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どうして餓鬼が育ったのか?
神経症と呼ばれるものは、餓鬼です。
そういえば、「食えなんだら食うな」(著 関 大徹)を推薦していた執行 草舟氏も今の日本人は餓鬼になっていると言っていました。
僕も驚きました。
こんなに真剣に人の内側を見たのはどれだけぶりか忘れるくらい久しぶりに見てみると、肉体と精神が別人。肉体には魂が宿っていない状態です。
それが以前載せたこの図です。

私は肉体とは別人で、自分が傀儡として「都合よく」動かしている「他人から見える自分」と相手に会話させている。
傍観者。今ここにいてここにいないのです。
この状態の人は、中身の精神が外に出て来られなくなります。
餓鬼です。
これをどうすればいいものかと考え続けています。
少なくとも他人と真剣に会話できる状態ではないです。
相手が真剣に自分と向き合っていても、自分は心の中で様子を見ているだけ。相手との会話はそもそも自分がしているわけではなく、自分が傀儡として動かしている肉体にやらせているだけですから。
真剣に話などされても、今ここにいて相手が話しかけている自分は別人なのですから、意味はないのです。
「私」は最初から誰とも会話などしていません。存在もしていません。見ているだけです。
自分の使う傀儡の身に起きたことを見て、喜んだり怒ったりしているだけです。
だからこそ、当事者の感覚がなく常に欲求不満なのです。この状態で満足することはありませんが、喜び続けたいならば他人が望みを叶え続けるしかありません。
しかしそんなことも最初のうちだけです。相手を操作するために自分の肉体を動かすのですから、思っていることは何も言えないし、相手を操作できそうなことをやり続けなくてはならないし、更に自分は相手より優位に立って尊敬もされたいのですから、大変なことです。とても続けられません。
とにかく、これは餓鬼なのです。
餓鬼は自分が人間だと思っていますが、違います。
僕も子供の頃に自分で気づいて驚きましたし、自分がいつの間にか餓鬼になっていたことに絶望しました。
この状態になっている人と、人間が会話することはできません。
相手は必ずこっちの様子を見て、発言を意のままに操ろうとします。
嘘をつくのが当たり前なのです。本人の肉体ではないので、自分が思うことを言うなどあり得ないのです。
「この肉体は、自分が人生を生きるためではなく、他人を操作するために使うことにした」
そういうことです。
嫌だなーと思っています。接する難易度が高く、巻き込まれると地獄行きです。
そして、自分でどうにかするしかないものです。他人にはどうにもできません。その人の心の世界に入れる人はいませんから。
心の中にいる鬼は煩悩の化身。だからやたら疑ったり騙したりするのです。
人の心が戻ってくればいいのですが、そのためには「素直な自分」を本人が自覚しなくてはなりません。探さなくてはならないのです。
ちなみに、僕はすぐに見つけて自分の正気を取り戻しました。
恐らく、それも難易度が高いと思われます。常に自問自答できる程度に自分を持っていなくてはなりません。
ところで、なぜ餓鬼になったのか、まずその原因を知りたいところですね。
餓鬼は幼児期に出てきます。
その時に、親が対応を間違うと図のようになってしまいます。
素直な子供の方を叩きのめして、ご機嫌を取って人を操作しようとする餓鬼の方を育ててしまったのです。
子供の方は「これじゃいけないのかな」「こうしなきゃならないんだ」と、何か理由がわからないままに、親の機嫌が良くなることをした、という感覚です。
では「これで良かったんだ!」と安心できることになればいいのか?といえば、全く違います。
それでは、結局親のしていることに合わせて出てきた反応の話になりますから、そこではありません。
根源は未練。既に過ぎているので未練です。
怒り憎しみが強くなってしまうと、これを探すのはかなり難しいことです。
特に餓鬼は育ち続けると傲慢になります。
自分が威張っているものだから、今のままの方がいいのです。
元の素直な自分と、餓鬼を戦わせることができないとどうにもなりません。所謂、葛藤です。
とにかく、図のような状態で皆さんがAさんの立場ならば、傀儡として自分を操作するために動かされている人を相手に、真剣に話し合うこともできないとわかるでしょう。
誰かが操る木偶人形と話しているのです。
心無いわけです。
見ていてわかる人間にとっては、話しているのもバカバカしいですよ。
