地で体が作られているので、故郷の空気が一番良いのです。水もです。そのように体が作られています。

 日本人が海外旅行をしても、しょうゆが使われないのでなんだか物足りなくてうずうずする、あれです。

 そんなときは、華僑の皆さんありがとう、と感謝して中華料理を食いに行くのです。

 やはり、故郷が一番です。
 いつか大阪にも行って、おいしいものを食べたいです。

 昔行ったときは時間がなくて、ちっともおいしいものを食べられませんでした。
 環状線の前で、どっち向きに乗ればいいのかしこたま悩みましたね。数十年前…。山手線と同じだと知らなかったので…。

 今日は先生とってもテンションが上がったので、うれしさを表現しました。

 遠方からお越しいただきありがとうございます。
 実際来ていただけると、色々ここで書くこと以外もお話しできて僕もうれしいです。

 配信も頑張っていきます。

 僕は皆さんのご支援で成り立っている人間ですので、今後ともよろしくお願いいたします。

 権威に組み敷かれることなく、郷土、心の繋がりを大事に精進してまいります。

 

「私」になろうとしているから「私」は何にもなれない

 先生講座をやるよ?後日詳細書きます。
 久々にすごくすごい、閃いたよ!

 (・Θ・)しゅのくしゅのい!

 ハーバードのランガー教授のインタビューを読んでいて、ハッとしたよ?

 いつも思う。ものすごく頭の良い人の話を聞いていると、そうか!って閃くことあるなって。それも沢山あるなって。
 もう似たようなことの繰り返しは沢山!誰も発見してない新しいこととか、誰にも聞いたことない表現とか、とにかくまだ見たことも聞いたことも無いのをください!
 といつも思う。
 そんなの昔から偉大な学者がやってるのと同じじゃん!
 もう教わったよ!とか、学者の本読んだらわかるじゃん!
 なんてのじゃなくて、その人が話すんだから、誰も発見したことないやつ教えて!っていつも思う。

 だって、その人が話してるのに誰かと同じことじゃなんの意味もないつーか、その人誰よ?その人って一人しかいないんでしょ?って思う。

 なんでって思いません?

 その人、この世にひとりしかいないのに、今まで見たことも聞いたことも、考えたこともないこと、なんにも言わないっておかしいと思いません?

 それじゃその人なんなの?誰って思いませんか?

 「反時計まわり」

 ランガー教授、またすんごいタイトルのやつ来たよー!さっすが!と僕大喜び。
 ほんとこういう、新しい、天才の言うことってわくわくする。

 この一言に全てが集約された…!

 「私はここにいなかった」

 おや?それはでも僕も前に書いたり話したりしたよね。
 ハーバードのインタビューで話すほどのことなのだろうか…。そこはもうわかってるからいい。
 それはいいんだけど、過去を生きていることに私たちは気づいていない、と言う。

 存在。存在ってなんだろう?

 って皆さん考えませんか?
 僕が10歳の頃に考えたのはそれでした。

 「僕」ってなんだ。

 僕って、どこにもいない。

 だから人生は始まったんだったなと、思い出しました。

 講座で教えます。いま本も書いていますが、行動しなくては意欲が消えるというものです。今ただ喜んでいるだけです。

 自分が発見して喜ぶこと以外、あんまり興味ないんですよね。
 自分が楽しいからやりたいだけですから。
 人生って全部そんなものじゃないですか?
 他人がいたら逆に邪魔になることも沢山ないですか?

 いちいち見られたくないし、そんな暇も惜しいし、見せたい!ってことはありますけど、感動を分けられないかなと思うだけですよね。

 違うんですかね。

 なんか外側で必要らしいから、持ってゆこう。
 って感じじゃないんですかね。

 同じもの見て喜ぶ人って、何もしなくても仲間になってますよね。

 なるんですよ。
 別に意図しなくても、なんか自然になってるんですよ。

 自分を見て欲しい人は、人を見ているから誰とも仲間になれないんですよ。

 仲間って同じものを見ることができる人ですからね。
 人を見ていたら仲間ができませんね。
 同じ人を見ている人がいたら、仲間になれますね。

 それにしても嬉しいー!
 僕は何か発見したり、閃いたりするたびに、すっごく楽しい気分です。
 別にまだ何にもないんですけどね。自分だけで喜んでますね。

 (・Θ・)わーい

 ありがとーひよこも喜んでくれるなー?

