最近恐ろしい体験をしている。
僕自身が過去にノイローゼになっていた際には同じことが頻発していた。
「脳内で自分を呼ぶ声がする」
「脳内で自分を呼んでいる」
ふっとそんなことが脳内で起きる。
突然だ。突然脳内で「誰か」が呼んでいる。
つい先日そんな体験をした。危険だ!と思った。
脳内で現実でもない、現実の思考でもない、なんだかわからないものが突然思い浮かんでいる。
自分の存在があやふやになっている。実体感が薄れている。すごく危険だ。
「現実に自分の存在に関心を持って、自分を呼んでくれる存在」
これに大変な価値があると、知らない人が多い。
僕は最近、動画を配信している。一人で話しかけている状態で延々と話す。
異様な感覚を体験するなと思っていたが、原因はこれかと気づいた。
「一人で話している」これは危険だ。
そして「話しかけてもちゃんと聞いてもらえない、存在を見てもらえない」これも同じく危険だ。
現実を生きている際に、脳内に空想めいたものがパッと浮かんだりしない。
想像は思考しながら広げていく世界であり、突然パッと何かのシーンが思い浮かぶものではない。
そこで、注意してほしい。
一人で話している動画を配信する人。今は多いだろう。
同じく、形は目の前にあるが今現実を見ることなく、こっちの存在を無視して脳内で自分の世界を広げている人に「話しかけている人」だ。
つまり、自分に無関心な人と会話しようとしている人。
僕も何か考えなくてはならないと思った。
恐ろしいことである。
脳内で「ゆうきー」と誰かが呼ぶ声がした。
それは異様な感覚で、僕を呼んでいるようで僕が呼んでいるのだ。
意味がわからないが、本当にそのような異様な体験だった。
「脳内で誰かを求めている」ということは、自分の存在が希薄になってきている証拠だ。
話しかける、話す、という行為は「相手がいるもの」である。
いていない相手とか、本当にいないとか、そのような状況で話し続けることは危険なのだとよくわかった。
というわけで、先の状況に当てはまる人は気を付けて欲しい。
僕も「きちんと会話できる人」とできるだけ会話するよう意識しようと思った。
「まともに会話のキャッチボールを続けられる人」は生きていく上で大変貴重な存在なのだ。
「会話のラリーができる人」は滅多にいないので、そのような存在に出会ったら大事にした方が良い。
そして、「人に言うことを聞かせようとしてくる人」は形にはわからない心理的問題を増幅させていくので、本当に気を付けて欲しい。