全部嘘なのですから。自分の顔色を窺って、言う事をコロコロ変えるのですから話になりません。
この状態の人に、今書いているような内容を聞かせたとしても、意識の存在たるものは肉体とは別にいるのですから、どうにもなりません。
例えば、こうして僕が書いている内容を考えることなく疑ったり、評価したりするのが関の山です。
自分が評価を求められていないのに、好き勝手に評価してくる人がいるでしょう。
それはおかしいとか、普通じゃないとか、人様に向かって言う事ではありません。そんなことは求めていないし、自分が責任を取っていくわけでもないのですから。
ただ難癖付けて貶してくる。そんな人がいます。
鬼なのです。
いつも評価する目で見てくるのは、精神が傍観者だからです。
当事者ならそんな視点で物を言いません。
他人にはどうにもできません。
餓鬼にとって他人は道具です。自分と関わる人など生涯いません。
周りにいるのは人間ばかりですから、仲間ではないのです。
人間を心の中から操作できると思っているのは、自分は人間たちとは違う存在だとわかっているからです。
肉体が精神とは別なのですから、精神だけの存在と関われる実在の人間はいないのです。
見てくれだけは人間ですから、まず誰も気づかないでしょう。
人間に正体がバレるのを恐れていますから、常に隠れています。
やましいことがあるからコソコソするのですが、人の心はないし、人を仲間だと思っていないのでなんら悪いことをしている気もありません。
人ではないですから、仲間でもない生き物たちを利用することに何も罪悪感はないのです。
それが親であってもです。人の子ではありませんから。
餓鬼自体は、心の中から生まれてくるものです。何かの欲なのです。
肉体を渡してはいけないのですが、そのための戦いを全くしていません。
餓鬼に精神世界での戦い方を教えたところで、餓鬼は今のままでいたいのですから意味がありません。
人間が何を教えたところで、意味はありません。人間の話なんて真剣に聞くことはないですし、一生出ても来られない鬼は「人間の肉体」という監獄から出たがっているので救いを求めます。
そんなわけで、どうしたものかなあと思っています。
人間になら教えられることもありますし、自力でなんとかする方法を身に着けさせることもできますが、鬼には何を言っても無駄なので教えても意味がないです。
欲求のままに衝動的に動くのが鬼です。制御してくれるはずの人間が既に心の中で完全に死んでしまっているならば、もうどうにもならないです。
人間は人間を助けることはできても、鬼は助けられないです。
鬼は誰かに退治されるだけ。
自分で退治できないなら誰かに退治されるしかありません。
どちらにせよ、鬼は人間を倒して支配するための戦いをして生きるのみです。
いま、すっごく眠いのでこの辺で。
退化しないようにSNSでは気をつけて~無料記事~
確かにそうだなあと思うことを書いている人がいると、SNSではそれをなんとか罵ろうとする人が現れるものですね。
先ほど見ました。
元は医師の発言を引用した人のものでしたが、その医師が言っていることも、そうなる理由も僕は理解できますので「確かにそうだな」と思っていました。
そしてそこに連なる人々。
すると、自分が「悪い方に当てはまった」と思った人が、なんとかしてケチをつけようとするのです。
歪んだ解釈をして、悪意ある発言をしているのですが、その悪意ある人に対して「まともな人ならそう思うだろうね」と思える「まともなこと」を突っ込んでいる人がいました。
言っていることは正しいし、その通りだと思います。
ただ、気をつけて欲しいのはここなのです。
絡んでケチをつけに行く人の発言には悪意があります。嫌な気分になりますから、つい怒りが起きて「当たり前のこと」を突っ込んでいきたくなるのです。
しかしその時の「怒り」が原因で、引きずられなくてもいい地獄に引きずられてしまいます。
怒りには最も気を付けなくてはなりません。
敵意ある発言を見れば、何か嫌な感覚が生まれてきます。敵意に反応しているのです。
争いに首を突っ込みにいくと、まともなことがわかる人まで同じ土俵に引きずられていきます。
つい言い返したくなるのはわかります。他の誰か、別に悪意もないような人が罵られてケチをつけられているからです。
しかし、蓋を開ければ悪意の人は程度が知れたものです。
自分が反論されれば、学校や親にはそう教わったとか、それしか教わってないから知らないとか。