 (・Θ・)あいしゅら!

 ああ、アイスね。あるよね。そっちだったね。

 深刻な問題は真剣に考え、決断したら、実行するときは楽しくやりましょう。

 

 

 

仲間にすべき人と争う現代人 ~被災地等の人に特に読んでほしい~

 今回は被災地等、助けが必要な土地にいる人たちに特に読んで欲しいです。

 今はTwitterなどがあり、全国どころか世界の人たちがネット上で会話しています。
 しかし、忘れてはならないのは「それぞれ別の人である」ということです。

 相手の背景知らずして、何をどう話せばよいのかはわかりません。

 僕は今東京におります。
 いくつかの土地を見てきましたが、首都圏外の人には特に知って欲しいのです。

 心理的には首都圏、全国的に都市部の心理状態の悪化が著しいです。

 東京の人には知らない人が多いですが、未だに援助を求める深刻な地域はあります。
 ありますが、殆どの人が知りません。

 この事態について、個人レベルで争うことは無意味です。
 現在情報の偏りと操作は非常に激しいです。

 普通に生活していると、権威が思わせたい通りにしか社会を認識しないように「作られて」います。
 それは既に全体に言えることです。

 これは政治的な問題なので、個々が争っても仕方ないことです。
 しかし、個々の心理的なものが動かなければ、結局大衆の意志で動かせるものはありません。

 それぞれの仕事が社会活動の一部ですから、僕は心理的なものを動かしています。

 ナルシシズムが深刻になるということは、「自分さえよければいい」という利己的な人が増えるということです。
 東京は安全安心、最先端で幸せかと言えばそうではありません。

 朝から晩まで働き詰めで、既に考える力が無くなっている人が大半となりました。
 命令されればなんでも言うことを聞くでしょうけれど、個々に考えて意志を持ち、更には人のために何かするという状態ではありません。

 人はみな繋がっていますし、社会の仕組みも繋がっています。

 僕のように言葉を発していく人は、言葉を認識した人の認知の中に新たな情報を入れ込んでいきます。
 意識領域の拡大は容易ではなく、大きな力の波は非常に強いです。

 しかし、現実を徐々に認識した人は、物事の裏側を考えるようになり、人のために何かするという意識は生まれてきます。

 僕は心理について、特にコミュニケーションについて多く話しますが、それぞれの土地により必要なものは違っています。

 東京は世界で最も人口が集中する都市ですから、この都市の心理的問題は全国に影響を及ぼします。

 首都圏都市部以外の土地土地は、地元について考え互いに協力し合う必要があります。
 最も大きな力を持つ者は、個人でも集団でも利己的になり暴走しやすいです。

 今必要な場所への援助を促すためには、それぞれのポジションに「現状を理解し、平等に扱うべき」と思えている人たちの協力体制が必要です。

 中には現状を理解し、どう自分が得をするか考えている人もいますから、わかっていればいいという問題でもありません。

 現在日本は世界の歴史に残る大失敗に向けて愚かな道を独走中ですが、早くなんとかしなくては日本そのものが大変な事態に陥るでしょう。
 原発事故以来の放射線問題についても、未だに汚染土他問題は山積みです。

 神経症者は後先を考えません。
 たった今を誤魔化すことしか考えませんから、表面上「良く見せる」努力しかしません。

 皆さんは神経症者と聞くと自分のこと、身近な人のことばかり気にするかもしれません。
 しかし、世界的に政治を神経症者が動かしている場合が多く、逆にそうでない場合の方が少ないです。

 僕たちは元々人間や世界が現実より良いものだと思い込んで生きていますが、実際にはそれが現実です。
 心理的に成長して自己実現すると言っても、自己実現は仏教の世界で言うところの解脱のことですからなかなかそうなれている人はいません。

