僕も絶望的な気分を何度も体験していますが、それでも今まで必要なことは全部説明してきたと言ってもいいくらい説明してきました。
しかし、理解できる人は1%程度なのだと思います。
全員が「わかった」と思うんですよ。
でも「わかる」をどういうことだと思っているのか、そこでもう知能に差があるのです。
何を言っても無駄、という人がいます。
誰が何を教えても「自分が受け取りたいように勝手に解釈」するからです。
神経症者は「新しいものを新しいと認識できない」と言われています。
つまり、脳が発達しないのです。
「気づく」ができないのです。
だから「気づけば変わる」と言われているのです。
知らないことを知る。新しい世界が開ける。
それすら「誰かの体験」をパクってあたかも自分も似たようなことを体験した「ふり」までする。
病的なのです。
まともな人は「ふりなんてしてどうするの?」と思うんですよ。
「ふりして他人と同じだと思ってもらえたら、他人と同じ扱いを受けて他人の人生と同じ人生を生きていける」
つまり、他人になりたいのです。
無理ですね。
でも真似しかできないのです。
自分を自覚する、ということができないのです。
こうして生きていると、みんなそれなりにそれっぽいことを言うので、それなりに大人になっているのかな、と思えるでしょう。
しかし違うんですよ。
大多数は、「他人が言ったことをパクっているだけ」なのです。自分の考えた言葉を喋っておらず、体験もない、発見したこともない、結論を出したこともないのに「私はこう思う」とか、「これは間違っている」と言っているのです。
でもそれだけわかる割には、人生そのものは奴隷のように大きな力に従っているだけ。
未来なんてないです。考えて決めていないですから。
だから救いが必要になっているのですが、そんなものあるわけがないです。
あるわけない、とわからないのです。
自分がしていることは間違っているとはまったく思わず、自分が常に正しいと思っているからです。
「こんなことをしたら、どうなるか」
自分が行動する前に、想像して未来を予測できないのです。
しよう、という意識もないのです。
だから無理なのです。
まず、僕たちは最初に何も知らずに人生を始めているのですから、実際に知っていることなどたかが知れているし、全てを知ることなどできずにみな死んでいくのです。
では、ここはどこなのか?
自分はなんなのか?
生きているとはなにか?
周りにある社会たるものはなにか?
など、哲学的なことを考え、自分自身でひとつひとつ気づいていかねば発達はしません。
他人に説明されたら、それを鵜呑みにして覚えるだけ。
なぜその結論に至ったの?と聞かれても、自分が考えたことはないので理由は説明できず、他人が言った説明を繰り返すのです。
他人の言葉を真似て、他人の経験があるふりをして、でも全部ふりなので中身も経緯もない。
僕の若い頃の友人にいつもグズグズするやつがいたのですが、僕が慰めて教え諭した時に話した「僕自身の哲学」に納得したので、そいつは自分がそう思うかのように他人に話すようになりました。
僕が話した内容を自分の考えのように語りナンパをし、深い考えがある人だと尊敬されたらしくそれで結婚しました。
すぐダメになりました。
友人から「あいつがお前に言われたこと全部自分の考えみたいにあっちこっちで語って回ってる。」とチクリが入りましたが、放っておきました。
結婚して子供も設けましたが、夫婦仲は悪く、「元通りのそいつ」になりました。内容が家庭の悩みになった違いだけで、性格的にはなんにも変わりませんでした。
それが、知能が低い、ということです。
他人の考えを聞いて納得したからそれは俺の考え。
こういう思考なのです。
人との違いがわからないのです。自分と人との違い、あの人とこの人の違い。
違うものと同じものの「区別ができない」のです。
言葉で教えてもらわないと、自分の体験には解説が入りませんから、何を体験したところで「なんにもわからない」のです。
なんにもわからないから、他人に話して聞かせて、他人に判断してもらうのです。
あとは、誰かが言ったことをパクッて語り、誰かに命じられたことを実行し続け、褒美として与えられたもので欲を満たし、暇があれば愚痴を言うのです。
