もう長く書いたのでこれ以上その先は書きませんが、とにかく、大丈夫です
ただ、もしこれを続けていくならば生きていることが不安で不安でならないだろう、ということは僕も体験してわかりましたから、この体験も必要だったと納得しています
今生きているレールを他人に敷かれているのに、敷いた本人が答えを教えてくれない
説明されたこともない
なんだかわからないけれど「責められないため」にレールに乗っているから、いつまで経っても不安なまま生きている
このような状態がどんな気分であるか、僕も体験して知ることができました
なんだかわからないけれど、従い続けているしかない
しかし厄介なことに、そのレールを敷いている人たちもまた、他の人に敷かれたレールの上を進んでいるから不安でたまらず、誰かを「道連れ」にして安心しているのです
あの目
加藤諦三先生のあの目は、公家のお嬢さんも、さる政治家も、みんな似たような目をしていました
あのガラス玉のような目は、「洗脳された人の目」だったのだなと今になりよくわかりました
先に言っておきますが、僕は理屈で説明できるかどうかはわかりません
本質は理解できますが、細かく常に説明できるわけではありません
ただ、「見れば違いや不自然なものはわかる」それだけです
自分だけはわかるから自分だけは何を言われても安全な方に動いて、そして一人で助かってきただけです
「見ればわかる能力」だけ身に着ければ、あとはもう自分でわかると思います
説明だとそれぞれの知識や経験によって誤解が生じますから、能力だけ身に着けることを重点的にやっていこうと思います
言葉は人を傷つける
後のことも考えずに、正しいかどうかだけで考えて不用意に使ってはならない、と僕は思います