 そして、自分のことではなく自分たちが抗えない力を持ち、世界を動かしている人たちにも注目しなくてはならないのです。
 全体に共通する問題を処理していく人が神経症者であれば、必ず後に問題となる都合のいい解決策を取ろうとします。

 「言われたことに従っていれば平気」
 と思ったら大間違いで、社会には親のみならずどこに行ってもナルシストで溢れかえっています。

 誤解しないで欲しいのは、「頂点に都合の悪いことは、社会では言えないのだ」ということです。
 少なくとも、広く知れ渡る場では言えなくなってしまっているのが現状です。

 この状態で「そんなことより私を見て!私の歴史を聞いて!」という人たちが増えたら、どうなることでしょう。

 ネットではどこの誰かわからない、何をしているのかわからない人がいい加減な理由と根拠、気分で人を攻撃しています。
 そんなことは常識的に考えて当然異常であり、道端で話している他人の話を聞いていきなり怒鳴りつけるようなものです。
 その程度の礼節も弁えることができなくなってしまったのが、現在の日本人です。

 既に、この世界が現実のものであると感じられないのです。
 この状態で、他県に困っている人たちがいると聞いても、可哀想がって気分がよくなる程度ですぐに忘れてしまいます。

 これからの政策の方向性を見ても、現状を見ても、沈没寸前の船で先に進もうとしていることは明らかです。
 もう誤魔化せないところまで来ているのに、これ以上誤魔化したらどうにもならなくなります。

 そして我々は既に帝国主義ではなく、民主主義となりました。
 自分たちの力を合わせて、できることを実行することが可能なのです。

 神経症者は目立つことや権威が好きですから、権威ほど信じたいものはありません。
 しかし、歴史は合意の上に成り立つ作り話であり、全ての政府は嘘をつくのです。

 そういうものなのだ、と知り、そして自分たちが何をしていくのか考えねばなりません。

 僕は主に都市部の心理状態を改善すべく活動をしていますが、被災地等支援を必要とする人たちは、心を動かし力あるところから持ってくるよう、心理的に敵意が生み出されることを避けてもらいたいのです。

 人の心は敵意では動きません。
 何かを必要とする場合は、「助けてあげたい」という衝動を相手の中に生み出さねばなりません。

 実際、この東京に暮らしていると、自分たちの周りにはなんの問題も起きていないと感じられる環境が出来上がっています。
 情報は都合よく歪曲され、また遮断され、何かしなくてはならないという現実さえ殆どの人が知りません。

 僕は全国各地の地方紙に目を通しますが、それぞれの場で起きていることは全く違います。
 それぞれが他方のことを「知らないのだ」とまず知っておいてください。

 知っていてやっているのではなく、本当に知らない人が多いのです。

 首都圏は楽しそうに見えるかもしれませんが、完全に資本主義のサイクルに取り込まれた状態でみな生きており、中身は空っぽ状態で死んだ目をしている人が殆どです。

 ストレスが溜まり、疲れ果て、みなどこかに癒しを求めています。

 根本的な問題がどこから来るのかそれぞれが知っていく必要がありますが、僕自身の力も微々たるものです。
 何よりも状況を把握できている人が一人でも増えることが重要です。

 皆で「どうするべきか」を考えていくことが必要なのです。

 同じ問題に取り組むためには、それぞれの立場と違う力が必要です。

 元を正せば現状は150年前まで遡らねば原因がわからないくらい、過去からの流れの先にあります。

 しかし、とにかく今は現状の把握が先です。
 そしてこれからの政府の対応を考えるに、全国に問題が拡大化していきます。

 僕たちにはそれを止めることも可能ですし、自分たちの力を合わせてなんとかしていくこともできます。
 それぞれが「私を見て!」「俺の気持ちをわかって!」さえやめれば、子供たちの未来も安全になりります。

 子供たちのためにと言っても、ナルシストは「私は優しいいいお母さん」と思われたいだけで、実際に社会とつながれていないので、社会活動の中で子供たちの未来のために動きません。
 社会は他人が作ってくれるところ、自分は言うことを聞きながら大人に褒められることをして、子供を褒められるように育てるもの、と考えています。