愚痴を言うのは愚かな証拠。畜生道です。
うまくいかないと思った体験から何も学ばず成長しなかった、ということです。
人生は経験にも限りがあります。寿命に限りがありますから。
同じ十年の月日を生きても、体験からどんどん学び成長する人もいれば、まったく変わらない=退化する人もいます。
年は取っていくのですから、成長せず変わらない、ということは退化です。
十歳の子が三歳並みである場合と、三十歳の人が三歳並みである場合は同じではありません。
「十歳のわりに幼い子」から「三十歳なのにおかしい」に変わっていくのです。退化していくのです。
自分は何も変わらないから、ずっと同じ、と思う。
それが区別ができない人です。
認知能力はどんどん衰えます。だからもう一生無理、という人も沢山いるのです。
死がどんどん迫ってくるのに、今まで生きて来た世界自体が「勘違い」なんてことに直面するのは不可能に近いでしょう。
ちなみに、僕は直面しました。三十代の頃に、個人のことではなく社会の洗脳について気づき、目が覚めました。
何年もかかりました。平衡感覚を取り戻していくまでの時間です。勿論一人で努力もし続けました。周りのことは考えず、自分の目的に向かって進んできました。
でも、こうした話をすると、僕の体験をパクる奴もいるのです。先ほど書いたかつての友人の話、妄想恋愛ストーカー女子の話、それは「そうなってしまうよ」と先に想像してもらうために話しているものです。
そんなことは言わなくてもわかる人はわかりますが、それすらわからない人もいるのです。
昔話の教訓の意味が理解できないまま大人になった人です。
一言で言って、馬鹿なのです。
僕は生まれつき知能が高いです。ものすごく高いです。
だから子供の頃に「これは現実だ」と気づきましたし、話をしても先生も理解できませんでした。
でも、自分が間違っているなんて思ってはいません。
そうなものはそうだからです。
僕がどんなに先に「このままではまずい」と教えても、自分の願望を叶えることしか頭にない人にはなんの役にも立ちません。
そして、僕が言ったとおりの「どうにもならない末路」を辿るので、僕も離れていくのです。妄想恋愛ストーカー女子にも何度も同じことを説明しましたが、もうあそこまでおかしくなってしまった人には人間が会話して何かを教えることは不可能です。
殆ど動物並みです。自分の頭で考えるなんてことはひとつもできない知能でした。それでも、社会では職場であいさつ程度できれば、後は推し活でもして妄想しては他人に迷惑をかけて生きて行けるのです。
奴隷。本当に奴隷です。
僕は他人のことは気にせず自分のことを考えて生きてきましたから、そんな馬鹿が存在していると知りませんでした。
自分の人生について、自分自身について、何も考えずに生きて来たのです。
どうやら、「みんなで私の人生を生きている」と思っている子供の頃のままなのだとわかり、じゃあ他人が話してもなんの意味もない、と悟りました。
その時期は他人との会話は「雰囲気だけ」の産物です。今ここで会話している内容は重要だとも思っていませんし、会話がかみ合わないとしても気にしないのです。
「会話がかみ合わなくても相手が許してくれて優しくしてくれればいいや」
子供の感覚などそんなものです。自分の頭で自分の先など考えようとしていませんから。
わからないことは他人に教えてもらい、どうしたらいいのかわからない時は他人に決めてもらい、どうにもできない時は誰かにやってもらう。
それが家畜の生き方なのです。
自分も人間なのだ、という扱いを自分が自分にしなかったのです。
そして、もし僕がこんな話をしたところで「親が」と言い出すほど、もう自分の頭で考える能力がないのです。
今までしてきたこと全部、我慢したとか言っていること全部、最初からひとつもやらなくていいことだ、と自覚できないのです。
自分など存在していないです。我慢して装ったら、自分が存在していると思い込んでいるのは「自分だけ」で、他人は我慢している自分を本物だと思うのですから、もし思わなくても本当はどうなのかなど誰も自分も知ることなどできないのですから、もう手遅れです。
手遅れ。
これがあるのが本物の人生です。取り返しはつかないです。