政治について親が子供の頃から話していた、ということで優越感を持っているようでした。
権威主義です。
要は、成長していないのです。
人間は最初の自分の精神が「死んで」から本物になります。
仏教的な表現ですが、三途川は肉体が死んで渡るものではありません。
自己中心的で尊大だった「なんでも知っているつもりの自分」が一度死ななくてはなりません。
そのために、無明、無知こそ最も解決しなくてはならないものとして挙げられています。
教わったことだけ覚えて、自分はできるつもりになっている。
何もかも人様から与えられていて自分で考えて決めてもいないのに、反論されれば権威ある何かの名を出し心を守ろうとする。
偉い人がどんなに悪いことをしていても、こうした人が守っているので今の格差社会があります。
自分さえ良ければいい、の精神です。
そのような人に反応して怒りを持ってしまう人は、気をつけてください。
その反応はおかしなものではないと思いますが、結局、実際に目の前にいる人ならば誰も相手にせず「嫌なことばかり言う」と思われて人が離れて行くような人でも、ネットでは「かまってもらえる」のでどんどん増長していくのです。
放っておくことです。誰も相手にしてくれない、という状況になるから、我儘な子供も自然と諦めたり改善したりするものです。
いつまでも誰かがかまっていると、いつまでも変わりません。
批判したい人の言いたいことはよくわかるし、僕もそう思います。
ただ、思うだけです。
思った時に、どう行動するかは自分で決めるのです。
誰かが引用した言葉を見ただけ、それについて言葉に言葉でケチをつけに行った人がいただけ。
そのような場合は、今何かが起きているわけではありません。
それだけ正しいことがわかり、正義感や思いやりの心があるならば、実際に何かが起きた時に行動する勇気を出す方に力を向け、つまらない争いはしないことです。
戦いに行けば同レベルになってしまいます。
せっかく賢い人がいても、感情をまき散らしている人がいるとどうしても悪い方に引きずられていきます。
SNSはかなり難易度の高いところだと思いますので、僕も人の発言はあまり見ないようにしています。
まともな人は、本人自身も普段からまともなことしか言っていません。
しかし、人を煽って怒りを起こさせるような人は、常にその状態なわけですから反応していたらキリがないのです。
その人の心が地獄なのです。
確かに正しいと思うことでも、行動の動機が問題なのです。
発言は正しくても、内容も理にかなっていても、動きたくなった動機が「怒り」では、やはりその行動は善き行いとは言えないのです。
怒りを消し去る発言の方が、行いとしては正しいです。
やたら難しいことを言いたがる人はいます。
しかし、人間は本当に身に着けているもの、持っているものについては優越感など持ちません。
人をバカにしているということは、何も持っていないということです。
親や社会の権威に与えられたものを誇示しているのは、自分で考えて生み出したものが何もないからです。
自分で考えた自分の意見を持っている人は、他人と比較して勝つために考えた結論ではないので、それを使って戦おうなどとしないものです。
他人の力を使い誰かと戦う人間は、勝負の前から負け犬なのです。
弱い犬ほどよく吠える。
弱い武士ほどすぐ刀を抜く。
本当に強い武士は自ら争うことをしない。
普通に、腹立たしくなる発言をする人はいます。
そんな時こそ、冷静になるのです。
小者の挑発に乗っているようでは、自分の程度も知れたものです。
生きる限り精進です。
生きているとあらゆる場面で自分の精神を貶めてしまう罠が沢山あります。
罠にかかるどころか、罠を仕掛けて生きている人もいます。
しかし、そんなことをするために時間を費やす人生は、虚しいものです。
他人がいてくれて、かまってくれて、更に相手が悔しい思いをしてくれて、やっと「自分が上だ!」と満足できるのです。
こんなに手間のかかる人はいません。
自分を客観的に見る目が生まれなかった人は、「自分が間違っているかもしれない」という不安に勝てません。不安だからこそ、自分が間違っていると自覚しなくてはならない発言を見ると、猛攻撃をしているのです。
こうした人が、「うちは正しい!」と言い切って自分の家族を持ち上げつつ、実際には隷属していることがあります。
自分が勝てない誰かに屈している時、負けを認められないならば「相手を正しい人にすること」が一番楽なのです。
何も変わることなく、今のままでも「いいこと」になってしまうのです。
