反省って何でしょうか
自分が悪いことをしている、と人に説明されて納得して、謝ることでしょうか
反省は心の中ですることです
よって、心無い人にはできません
心無い人は、ここが心の世界だと思って生きている人です
そのような人は現実では「自己不在の人」になります
心の中があって、自分が存在できます
心の中が「ない」のと同じですから、この世界に自分が存在していません
自分の意見がない、自分の意思がない
心の世界だと思っているので願望を口にします
願望を具現化しようとします
心の中に湧いてくる願望は、誰もが「諦めるもの」です
心の中にしまっておくものであって、人に口に出して言うものでもなければ、言って叶えてもらうものでもありません
それでは起きたことは「ごっこ遊び」になってしまいます
僕は親のごっこ遊びにつきあうことなく、現実を生きてきた人間です
大抵の場合はそうならないそうですが、だからこそ、「ごっこ遊びに付き合うだけ」そして「つき合わせるだけ」で終わらないように現実に生きて欲しいと願って活動しています
自分に向き合っているだけで自尊心を取り戻すとか、そんなことは無理です
「あなたにもいいところがある」と自分の良い部分をあげて数えてみる
そんなことで自信が取り戻せるならば、何の苦労もしません
普通の悩みならともかく、人格形成そのものに関わっている問題はもっと根深いです
心の中を「共有」して生きてきた人は、心の中を見て欲しいと思っているようですが、即刻やめた方がいいです
心の中は人に見せられるものではありません
心の中にあるものは人に説明してわかってもらう必要はありません
そんなことをしていたら、心ある人だけがいなくなります
心を共有していれば心理的に自立できない人と不自由な形の共依存関係を作ります
なんとかして、残りの人生を「本当に犠牲を払い続けてきた人」は脱してほしいと思っています
必ず、人の面倒を見てきた人は自分自身が色々な力を身に着けています
まともな人と「新しい本物の現実」を作っていくためには、「これまでの話」に相手を引きずり込まないようにしなくてはなりません
「この人はいいけど、この人が関わってほしがっている相手と関わりたくない」
そんなことがあります
それでも、「だから付き合っていけない」と理由を話して聞かせたら、自分自身の頭の中に「赦せない人」のことしかないものだから、その問題を軸にしてしか付き合いを続けない人がいます
自分は被害者なのに、自分を悪者のように扱う!と思い込むのです
既に死人に引き摺られていると全く自覚できないのは、自分自身が「誰にでもいい顔をしている」からです
自分を不自由にしている人との問題に関わらせたら、自分の自由を受け入れる人とも不自由な関係しか作れません
誰かに極端に犠牲を払いながら生きていると、自由を赦す人は「救ってくれる人」のように見えてしまい結果相手に自分自身も極端な犠牲を払わせようとします
ミイラ取りがミイラになるという状態です。
誰かを説得しようとしているうちに、自分の未来が無くなっていきます。
しかし完全に死んでいる人はもう助けられません。
他人が気づかせることもできません。
そんな時はどう脱していけばいいのか。
相手にそれを説明しても実行しません。常に誰かに依存して生きていく気しかないのです。
本当に命を奪って生きている人です。
成長を拒んでいる人は命を奪う人です。
成長しないまま他人といるということが、相手にとってどういうことになるのか。それすら考えません。
人の未来を奪いながら、「自分は言われたとおりにこんなにしてやっている」と恩着せがましいことを考えています。
もう死んでいる人です。
目に生気もないです。
死者の国に呼び込んでいくことしかできなくなっています。
一度「してはいけない」と言われたことも何度でもやり続けます。
何度指摘されても変わりません。もう死んでいるので何も変えられないのです。
死人に口なしと言いますが、肉体だけはまだ生きているので魂は死んでいても口はきいています。