それでもまだ寿命が残っているから、今からでも必死で生きねば、と思える人はともかく、そんな人もまず滅多にいないのです。
男のやることに口を出さず、甲斐甲斐しく世話をする女。
それが立派なことだと思っている人は、最初に結婚や恋愛の成功を「諦めた人」です。
実行前に、考えればわかります。何が起きるか。
お母さんが言ったという理由での失敗であれば、自分の人生における恋愛や結婚の幸せを諦めてもいいと判断したならばともかく。
考えればわかることです。
考えなかった、ということだけは、すべて自分の責任です。
僕も子供のころ考えましたよ。
母が何を言っても、実行するのは自分。つまり僕の責任にしかなりません。外に出て自分の人生で実行してしまったら、うまくいかない時に「お母さんが言ったから」を言えばただの言い訳。というか、それこそが「言い訳」というものです。
自分の考えもなしに行動して、言い訳する。
その時、「お母さんが言ったんじゃしょうがないよね」と優しく対応してくれる友達や恋人がいたならば、僕は完全に「どうしようもないやつ」として対等な立場を離れなくてはなりません。
人間としての尊厳を守るならば、理由は本当に母が言ったからであっても、僕がやったことだと責任を取るしかないでしょう。
事実、やっているのは僕ですから。
「お母さんが言ったから」と言いながら素敵な女子をやっている女がいたら、ちっとも素敵ではありません。どうせ何もかもお母さんに言われてやっているだけで、本人の考えではありませんから。
本人の意思がないなら、「意思を尊重」などできません。
自分の意思を尊重しろと求める人間が、尊重すべき意思すらないなんてことはよくありますよ。意味がわからずに適当に言っているだけなのです。
人間は知性があって人間です。
知性とは、自分自身の精神があり、自分で考えることができる力です。
言われた言葉を真似しているだけなら動物でもできます。ボノボなんて賢いものですよ。
尊重すべき意思がないのに言われたとおりにちゃんとしているから幸せにしてもらうなんて、人間としての尊厳をすべて捨て去った何かでしかありません。
事実そうなのですが、「傷つくから」という理由で死ぬまで今のままでいいことにしてあげるのが「日本人の優しさ」です。
しかし僕は、かつて外国から来たばかりの方に言われたことを思い出すたびに、僕はどこに行っても自分の考えを述べられる人間であろうと思うのです。
「日本人って、あなたの意見を聞かせて、って言っても、全員が同じ正しいことを言おうとするの!これ、おかしいってあなたわかる?!」
興奮気味に話していたその様は、今でも脳裏に焼き付いています。
僕は日本人として、今どうすればいいのかと思いました。
殆どの人が、言われたとおりにちゃんとすれば褒美をもらえる、という調教を受けて「立派な大人」になったからです。
外に出ればコソコソもするでしょう。誰も命じてくれませんから。
教えられたならばすぐにパッとできるのですが、どう考えてもみっともない今の自分に対して辛い体験のドラマを生み出すことで現実を自覚せずに生きようとします。
ナルシシストであるのは本当に都合がいいのです。
奴隷を作りたい人たちにとっては。
しかし、僕はただの馬鹿にしか思えません。
または「人生どうでもいいらしい」としか思えません。
自分の人生が本当に大事なら、自分が一番誰よりも考えているでしょう。
自分を大事にしようという姿勢がない人間は、どこに行っても誰にも大事にされません。
他人が冷酷なのではなく、その扱いにしないと本人が満足しないからです。
大事にされたら困るのです。命じられた通りにして、それで認められて、ここからが存在しない妄想ですが
「いつか幸せになれる」
この部分だけは妄想ですが、命じられた通りのいい子にしていれば誰かが「それでいい」と認めてくれるでしょう。
それだけです。
そうしたら「きっと幸せになれる」の、部分は、勝手に妄想しただけの部分です。
最後まで「言われたことをやり続けるだけ」です。
いつか、いつか、と夢見させてもらえているだけ、幸せなのです。
夢の中で幸せになったのだから、もう現実の幸せなんて必要ないのです。
不要なものは手に入らない。道理に適っている、と思います。