不思議な体験をした時の話です。
僕自身は不思議体験でしたが、脳の話で言うならば「今まで使っていない脳の領域を解放した時」とでも説明すべき瞬間の話です。
三十代後半の時の話です。
その瞬間、僕はこの世界の全てが愛おしく感じる絶大な幸福感を体験しました。
全ての人が敵ではなかった、誰も敵などいなかった、と気付いた瞬間でもありました。
この時に、僕の中からすべての「悪者」が消え、以降も悪者を生み出すことはなくなりました。恨みや憎しみから解放されたのです。
どう考えても自己愛性の強い人格障害である人に、本当にひどい裏切り行為を受けた頃でした。
「人を操作して望みを叶えようとする輩がいる」
その時初めてそんなにひどい人間に出会いました。相手は何喰わぬ顔でそれまで通りにその後も生きています。
自分に都合のいいことばかり考えて人を支配するために嘘をつき、また責め苦を味わわせ、できないと思ったら言い訳をして誤魔化し続けて逃げる。
そしてまた、同じように誰か都合のいい人を捕まえようとするのです。
常に他人と絡めて自分を認識していて、過去のことについても「自分単独」で認識することさえできない、僕にとっては理解することが不可能なほどの知能が低い人で、話になりませんでした。
そのことが許せない気持ちがありましたが、その仕打ちを受け入れ、何もかも諦めて生きていこうと決めた瞬間でした。
脳にはまだまだわからないことが沢山あります。殆ど解明されていないと言ってもいい領域です。
その時、僕は街中にいるにも関わらず、周りには草原が広がっている風景を見ました。少し先には、大木が一本立っていました。
信じられない至福の時でした。
その瞬間に、あの人もこの人も、みんな人間なのだ、と強く実感すると共に、なぜか脳裏に浮かんできたのが
習 近平 国家主席
でした。
なぜだ!と驚くと共に、洗脳か!と気付きました。
あまりこの手のことに今の日本で発言したくないのですが、洗脳されているのだとわかりました。
僕は習近平国家主席と面識などありません。それなのに、なぜか「悪者」のイメージで僕の頭の中に位置づけられていました。
僕自身は、子供の頃から中国が好きで、特に中国文化が生み出した様々なものに憧れ、自分で中国語を勉強していたくらいです。
テレビに出ていた中国語の先生に手紙を書いたら、国に戻ってからわざわざ返事を書いて送ってくれたのです。北京放送局から送られてきましたが、そこには京劇の切り絵も入っていました。
なんて優しい先生なんだろう!と感激したのをよく覚えています。
その後、僕も仕事でファンレターをもらうようになった若い頃、その先生のことを思い出して僕も子供からのファンレターに返事を書いたものです。
あの時の喜びがあったから、自分も同じようにしたいと思いました。とても感謝しています。
初めての外国人の友達も中国人でした。その友達と仲良くなって、僕は初めて異国の文化、家族の違いを知りました。
当時は説明されても、一体どういうことなのかわかりませんでした。どちらも十歳にもならない子供だったので、自分でもどう説明していいのかわからず、ただ自分が見て知っていることだけを説明し合っていたからです。
お互いに「なんで?」と不思議に思うのですが、偏見なく「そっちの国ではそうなんだ」と受け入れることができました。
平成生まれの人は知らないと思いますが、昔はブームになったほど中国文化が入ってきました。
アメリカに倣い、アメリカ人のようになれと言われた時期もあります。
そんな風に、僕たちは社会で作られた波の中で右往左往して生きています。
今は煙草が毛嫌いされていますが、これもまたアメリカから入ってきたものです。
好きになるのも嫌いになるのも何もかも社会に決められて生きているのが僕たち日本人ではないでしょうか。
これから学ぶもの、就く職業、何になると嬉しくて、何が楽しいことなのか、何もかも決められてきました。
僕たちは生きて幸せになるために必須である、「選択の自由」を自ら捨ててきました。それは自分たちの責任です。
何かを見せられて、何かを聞かされて、すぐに心を動かしたからそうなったのです。
しかし、現実の体験は変わりません。
人間は「偽の記憶」を作り出すことが、よくあります。
みんなが「私はこうだった」と話していれば、自分もそうだったかのように偽の記憶を作り出します。
記憶が偽物になると、その続きは生まれてきません。
洗脳が起きると、それが自己洗脳であっても、本物の続きは生まれなくなります。
人間は自ら記憶の改ざんをします。
しかし僕は、誰にどう思われるかよりも「誰かに洗脳されて自分の人生を操られるのが嫌」だと思っていますので、僕自身の体験を大事にしています。
中国人の友達との時間は、僕にとっては大事なものでした。
「中国人だから漢字が得意なんじゃないの?」と聞くと
「日本の漢字は中国の漢字とは違う。わからない。」と友達は答えました。
