本を読む時に重要なことに気を付けて欲しい。
とりあえず、心理学の本についての話として考えて欲しい。
著者はどこの国の人なのか?
どこで生まれた人であり、信じている宗教は何か?
どのような経歴で、どこに所属しているのか?
何年に書かれたもので、当時著者がいた場所では何が起きているどのような状態だったのか?
それらを気にして欲しい。
自分自身がたった今読んだものであっても、心理学において「名著」とされるものの多くが戦前に書かれたものであり、国の事情や人種的宗教的問題を無視して著者の視点を理解することはできないからである。
そして、昔は定説であったことも、その後科学や医学の進歩に伴い事実とされるものが変わったこともある。
それらの流れを理解した上で、「著者を想像して読む」ということを心がけて欲しい。
また、現在の日本についてもよく理解した上で、それらを自分自身のために役立てるよう使って欲しい。
なぜこのような注意を書いたかというと、特に精神分析学の本は「非常に辛辣」と思えるほど事実をそのまま書いてあるものが多く、気にし始めたらどんな人でも何某かの欠点があるのだから「なんとかしなくては」と思うのは当然だからである。
完璧な状態、というものを目指すならば、まず完璧な過去でもない限りそれは不可能である。
そして、現在の日本が敗戦後「普通ではない状態」として成り立っているのだから、まず今を理解してその中で皆で生きていく方法を考えるべきだろう。
どんなに著名な心理学者であっても、例えばあのアドラーも偉大な師であるフロイドとの関係で葛藤していたと言われているように、みな悩みは抱えて生きていくのである。
葛藤から逃げず、失敗してもくじけることなく生きていく「姿勢」が重要なのであって、完璧な人間という商品になればいいという話ではないのだ。
そしてそれぞれの人生において必要なことは違うので、どんな家のどんな状況で生まれたのか、自分たちの未来のためには何が必要なのかなど、それは自分にしか考えられない、わからないことなのだ。
何よりも大事なことは、僕たちは僕たち自身の過去や歴史を失うことなく、「本当に自分たちがうまく生きていける方法」を模索して生きていくことが大切だと考える。
自分一人で完璧な存在になる必要など全くなく、家族や仲間と協力し、良い友情や愛情を育み、また社会への貢献や共同体としての活動に参加していけばいいのだ。
現実問題を言えば、今の日本のように、心理学者ジンバルドーが「世界一責められている」と述べた子供たちが元気いっぱい夢いっぱいでたくましく生きていくことは難しいと思える。
可哀想がって「もっと優しくしてあげて」と人を責める必要もないが、子供たちに新しい道を用意したり、またたくましく生きていける方法を考えたり、動かせない大きな力を動かすことに意欲を燃やすより、たった今も生きている子供たちの今を考えるべきではないかと考える。
何よりも僕たちは「とても辛い時代に生まれたのだ」という自覚をした方がいいだろう。
楽な時代など存在しないが、それにしても「見た目より遥かに見えない苦労が多い時代に生まれてしまっているのだ」という自覚をして乗り越えて行くべきであろう。
見た目通りに問題が無いと言える時代に生まれたのならばいいのだが、例えば神経症者に対して「乗り越えるべきこと」とされる課題があったとしても、「ならば乗り越えてうまくいく社会なのかどうか」という問題も残されている。
自分一人頑張れたところで、勇気を出して心を開いても周りが元々受け入れてくれない人たちばかりだったならばどうだろうか?
せっかく愛情ある親の元で生まれても、意欲を持って社会に出たら「共同体感覚」が無い人ばかりの職場だったならばどうだろうか?
仲間を庇ったところで、周りの誰一人も自分のことは庇わない人たちだったならばどうだろうか?
とりあえず、精神分析学者の本などの場合は
「あくまでも社会そのものには問題がないとして個人の人格について分析したもの」
と考えた方がいい。
「じゃあそれをやったら本当にうまくいくのか!俺の周りの連中なんてなあ…」
と言い出したらキリがないからだ。
構造的にはそうなっている「らしい」という解釈で問題ない。
他人に教えられたことは全てにおいて「そうらしい」でしかないのだから。