 子供に育てられた子供は、勿論社会を誤解して同じような生き方をします。
 大人が社会を作っていると知らない大人が多くいて、「偉い人が作っている」という未だに帝国主義を続けたい人が大量にいます。

 権威が好きな人たちが権威に望ましいことをすることで、権威の力は一か所に集中し、より強力な支配体制となります。

 僕たちはひとりひとりがただ言われたことに従い、その力を合わせることで独裁的な国家を作ろうとしています。
 そうではなくとも、僕たちが従いたがれば勝手にひとつの大きな力が生まれます。全ては僕たちが望んでやっていることです。
 今の世にそのような存在は本来いません。

 自分で考えることを放棄した人は、従うことを強要されているかのように錯覚しますが、単に自分が自分で決められない、決めたくないだけです。

 「私がみんなにどう思われるかが、この国の問題である」
 という気持ちで生きている人が多くいて、社会の問題を放り出して皆が自分のことに従事して欲しいと願っています。

 自分を生きる目的にしてほしいという願いは、人間関係依存症の人しか叶えてくれませんから、社会の活動に目を向けている人はナルシストにつかまりません。

 共通の問題に取りくむから仲間になるのであって、人を目的にしたら仲間は誰もいなくなります。
 自分が社会とつながれて、社会のつながりの中から人と繋がり共同体感覚は生まれます。

 自分を目的にしてほしい人は、誰とも繋がれないのです。

 そして、自分個人ではなく所属する集団である土地そのものに起きた問題で、現在も助けを必要とする人は沢山います。

 一人ではなんともできませんし、僕もこうして知らせていくことが主な活動です。
 しかし、沢山の人に知れ渡れば今活動している内容でそれぞれ必ずできることを見つける人が現れます。

 「考えねばならない問題なのだ」

 ということを、まず知っていく必要があるのです。
 全てはそこから始まるのです。
 「どうしたらいいの?」と聞かれても、初めて出会う、しかも世界初の問題にどう取り組んだらいいのか知る人などいるわけがありません。

 しかし、問題が起きている以上、考えていかねばなりません。

 人任せにしている現代社会は、考えさせると自分たちの首を絞めかねない誰かに結論を任せています。
 それは自分で考えて間違いたくないから、地獄の悪魔に頼もう、というような発想であり、賢い選択とは呼べません。

 助けが必要な人々は、まず人とつながることを大切にしてください。
 人は少なからず人情で動きます。
 一人と知り合ったら、その背景には必ず人がいます。
 その人が必要としていなくても、他では使える何かを必ず知っていたり持っていたりします。

 今目先のことで考えず、人と知り合っていき、その繋がりを失わないようにしてください。

 まず知ってもらうことが大切です。
 人は情報として認識に入れていれば、何かを見た時に必ず「思い出す」からです。

 知らなければスルーしていた何かを、問題が起きていると知ったならば「そうだ!これがあれば!」という閃きを起こします。
 その可能性を作るためにも、ただ季節の挨拶をするような、本当に小さな繋がりも大切にしてください。

 そして繋がりをより多く持つことで、心理学で言うセンス・オブ・コヒアランスを支える要因のひとつ、状況に対処していける感覚を持つことができます。
 つまり、小さな繋がりを大切に作り、それを続けることは自分自身の安心感につながるのです。

 心理的に不安が続く人は、望んだものがぱっと出てくることを期待し、それができないとすぐに捨てる真似を平気でします。
 人を大事にできない人は、人に大切にはしてもらえません。

 人を大切に扱い、尊重することは必ず自分自身の身に必要なものをもたらします。

 僕は各地の問題をできるだけ把握し、心理的状況を鑑みて様々なアプローチを試みていきます。
 それぞれに当てはまる場合とそうでない場合があると思いますが、誰か、またはどこかに必要だから行っていますので、その効果がやがて波となって全体を動かすことを期待してください。