僕がもし、権威ある存在が怖くて心から納得していなくてもそれに従って、更に恩恵を受けているならば「あの方は正しい!」と言いながら、自分も同化して同じことを言えばいいのです。
そんな場合に出てくるのが「親がそう言っていた」に代表されるやり方です。
支配的な人が強気で押し付けてくる理論に誰もが反論できるわけではありません。
・ただ恐れに負けて従う人
・なんとなく納得できないけれど、何がどうおかしいのかよくわからない人
・納得もできないし、どうおかしいのかもわかるけれど、勇気がなくて我慢する人
・納得はできないし、自分の考えがあるのですぐにそれを述べる人
支配されないのは最後の人だけです。
最後の人は、敵に勝つための戦う勇気を持っているわけではありません。
「人間を恐れないから意見できる」のです。
相手を敵視していないから、あっさり意見できるのです。
肩書なんてどうでもいいのです。みな人間です。
どんな立場になってもビビりな人はいます。しょうがないです。
それが人間ですから。
しかし、どうせ支配下にいても末路は見えています。
納得がいかないものには屈しないことです。
そして、自分が反論する勇気がなくても、自分もすっかり相手に同化して「もっとすごい人の言葉を借りて、人を連れてきて戦おう」とだけはしないことです。
本当に強い人ならば、争いに参加しないです。
上も下も右も左も、いちいちいちいち、誰かを連れてこないと、人の言葉を借りないと、言いたいことも言えないなど面倒なことです。
今そこに自分がいるのだから、自分の力でなんとかすることです。
人は敵意悪意には本当によく反応しますから、考えて生きる人たちもどうぞ気をつけてください。
どう考えても、そこで争う相手は有意義な会話をできる人ではない、と自分でもわかっているのですから。
これがAIの能力です
自分自身ではない何者かになってしまっている人はこれ【図】重要※
自分ではない人間が自分を操っている状態の人
精神分裂している人
昔はこの状態の人は、心を鬼が乗っ取っている状態だと理解しました
後ろに透けて見えているのが「意識の自分」です
肉体の方は、誰かわかりません
作られた偽物です
肉体は本物ですが、作られた偽物です
透けている意識の存在が、相手を操るため、思い通りのことを思わせるために肉体を動かします
意識の自分と肉体の自分が、まるで関係のない人間なのです
それで、他人からは「意識の自分」が出てきてしまった時に、二重人格のように矛盾した人に見えるのです
鬼が本性を現したと言えます
退治すべきは意識の自分の方です
意識の自分が生きたままで、何を改善しようとしても無駄です
肉体を新たに違う動かし方で操作するだけです
意識の存在は、親の子として生まれた人間だと思っている偽物です
通常は、意識の自分は肉体の自分と一致しています
考える自分がいて、考えたことを判断して肉体を動かします
しかし、図の場合は考えている意識の自分は、自分とは関係のない別人を作ろうとするのです
普通、自分は自分でしかないので、「好き勝手に別人みたいなことをさせられない」のですが、意識の自分がそもそも偽物なので、気にしません
現実に本物の存在がいないのです
形だけ、心はありません
意識の存在と肉体の存在が別人なのです
言っていることを思っている人はいない
思っていることを言っている人はいない
心身が分裂しています
この状態になると、誰とも心通うことができないのはわかると思います
ずっとこの状態で生きている人は、なぜ別人が体を乗っ取っているのか、わかりません
本人は意識の自分が自分だと思っていますが、この存在は感情が生み出しただけの「自分ではない存在」です
意識の存在こそ、何かになり切っている「偽物」です
完全に乗っ取られてしまうと、格好つけて役柄をやっている意識が完全に肉体を使ってしまうようになり、更に「いつ何をきっかけに生まれてきたのか」も思い出すことができなくなります
意識の自分が今の自分が本物だと思い込んでしまうと、もう助ける方法が無くなります
完全に鬼に身体を乗っ取られた状態です
勿論、原因はありますから、「本物の自分」を心の中から見つけることができたら、元に戻れる可能性はあります
考えるのではなく、「素直な気持ち」を自分に叫ばせるのです
その素直な気持ちが、一体いつのものなのか、何を「思った」のか、突き止めるのは至難の業です
僕は鬼になりかけましたが、自分で自覚して自分の中の鬼を退治しました
どんな感じになるのかというと、今ここで思考している自分が自分ではないと気づくので「消えなくてはならないのだ」と自覚するのです