宿題に書いてある意味がわからないので、僕が読んで教えて、一緒に宿題をやりました。
通じない言葉をしゃべって東京で苦労していた僕にとっては、捨て置けない友達でした。
バカにする子もいましたし、外人だと言って遠巻きに噂話をする子もいました。
「日本では白人は優遇される。白人たちもよくわかっている。ここは白人天国の国だと。私たちアジア人には冷たい。」
こう言っていたのは、大人になってから出会い共に学んだことがある、台湾人の友達です。
いろんな国の人に出会いましたが、共通しているのは「庶民は政治とは関係ない」ということでした。
それぞれが国の中で苦労しなくてはならないことがあり、それぞれみな「平和に暮らせる世の中になってほしい」と願っていました。
自分の国の中で起きている問題についても、多くの庶民は「いい加減にしてほしい」と思っています。
僕は国の子供ではありません。
日本人は明治以降、「国の子」として誰かの説明を受け、命令を受け、集団で動くことが当たり前になっています。
「何が正しいか」を先に統一化し、全体が一緒に動くまで「待つ」のです。
自分の意思で自由に人生を生きることは「してはいけないこと」だと思っています。完全に洗脳されて奴隷脳になっているからです。
自分たちは庶民だから、「ちゃんと正しいことが決まってから、許されることだけしなくてはならない」と思っています。
僕は、偏見で差別して仲間を失いたくありません。
仲間になれるはずの人と、偏見で差別して、または敵対して、仲間になれなかったらそれは「失った」のと同じです。
僕は今の日本の権威に対して大いに敵意があって然るべき立場の人間なので、自分の実体験に基づいた人生を送りたいと望んでいます。
そして、「なぜか習近平」というイメージが湧いてきたことに、洗脳の恐ろしさを実感しました。
中国で作られたものを日常的に購入し、当たり前のように使いながら、彼らを罵り敵視する。
それでは、既に負けているのと同じです。
依存しているからバカにしているのです。
そしてもう、僕は「嘘歴史」をのたまう人は信じないよう気をつけなくてはと思いました。
「昭和天皇が如何に素晴らしい人柄だったのか」を熱心に語る老先生たちがいます。
「この時にこんなことを言った」などと、どう考えても自分が見たわけでもない、庶民が見るわけもない場面での話を熱く語ります。まるで見てきたかのように。
そして、天皇陛下の神々しい姿を語りながら涙します。
科学者でさえ、「本当の情報を教えなくては」と言いながら、自分でも未確認でしかないことを語ります。
このおかしな話をそのまま鵜呑みにする人は、本人もどこか足りないと思います。
事実は自分の実体験に基づいて。または自分の体験から想像可能な範囲のことまでの予測。それしかありません。
僕は完全に戦後世代で、更に僕は家が元々非常に古い家なので、どうにもこうにもついてはいけません。
根本のところで洗脳されている人は、どうあってもおかしなことになります。
その昔の日本では「〇〇大将のような立派な人に」などと言われ、軍人と比較され優秀になるよう教育されました。
そしてアメリカでは、「リンカーンのように立派な人に」が定番だったそうで、みな子供の頃によく言われたものだとあるアメリカ人は語っていました。
偉人の名を出しては、自分がその名を語るだけで力を利用しようとする。
その教育は僕たちが嫌だった「比較される教育」そのものです。
最初から社会で認められた偉人と比較されることで、どこまで頑張っても何を得ても、まだ足りない、まだ足りない、と思わなくてはなりません。
「こんなものじゃ、〇〇大将には及ばない」
そんな風にどこまで走ってもキリのない道を走らなくてはなりません。
だからこそ、洗脳は恐ろしいものだと思いますし、「偉い人など誰もいない、悪者もどこにもいない」という考えに至った方が楽なのです。
正義の人を生み出す時、必ず敵を同時に生み出しています。
英霊のために人生を投じる人たちは、好き好んでやっているので本人たちは自由です。
しかしその道で金も地位も何も手に入らないならば、どれだけの人がそんな真似をするでしょうか。
死んだ人たちのためにこれからの人生を生きるならば、みな後ろ向きになって当然です。
そして、「〇〇のように」と教育してしまえば、誰かと比較して優秀になろうとするわけですから、本来持って生まれた才覚を覚醒させることはなくなります。
既に今、教育で脚光を浴びているフィンランドに遠く及ばないように、天才的な何かが生まれることもなく、また天才がいたところで上から叩いて国から追い出して、「こうでなくてはならない」の枠組み維持をしては老人たちを安心させるだけになるでしょう。
死にゆく人たちは、最後には死に直面しなくてはなりません。
これからも生きる世代が、死にゆく人たちのために自分たちが生きづらい社会を作ることに貢献する必要はないのです。
少なくとも僕は、誰かと争うことより、仲良くなっていく方が幸せだと思っています。