 そしてそれぞれが行うべきことを、少しずつ行ってください。

 日本は心理的には既に壊滅状態にあり、人の心を見る人は殆どいなくなりました。
 心優しい人たちは依存され、嫌な思いをした挙句反論もできない状態に陥り、ノイローゼになり絶望して次々国を捨てています。
 安全だと思える人たちは、いじめをしたがる人にとってはやりたい放題やっても「許してくれる」ただのサンドバッグです。

 人が嫌がることがしたくて仕方ない人は、ストレス解消のためならなんでもします。
 嫌なことをされて更に自分の都合を押し付け、相手にただ嫌なことを我慢しなくてはならないと思わせる人たちが、この国を崩壊させています。

 優しい人だから、安心。
 その安心は、「いじめても安心」の人と、「不当なことをしないから安心」の人がいます。

 僕もよくやられていますし、生徒たちには僕も精神的に耐えられなくなったらやめるから、それまでに育ってくれよとお願いしています。

 精神的に幼児どころか赤ん坊の状態にとどまっている人は、説明により人の感情が決まると思っているので、例えば嫌なことをしたら言い訳することで相手は安心すると考えています。

 普通に考えれば、自分がどんなに嫌なことをされても「お前のためなのよ」「お前が大事だからこそやってるのよ」と言われて嬉しくなった人なのだと思いますが、実際には人に対して二重束縛のいじめをして、まずくなったら我慢させるの繰り返しをしている人です。

 しかし、そのような人は自分たちが如何に大きな波紋を呼ぶことをしているのかわかっていません。社会と全く繋がっていないからです。

 しかし、僕含め社会に身を投じ活動する方々は、今現在も同じ社会の問題に取り組み、互いの活動を見て励まされています。

 社会は皆が暮らす家です。
 共同体感覚がある人は、仲間意識を持ち、地域や職場の活動の中で力を合わせています。

 共同体感覚がより強くなれば、何かの繋がりから人と仲間意識を芽生えさせていくでしょう。

 どんな地域でも、何かの繋がりが必ずあるものです。
 共同体感覚を育てることを忘れず、個人的な問題だけでなく集団の問題について、皆で考えていきましょう。

 僕は元々家族に恵まれておりませんので、社会の中で皆さんと繋がりを持ち、同じ場にて力を合わせていくことを幸せに思っています。
 また、その中で信頼関係が結べることに喜びを感じております。

 皆さんの地元愛を再び取り戻すため、自身のホームページでも地域についてお話していきます。

Refresherぷらすの中で今後も様々なお話をしていきますので、無料または有料の会員登録を是非お願いいたします。

 可能な限り、一般に知れ渡ることのない話を含め皆さんにお知らせし、また教えていきたいと思います。

最上 雄基

人格はこうして作られる

 執筆中の文章より抜粋

 

 人は最初は必ず、親にそっくりの人間になっているものなのです。

 それ自体は当たり前で、母とのコミュニケーションで人格が作られてゆくのですから良いも悪いもありません。しかし、子供を受け入れず自分を受け入れろと要求する母と母親固着を満たそうとする子供は、自分自身でも受け入れがたい人格に、いつしか自然となっているのです。

 奇妙な表現になりますが、「自然と不自然な人格になり、不安定なまま人格が安定する」のです。

日本の多くの夫が勘違いしていること

 日本の多くの夫が勘違いしている。

 それは、妻が「もう離婚する!」と言い出したら、おしまいだ、ということだ。

 長い結婚生活の末、それまで我慢していた妻が「離婚する」と言い出す。
 ずっと冷えた関係が続いてきて、離婚すると言うならばもう心は完全に離れている。

 だが、離婚の二文字が出た途端、慌てる夫がとても多い。
 「じゃあどうしたらいいの?」と言い出す。

 恐らく、妻は悲しくなるだろう。
 「離婚する」と言われてそんな返答が返ってきたら、更に離婚したくなるだろう。

 「じゃあ」ではない。
 もう終わったのだ。
 結果が出てから、「この結果は困るから、どうしたら結果を変えてくれる?」ということだ。現実が受け入れられない。

 何よりも、これまでの妻のことも、今の妻のことも、何も受け入れられない。

 これまでの関係があり、我慢してきた妻の気持ちがあり、今に至っている。

 結果はこれまでの妻がいてそこにある。
 だからこれまでの妻を受け入れるならば、その結果に納得しなくてはならない。

 もう離婚したいのだなと。
 つまり、「もう自分のことは見限ったのだな」と。
 なぜそうなったのだろうか?
 今まで何を考えてきたのだろうか?
 どんな気持ちだったのだろうか?

