時代の寵児とニートは内面的には同じである
という加藤諦三先生の著書からの引用を元に、僕もやっと理解できたので説明しました
精神世界から完全に離れて生きている人が社会的にはすごい成功を収めます
でもやはり不自然な部分はあります
その見分け方は話していいものかどうかまだ判断しかねるので、今回は話していません
今は世界を神経症者が動かしている状態ですから、やはりどこまで行ってもそんなものなのだなと納得しました
最近流行っているコーチングも、結局は新しい刷り込みをして別の自我イメージを作るだけですね
本当の自分なんてものは、好き勝手に変えられるものではありません
地盤がドンとできると、もうそこからは離れられないようなものですが、それが自分には一番です
「精神の自分が全く育っていない」
やはり神を捨てた日本は精神世界で地獄に変わりましたね
ややこしいのは、無宗教や無信仰である人は精神的な拠り所がないということは加藤諦三先生も仰っているのに、恐らくこれはアメリカの大学で学べることだからなのだと思いますが、本人自身が精神世界をわかっていなくても同じことを述べている人はいます
神は天から見ている、お天道様が見ているから、誰も見ていなくても悪いことはしてはいけない
そのように自分自身を戒めるのが神仏の存在を信じている人です
決してそれを口に出すこともなく、黙ってただ戒めているだけです
見ているのは天なので、人に言う必要はないのです
しかし、こんなこともやはり言葉に出して誰かが言えば必ず真似する人が現れます
じゃあどう見分ければいいの!
と言いたくなるかもしれませんが、見分け方はあります
その人がどんな人なのか、精神の中にいるその人を見ることです
流れの中に必ずその人の動機は現れます
スーパーお勉強できる人々は、物質界のことは非常によくわかるのに、人のことは「心を持ったもの」として見られない人が沢山います
それはもう、わんさかわんさかといます
本当にとてもややこしいです
自分の意見を言う、好きなことをする、など、誰でも今は言いますが、それを本当にやっているかのように見える人が実際には神経症者である場合が多々あるのです
人との触れ合いをきちんとできている人は、家族大好き、友達大好き、それがわかるような話がちょくちょく出てくるでしょう
現代社会の時代の寵児達は心理的にはニートと同じ、ただ、現象として現れるものとしては正反対
「誰も書かなかったアメリカ人の深層心理」加藤諦三 朝日新聞出版
僕は相変わらず非言語的に見分けていて、不自然さから発見します
「この先に何があるのだろう」とわくわくしていたのですが、どこから入ってもダメ
全滅でしたね
結局は、男が社会的に成功して金儲けして好きなことをして生きるのが最高
ということにしかならないです
家族は「ちゃんと養って残すもの残してるから大丈夫」くらいです
「お前たちもお父さんみたいにちゃんとやるんだぞ、社会でダメな連中みたいになるなよ」と同じようにエリートに育てていくだけ
この「金持ってからの家族の地獄」があると知らないのだなあと思いました
自分が望んでいると誰もがそれを望んでいると思い込んでいるのが神経症の人です
どうやら「社会のリーダーになりたい」が彼らの目的のようですが、別になりたくない人もいます
「偉くなって金持っていることがこの世で何よりも大事なことだ」と信じて疑わないその姿勢はすごいと思います
「奥さんは?子供たちは?」
そして、親や元々あった家族は?
幸福な時間を共に過ごしてきたのか?
加藤諦三先生がこう述べています
「アメリカ人と日本人では心の土壌が違うから、同じ教育をしても同じにはならない」
心の土壌がないままにアメリカに渡った人たちの多くは、精神の自分がないのに彼らのやり方だけ模倣してしまうのだなと思いました
不思議ですね
心理的なことを言えば当然なのですが、心理的には同じである神経症的成功者は、同じ内面のニート的立場の人たちには大人気です
「俺もすごくなれる」が期待できますからね
搾取する側とされる側
争いに参加できない人は死ぬしかないという考え方です
戦いの中にしか生きていない人は、この世は戦いしかない、という考え方です
愛や信頼が最も大事である、それがあって初めて人間は人間らしい心を持って生きられる
と思う人はまずいないようです
僕は基本的に誰を見ても絶賛します
別に嘘をついているわけではなく、本当にそう思えるからです
争いの中にいる人は「すごいかすごくないか」しか気にしないので、面白さはないですね
でも頑張ってきただけに、何かすごいものは持っているという人も沢山います
「こんなに頑張って金を稼いだんだぞ」ということを自慢にしている女子も今は沢山います
完全に権威主義の父の仲間入りをして、その社会で私も私もで頭を下げて生きていくことになるのです
悪いことを悪いことだとわからない人は、こんな風になっているんだなあ
と納得しました
一番は、本人がどういう人かです
ここで誰がどうと名前は出しませんが、幸いなことにうちの娘は今大人気の心で絶望して社会的に成功している人たちのことは「なんか人気らしいけど怖いから見なかった」と言いました
本当の大人は冷たい人ではありません
安心感、慈悲、優しさや自然な笑顔がある人です
心無い世界を生きている人は、この世に神を存在させてしまうからまた同じループです
人が正しいと言うことは、その人の生き方の肯定でしかないのだと思えばいいでしょう
人間は自分を肯定しなくては生きていけません
本人が満足して自然な自分として生きているか、否か
それにより正しいと述べることも変わってきます
本人自身が神経症者である場合、神経症者の方が居心地がいいはずなので区別はつかないですね
心の中に恨み憎しみがあると、健全なものは喜びに感じられませんから
誰かをバカにしたり見返したりすることが嬉しくなるのです