嫌な人はいる、それは仕方ないこと ~無料記事~

嫌いな人はいる、それは仕方ないこと

嫌な人は必ずいる

 自分が嫌だなと思う人が一人もいない世界に生きようとする人がいますが、嫌な人だと思う誰かとも接点を作って生きていかねばならないのはどうしようもないことです。

 自分のための世界ではないのですから、自分が気に入らないと思う方が我儘なのです。

 自分のために選んでいい世界ではないので、それは誰でもあることで仕方ないことなのです。

 人間は何かの目的があり集団化します。目的があるから集まっているだけで、個人的な関係になるわけではないのですから気に入る気に入らないはどうでもいいことなのです。

 我を捨てられないからあっちでもこっちでも「気に入らない人を変えたい」と思ってしまうのです。

 目的さえ果たせるならどうでもいいことですし、自分が誰かを気に入らないなら相手から見ても自分は気に入らない人です。

 自分が誰かを変えようとしたとき、確実に相手にとって自分は害のある存在です。気に入らなくても仕方ないと思っているのは、他人も同じなのです。


自分が我を捨てられるかがカギ

 今ここにいる自分が気に入らない人がいたら、自分も相手が嫌になるでしょう。人間は自分を排除しようとしてくる人を嫌いますから、自分が何も求めずに生きていても嫌な人だと思うことはあります。

 それは、「この人なら~してくれるかも」とあたかも相手は自分を気に入っているかのように「誤解」している時も同じです。

 たった今ここにいる自分を排除しようとしているのに、相手は自分を好きだと勘違いしているのです。

 「この人が好き」は「この人を変えよう」としないことですから、相手に何か期待して操作しようとすれば、その相手にとって自分は嫌な人間になるのは必至です。相手にとっては敵ですね。

 他人の存在を無視している人は、自分が相手の自由を奪う敵になっていることすら自覚しません。
 何かをさせて自分が喜ぶ未来だけ考えていますから、相手が嫌がっても自由を奪われても、関係ないのです。

 自分は相手に嫌われます。でも自分は相手に望むことをしてもらって嬉しいのです。

 勿論、個人的な自分の望みを叶えるために用意される場などありません。
 そうしたものは商売で成り立っているどこかがありますから、それ以外のところではありません。

 

嫌われる人は利己的な目的を隠し持つ

 嫌われる人は「今、ここに共通の目的で集まっている人たちを自分の思い通りにしよう」とする人です。

 しかし、そんな人もいるのが現実の社会です。それでも何かの目的があって集まるならば、嫌でもなんでもそれは考えずに「今ここでやるべきこと」を考えるしかないのです。

 利己的な人は、みんなの場を壊します。自分の利己的な願望をどこにいても叶えようとするからです。
 目的が一致しないということは、心が一致しないということですから、協力して仲間との絆を育てる、なんてこともできません。

 しかし、そんな場が多いことも仕方ないことです。

 その代わり、本当に正直に接して目的を一致させられる仲間がいる時は、感動するドラマにもなるでしょう。
 それは全員にとって共通の思い出となり、生涯忘れられない大事な宝となります。

 そんな体験は「極一部の思い出」であり、殆どの場ではそうはいきません。


 気に入らないものを変える努力などして争いを起こすよりも、今ここにいるメンバーが「気に入らない」と思って不満を抱え、憎しみを育てるような自分を変えていくしかないのです。

 個人的な感情が湧いてくるときは、「今はそんなことはどうでもいいのだ」と戒めて、我を抑えて違う視点になるのです。

 目的を見失わないこと。それが大事なことです。

 学校でも、職場でも、「この人嫌な人だな」と思うことはあるでしょう。

 そんな時は人のふり見て我がふり直せの姿勢で、自分が注意していくのです。

他人の人格は何をしても変えられない

 人の人格はコロコロ場によって変わりません。性格が悪い人はいつでも性格は悪いです。
 平気な顔をして「すごいこと言うな」と驚くことを言う人もいます。それもまたその人の性格ですから、慣れるしかないのです。

 自分のためにお誂えされた社会ではないのですから、自分以外の人たちには「慣れる」しかないのです。

 なんとか悪い目で見ないように違う角度から見て接する。そうした努力をするのです。

 とはいえ、好きになれる人もいるでしょう。そこまで堪えて努力しなくても、憎らしくなるような嫌な部分がない人もいます。
 そんな風に「最初から好きになっていける人」もいるのですから、逆もまた存在するのです。

 気に入らないものを排除する努力などせずに、好きな人との善き関係を育てること。

 何よりも、好きになれる自分を育てることに注意を向け、目的ある場では目的を違えないように気を付けることが一番なのです。