 と妻の過去を考えず、そこを無視。そして今も無視。
 そして「じゃあどうしたらいいの?」と言い出す夫の話を、よく聞く。

 妻にとっては今更だ。
 もう何も受け入れてもらえない感があるだろう。

 「この人私がいなくてもいいんだな」と思えるだろう。

 妻を一切無視して、気持ちを全く見なかった夫。
 心に無関心な相手といると、苦しくなる。死にたくなる。

 だから一緒にいるのも嫌になる。
 妻は夫に自分の存在を見て欲しかったのだが、夫はそんなことより自分のことが大事。
 「離婚」という形は困る。
 自分がきちんとできていないみたいになる。
 みたい、ではなく、そうなのだが、妻は人生のオプションに過ぎないから、「立派な人生」に傷がつくと困る。

 ある奥さんの夫は、大変優秀な人だった。社会的には。
 妻に褒めて欲しいマザコンであった。
 会社で表彰されると、それを妻の目につくようにし、妻が褒めてやらないと今度は母親の元に褒めてもらいに行ったという。

 皆の子供をやっている夫なのだ。
 夫は「君は頭がおかしい!」と言い続け、彼女はノイローゼになった。

 夫は頭が良くない。
 「こいつ馬鹿なのかな?」と恋人に思うことは僕もあるが、僕は僕が馬鹿ではないので、相手のしていること、考えていることはわかる。
 だから別に腹は立たない。馬鹿であっても可愛いということはある。好きか嫌いかには関係ない。

 結婚したら恋愛は終わり、と思っている夫が多い。
 釣った魚に餌はやらない。
 だが、餌をやらねば魚は死ぬ。

 ごっこ遊びのように人生を作る。
 結婚したら「もう結婚はしたから、次は…」と立派な人生にするための次のアイテムを探す。
 「もう結婚はしたから、お前との恋愛は終わり。お前は次は良い奥さんやってね。俺は良い旦那さんやるからね。」
 そんな感じで、形だけ作る。

 良い旦那さんとは、妻を愛する人だ。
 夫が良い夫かどうか決めるのは、妻だ。
 だから妻に認められない夫は失格だ。

 久々に言おう。馬鹿丸出しの夫が日本には沢山いるのだ。

 自分が良い夫かどうかは、妻が決めるに決まっている。
 父親は子供に対する人。
 夫は妻に対する人。
 父親が良い父親かは子供が決める。
 夫が良い夫かは「妻が満足しているかどうか」で決まる。

 妻が満足していないならば、夫は失格だ。

 結婚は夫婦の生活なのだから。

 妻が良い妻かどうかを夫が決めるならば、夫が良い夫かどうかを決めるのは妻だ。

 僕には到底信じられない話だが、結末としてそのような形になる夫婦が非常に多い。
 離婚するかしないか、離婚の二文字が出たか出ないかは別としてだ。

 これまでの自分の夫ぶりの結果を、受け入れるしかないのだ。
 離婚と言われて、「じゃあ」と結果を回避することばかり考える夫は多い。妻の心はどんどん離れていく。妻がどんどん孤独になっていく。

 ということが、わからない夫が多い。

 都合が悪いことはだんまり。話を聞かない。
 何か言われれば理由をつけて押さえつける。

 ということを続けたら、離婚したいと言われた。当たり前だ。

 「自分は良い夫だったのに」という夫ばかりだが、妻が離婚したくなっているのに良い夫なわけがない。
 それは「夫が夫を評価した結果」だ。
 ならば妻は離婚しても、夫は夫と結婚していればいい。

