「雄基はいつか遠くに行っちゃうと思ってた。」
と言われた。
行かないで、とか、捨てないで、とか、よく聞いたセリフだ。
どういう観点なんだ、と昔から思っていた。
初めて聞いたのは二十歳くらいの時だが、強烈な怒りがこみあげてきたのを覚えている。
何にそんなに腹が立ったのかその時はわからなかった。
物乞いのような立場で僕と付き合っていたのだということに、腹が立ったのだろう。
恵んでやる付き合いなどない。そんなことをするほど落ちぶれた人間だという扱いに腹が立つ。
自尊心が低い人と付き合った時、最も腹立たしいのはそれだ。
「僕が人を利用したり支配する人間だと信じて疑っていない。」
言う事を聞けば良い、と思われている。
つまり僕が「女に言う事を聞かせて喜ぶ男だ」と思っているということだ。
そのような事実は無いのだから、別れるしかない。
僕ではない、そのような目的を持った別人だと勘違いしているから「好き」と言っているのだ。
全くの人違いなのだから、喧嘩になろうが離れるしかない。
やたら役立とうとするのも、僕が女を利用して嬉しい男だと決めつけてかかっているからだ。
喜ぶことをしていると信じているから、「あんなにしてあげたのに」が始まる。
この現実には毎度憤りを感じる。愚弄されているのだ。
最初からその事実だけは、全く疑っていないのだ。
だから僕は、何もせず一緒にいてくれる人が好きだ。
何もしなくても、一緒にいるだけでいい人が好きだ。
結婚は特に何もしない関係だ。
特別なことは何もしない。家族になるだけ。
つまり、初期のメンバーと同じこと。
家族というものは変らない。
だが、選んだメンバーで作るのが、結婚だ。
ただ一緒に生活するだけ。最初と同じだ。
立場が違うだけだ。
子供の役から、伴侶の役になる。
僕の愛した人は、何もしなかった。
ただ話すだけ。それでも一緒にいてくれた。
他の女子なら「それはおかしい!」とでも怒り狂って言いそうな、いつもの僕の考えや構築した理論を話す。
「わかったか?」
と聞くと
「全然わかんない!むずかしい!」
と素直に言った。「じゃあ…」と表現を変える。
あれこれ考えてはいる。「こういうこと?」と何度も聞いて来る。
「やっぱりわかんない。そんなことより、あなたなんでそんなこといきなり思ったの?」
と疑問を投げかけてくる。
「それは、さっき、あれを見ていた時に思ったんだ。きっとこうじゃないかなって。」
僕も正直にそのまま言う。するとこんな反応をした。
「やっぱりあなた、どっかおかしいわ。そんなこと普通思わない。」
「そうか、まあ、大抵の人間から見たら天才はおかしく見える。気にするな。」
「気にしてないわ。」
「そうか。」
そんな会話だった。彼女となら喧嘩にならないが、他の女子は僕を批難することが多かった。
「私をバカにした」と言い出す。
彼女は面倒になると話を変えた。
「もう、難しい!そんなことより、ねえ聞いてよ。」
と話したい話をした。
僕も聞いてもらったから、彼女の話も聞いた。
ただそれだけで良かった。
好きだから。
互いに好きな相手ほど、何にもしなかった。
好きじゃない相手なら、常に何かしなくてはならない。
だが、好きならば、何もしなくてもいい。
どこにも行かなくとも、特に何にもしなくても、ただ話しているだけで良かった。
恋人ができただけ、それも自然に。だから互いの人生も生活も何も変わらない。
ただ話して、抱き合って、それだけ。
「こんなとこ行ってみたいね!」
と話していても、それも話しているだけ。
一緒に話しているだけ。
話しているだけで、もう十分だった。
僕はただ一緒にいて欲しい、と思う相手はできる。
だが、大抵は一緒にいるだけなんてことは、してもらえないのだ。
そこまで好かれることはない。
なかなかない。そこまで「信用してもらえない」からだ。
一緒にいるだけでいいわけがない、僕が何かをさせるために一緒にいるのだ、と疑われるからだ。
ただ話を聞いてくれて、ただ思うことを言ってくれる。
そんな素晴らしい女性には、まず滅多に会わない。
だから彼女は今も特別な人なのだ。
寧ろただ話しているだけでは、うまく行かないことが殆どなのだから。
常に疑われているから、何を言っても「批難した」と突っかかられる。
思うことが言えない。
彼女は違った。
「なにそれ」
「へんなの」
「知らないけど、そうなんだ」
「わかんない」
ただ思う事を言ってくれた。
信用してくれた。
バカにして言うのではない。そこに蔑んだ感情は籠らない。
ただ思っただけ。素直に言っただけ。
友人の中で最も一緒に特別なにもしなかったのが相棒だ。
恋人の中では彼女だ。
その代わり、話していた量と質は断トツだ。
ただ一緒にいてくれるだけの人が、一番貴重なのだ。
なぜならば、それは最も特別な関係になる人しか、許されないことなのだから。