「この僕は僕ではない、この自分は誰だ!」
そんな風に思うので、本当に変な感覚です
この自分のすべてが「偽物」です
消える時は「死ぬ」という感覚です
正体を見破れば、過去に意識の自分を生み出した「幼児の自分」がいました
卑屈になって親を恨んだ気持ちが生み出した鬼です
今の自分が本心を叫び、意識の自分を叩きのめして僕は人に戻りました
素直な気持ちの本物が戻れば、意識と肉体が一致しているので、何をしても実体感を感じるようになります
本当にドキドキワクワクするような感覚を、その時はじめて知りました
心が痛む感覚も、その時から感じられるようになりました
意識の自分が分裂している人は、自分の心を感じません
自分は誰にも何もされていないからです
傀儡にみんなが接しているだけという感覚ですから、何が起きても心の中で意識の自分は人を見ているのです
自分は他人の言動について感情を動かすだけで、自分が動くことで何かを感じることがないのです
「精神分裂病」と名付けた人はこれを言っていたのだろうと思います
昔は意識の存在、身体を乗っ取っている鬼は退治しました
過去の未練が生み出したものならば、成仏させました
僕は人の中にある過去の本物がわかります
子供の頃からわかるので、母の中にいる存在もわかりました
なぜ、子供のまま内側にいるのか、何があったのか、後に原因がわかりました
残念ながら、僕は自分の中にいる鬼は退治できますが、他人のものまで退治する業を身に着けていません
わかるだけです
内側に向かって呼んでみるなど、見たまんまのことをしてみたこともあります
成仏させようとして子供の頃の中身を慰めてみたりもしましたが、そういう方法ではダメなようです
意識の自分を破壊することは、恐らく怖いと思います
僕も怖かったです
「死にたくない!」と思ったほどです
でもそれは偽物なので、消えなくては自分に戻れないのです
鬼は特徴があります
一歩も前に進みません
生まれた原因がひとつですから、どんなに強力になっても根源が変わらないのでずっと同じことを繰り返すのです
ずっと同じものを求め、同じことを繰り返します
親より先に死んだ子です
精神の世界にいる本人が、死んでしまったのです
これは昔から日本に存在する概念での説明ですが、苫米地英人博士はこうしたことを知っているようです
今でもこっち側の方法を行う人達もいるようです
僕はなんなのか知らないままできるようになりましたが、家柄のせいでしょう
修行してきていますから、自然とできるようになりました
だから、大丈夫なのです
卑屈になって性格が歪んでいる人は、それが本物ではないのです
僕が全体を見ている限り、みな寂しいようです
とても寂しい
怖いようです
身体を乗っ取られてしまっていますから、本心の自分の望みは叶うことがありません
復讐に向かう人も、その目的自体が本当の自分が望むものではありません
過去に起きたことから生まれたので、もし自分がしていることが成功しても、ゴールはありません
どこまでいっても、過去には戻りませんから、終わることはありません
これが、僕が子供の頃から超能力か霊能力があると思われた理由です
人の中に人がいるのがわかるからです
中身の様子を見ながら、人の話を聞くので本音の方がわかるのです
ただ、子供の頃とは違い、深刻に鬼となってしまった人はそうそう手がつけられた状態ではありません
僕は自分の姉にも一度目を醒まさせようとしたことがあります
まだ揺らぎがありましたし、僕といる時は戻りそうな気配がありました
しかし、偽の姉が作った環境が既にあり、今の家族の元に行けばすっかり元通りです
一緒にいて安心させてあげることができないので、意識の鬼が僕を恐れて反発してきました
家族ならわかりやすいです
難しいのはこの場合、僕の感情を動かさないようにすることでしょう
他人の場合は逆です
僕は感情が動きませんが、相手のことをよく知らないので突き止めるまで時間がかかります
マニュアルがあるものではありませんので、明確に何度話したらわかるということでもありません
色んな場面を共に体験していると、ここという時に顔を出すことがあります
それも確実にいつということはわかりません
面倒なので、本人が自分でやる方が早いと思います
と書きながら、苫米地さんも同じことを言っていたなと思い出しました
彼も気の鍛錬を積んだりしてきているようなので、何が起きているのか知っているからそう思えるでしょう
すごく時間がかかります
他人がやるのは本当に至難の業なのです