 人の心は徐々に動くものだ。
 失いたくないならば、相手に我慢なんてさせていない。
 気持ちを聞かずにいれば、段々と相手は苦しくなるに決まっている。

 何を考えているのかわからなくなるのが嫌ならば、その都度きちんと聞いてきている筈だ。
 ところが、「その都度誰が正しいのか」を決めてきた夫婦が多い。
 最初から、支配しかない。

 立派な人生に傷がつくのが嫌だから、離婚したくないだけ。
 愛があれば、こう思う。

 「今まで離婚を考えていたなんて、ちっとも気づかなかった…!」

 これまで俺は何をやってきたんだ。
 妻の気持ちをちっとも考えていなかった。
 そんなに「悩んでいたなんて」とこれまでの妻の気持ちを思って懺悔したい気分になるだろう。
 一緒にいてそんなに苦しかったのに、夫の自分が気づきもしなかったのだから。至らなさに泣きたくなるだろう。

 と、今僕が想像すると思える。

 口に出してはいけない言葉というものがある。
 こんな時には、ついこう思っちゃう。ということがあっても、流石に口に出したらおしまいだ、その時いくら腹が立っても、相手を思いやれば流石に言えない。

 その言葉は「誰が食わせてやってると思ってんだ!」である。
 つい言いたくなる時はあっても、それは言ってはいけない。

 なぜならば、特に専業主婦の妻であればライフラインの問題となり、妻は命の危機を感じるからだ。
 奴隷のように思えるだろう。
 そして妻に言い返せることがあるならば「誰が子供を産んだと思ってんだ」しかない。

 生活力を武器にしたら、男としておしまいだ。
 それだけは言ってはいけない。
 社会での立場が違う。家での役割も違う。
 だからそこだけは言ってはいけない。

 これを言われて傷つかない妻はいないだろう。

 ところが、そもそもこの内容の結婚生活をしてしまう夫は、「あの時はつい言っちゃったけど…」と都合よく気にしない。
 そして「でも自分はこんなに優しい男だから」と後から何かするという完全に無駄なことをする。

 これは僕がよく書くヒステリー女子のパターンだ。
 さっきのなに?あの時こう言ったよね?
 と聞きたくなるほど、態度が変わる。

 自分が言ったことが相手にとってどんな意味になるのかすら、考えない。
 そんな人もいる。

 相手の気持ちを考える人は、そもそもそこまでにならない。
 思い通りにするための人形と結婚した人は、「思い通りにならないならいい!」と相手に怒りさえ感じる。
 「いい子にしてるんだから、ちゃんとお母さんやってー!」
 という夫がいて、妻はついに「この男、マザコンだった」と気づくのだ。

 妻の不満と、母の怒りの区別がつかない。
 どちらに対しても同じ立場で受け取る。
 だから「俺はちゃんとやってるのに!」という不満が、なぜか妻に対して出てくる。

 「話を聞いてよ!」と言われても「俺はちゃんとやってる!」と言い張る。
 妻が不満なのに「ちゃんとやってる夫」は誰と結婚しているのか?

 それは「自分の中の理想の夫」だ。
 自分と結婚した夫。
 ナルシストなのだ。

 自分の評価→自分
 妻の評価→自分

 この状態で「ちゃんとやってる!」と言うのだ。
 妻なんかいなくていいのだ。
 妻は形だけ、子供も形だけ。
 形だけきちんとするから、お前たちもきちんとやれ、なのだ。

 誰に見せているのか?
 自分だ。

 ほら、こんなにちゃんとできた!俺は悪くない!

 ままごとだ。
 現実を使ったままごと。

 だが子供だけは現実に存在して、いなくなることはない。

 僕には想像もつかないことだが、何十年でも妻を無視する夫がいるようだ。
 無視とは、「妻の気持ちを見ない」ということだ。

 「こんなにちゃんとやったのに、離婚なんてひどいことを言う」と夫は思う。
 そんな風に思えるくらい、妻に無関心なのだ。
 「離婚したい」と言っているのに、それを「酷いこと」と思われる。

 妻はもう逃げ場が無くなる。
 普段の気持ちを聞いてもらえない。もう嫌になったらそれも批難される。
 そして夫は何も悪くないことにしなくてはならない。

 死にたくなってくるだろう。

 「お前は存在するな」
 と言われているのと同じだ。

 完璧な「自分」を求めた。
 自分の自我の代わりに、自分目線で自分を見て、自分が自分に言いたいことを代わりに言ってくれる妻を求めた。
 自分は自分しかいない。
 自分目線は自分しか持ってない。

 離婚と聞くと慌てて言うことを聞く夫もよくいる。
 僕は正直、馬鹿だなと思う。

 どんなにひねくれた女子でも女子が可愛いと思えるのは、好きになると尽くすからだ。
 こと女子は男子を好きになると、そこに集中する。困るくらいに。
 料理がド下手だったり、頭が悪かったり、どこかズレていたり、そんなことがままあっても、女子だから可愛いという部分がある。
 それがあって、他が「まあいいか」になるのだ。

 妻は家にいることが多い。
 会話ができないという苦痛を多くの夫が分かっていない。
 子供相手に話をしても、それは会話になっていない。
 夫しか聞いてくれる人がいないのに、夫が聞かずに誰が聞くのか。

 何よりも、なんのために結婚したのか。

 「俺はちゃんとやってる」の夫たちは、本当に「ちゃんと」やっているのだろうか?

 信じたいところだが、結果から見るに妻を大事にしていない。
 「こういう妻ならば、早く家にも帰りたくなるが」と結婚してから思うことではない。

 残念ながら、僕はこの手の恋愛すらしたことがないので、一体中身で何をやっているのか、特に男が、皆目見当がつかない。

 「バカかてめえは!」と言いながら、結局は大事にしてやるものではないのか。
 夫なんだから。夫という存在は、妻を愛しているから夫になれているのだから。

 妻は妻で、考えた方がいい。
 結婚は相手が見初めてくれないと、できない。
 なのに、自分が夫に惚れ続けられないことをなんとも思われないならば、夫は結婚ではない何かの関係をやっている。

 紙っぺらの上では結婚だが、それは結婚ではない。

 結婚ごっこでもない。

 人生ごっこ、だ。

 完璧なレールが作られていて、無理やりでもそれに乗るのだ。

 「こういう人生になったら、すごくいいと思う!」という理想の人生があって、それに沿うように道具を探しているのだ。
 無理やりにでも、その軌道を変えないように、自然を壊しているのだ。

 人生はどうなるかなどわからない。
 その時その時、思いがけないことが起きるから。

 まだ自分の人生を生きた人間はいない。
 だから他人の理想や社会の理想がどうであっても、自分自身にさえ、何が自分の人生の理想になるかわからないのだ。

 「こんな風になれたらいいな」と思い描いても、実際にその場に直面したら、やりたくないかもしれないのだから。

 ならば自分の人生は他にあるのだ。

 「やりたいこと」は「やってみたいもの」ではない。

 「なりたいもの」は「なってみたいもの」ではない。

 どちらも苦労があるのに、それでも選びたい。
 それが「やりたい」「なりたい」だ。

 「やってみたい」「なってみたい」は、「きっといいに違いない」と思って体験してみたい「憧れ」だ。

 そんなものは、ディズニーランドかキッザニアにでも行ってやればいい。

 やりたいかどうかなんて、その場にならねば自分にだってわからないものだ。

 だから何が起きるかわからないのが人生で、だからワクワクするのだ。

 自分自身が、理想や予想通りのことを実際の場面で思わないものなのだから。

 そして「やれたらいいのに」「なれたらいいのに」になろうとした人が、最も損な人生を送る。

 それは自分自身の憧れではなく、何かしらの劣等感から生まれた理想だから。

 やりたい確率はゼロ%だ。

 やれてもなれても、満足なんかするわけがない。
 「もしそうであったならば、過去に自分はもっといい扱いをしてもらえただろうに」
 と自分自身が嘆く、過去の思い出なのだ。

 たった今も

 過去の思い出を生きている人は沢山いるのだ。