これを非科学的と考える人は、理解していません
これについては苫米地さんに同意です
今の日本人はスピリチュアル的なことをすっかり忘れて、科学が完璧だと思っていますから
金のことしか考えてないから、そういう価値観になったのです
世界の研究者、セラピストたちを見ていると、日本が恥ずかしくなるくらいメンタルケアもきちんとしています
恐るべき拝金主義国民になりましたね
心の幸せなんて誰が手に入れたいものか
そのように動くのも、今回図にしているような状態の人が多いからです
この状態になると、鬼が人間のふりをするために生きているようなものになります
鬼はこの世に存在せず、好き勝手に動かせる肉体を一人分手に入れたようなものです
親子の情もありません
親を親だとすら思わず、見下しています
元は餓鬼です
餓鬼がそのままでかくなったのです
だから、昔ながらの教えは必要だったのです
この状態になって幸福感なんて感じるわけがありませんから、親を恨むと本当に地獄に落ちるのです
親を恨んでいる人はもれなくこの状態になります
何が起きても「これから」の他人の動きに期待します
今感じるものはありません
だから常に欲求不満になるのです
眠いですね
僕は僕で、一緒にいてわかるだけです
ずっとこうなので、気にしていません
肉体は傀儡なので、どんなに他人が真剣に自分に接しても、自分と仲良くなろうとしても、本人の意識は「自分主人公のドラマを他人目線で見ている感覚」にしかなりません
もっと見たい!これからどうなるの!
そんな感じで他人が何をするかに期待します
だから途切れ途切れなのです
現実がずっと続かないのです
期待したことが起きないとなると「こいつはダメだったか」と状況ごと捨てる
実際には自分が体験している気がないから、できることです
本人が生きているのではなく、他人が肉体を操って遊んでいるのです
人の子として生まれてくるはずだった魂が、死んだときの本心を告げ消えていかねばなりません
そうすると、自然と自分が生まれてきます
本物の自分がどんな人間なのか、知る人はなかなかいないのです
本物で生きることができない人が殆どに「なった」からです
この「誰?」の人に向かって接している他人は、一番バカにされています
真剣に接している人に真剣に接することもできません
できないのです
意識の自分は、本人の肉体と関係のない別人だからです
相手を見ながらワクワクして、自分をうまく動かそうとするのです
この光景、どう思いますか
透けている人はここにいないでしょう
だから、当事者意識もないのです
そして本物の気持ちも感じないのです
肉体を「ちゃんと」うまく動かし続けて、誰かが作った理想の通りに生きて「勝ち」なのです
人として生きないのだから、それくらいしかやることはないです
酷いことを言っていると思うかもしれませんが、いいのです
その人ではなく、鬼の仕業なのですから
今後もこの世に出てくることなく、鬼は「生まれた原因」と共に心の中に引きこもるのです
本物の命を授かり、本物の親がいて、このような事態にもなるのです
だから、我慢して装ったりしない方がいいのです
気持は体験によって生まれてきますから、このままの状態で生き過ぎてしまうと、人生そのものを重要なものと考えられなくなるのです
気に入らないことがあっても黙って怒りだけ感じて心の中で引きこもる
そんな風になったら、死んだ自分も生まれてくることはできないのです
これが「前世の呪い」です
親の所業によって生まれてきたので、前世の呪いなのです
そして親を超える時、本物の自分の人生が始まるのです
これは親子代々繰り返されます
社会の変化により、外敵の力に負けた時にも起きます
今の日本はそれです
外からの圧力で多数が自分を失いました
それで、民族の滅亡も見えてきたなと僕は思っているのです
本来の力、潜在能力というものは、この状態の人は使えません
片鱗はあっても、意思と肉体が一致しないと使うことはできないのです
本気が出せないからです
真剣にもなれないのです
透けている人を見てください
その人が、肉体の方の人生に本気になるわけがありません
自分とは関係ないからです
意識の自分に関係ある存在は、誰もいません
だから孤独になるのです
自分を見つけ、成仏させていくしかありません
それしか方法はないのです
僕は僕で、これら起きてることを現代社会風に表現することにいつも苦戦しています
自分ではわかっているので気になりませんが、本当に昔を捨ててしまうと他人の真似事をしなくてはならなくなり、面倒なものだと思います
