月: 2019年7月

やっぱりどうでもいいニュースだった

 先日アップしたどうでもいいニュースの続き。吉本の騒動だ。

 真実がわかるのはやはり「実際に人を見て」だなあと思った。

 僕は今の大阪についてどのくらい心理的に問題が悪化しているのかはわからないが、ここ十年程度に出会う大阪の若い人たちを見ていると相当変わったなと思っている。

 大阪でさえ「きちんとやってます!」「良い子にしてます!」が大事になってきているのか…と思っていた。

 結論から言うと、親子喧嘩みたいなものなんだなと。心理的には。

 会社組織だから!と軍隊みたいなものを最近は求めるが、そんなことでやっていけない。

 若い人たちの方が、ビビっている。
 ビビっているから、悪い方に悪い方に考える。

 「きちんとわかってもらわないと」と焦る気持ちがすごいんだなあと思った。

 社会が許してくれない感が、ひしひしと感じられる。

 責められることを異様に恐れている。

 だが、先日動画でも言ったが、真実なんて体験した人たちにしかわからないのでどうでもいい。

 ひとつ間違っているなと社長の会見を見ていて思ったのだが、「相手がそう感じたのならそうだ。」という点だ。

 受け取り手に合わせて現実は作られるならば、誰も自分の意見を言わない世の中になるだろう。

 どっちもおかしい。

 バカなの?と思う。

 事実、どういうつもりで言ったのかの方が重要なんだよ。
 解釈はその人の人格を通して行われるんだから。

 解釈する方に合わせていたら、現実に出てこられない。

 安心なんてすることはない。

 劣等感を抱えた人が、自分の感じ方に合わせて現実がその通りだったことにしていれば、誰が何をしてくれても謝っても、何も変わらないどころかどんどん苦しくなる。

 なんか、情けねえなと思った。

 可哀想にと思う。
 あんなに精神弱いままだと、大人になって辛い。

 責められたくない精神を持ったまま、目立つことを選んだら辛くてしょうがない。

 責められたくない人は、優越しようとしない。
 つまり有能であろうとか、優秀であろうとか、人より良い子になろうとかすれば、当然責められることも多くなる。

 責任をより多く抱えるからだ。

 「僕は〇〇ができます!」と有能さをアピールすれば、何かを任されることも多くなるだろうが、その分期待がかけられているのだから他の人なら許されることも許されなくなってくる。

 それが賛辞される立場に課せられるリスクだ。

 つまんない争い、と思った。

 最初から内容がつまんない問題は、どこまで行ってもつまらんものだ。

 夫婦喧嘩は犬も食わないというように、そこだけでやっていた方がいい問題なのだなと思った。

 こんなものを流しているうちに、参院選は終わった。

 山本太郎、あれほど男気溢れる賢い男はなかなかいない、と僕はそちらに関心を向けつつ、僕のやるべきことをやる。

 皆も自分の生活、家族をまず大切にして、他人のことはどうでもいいので自分自身の人生を大切にしてほしい。

 自分自身の人生とは、他人が一切登場しない、ただ自分が何をしてきたかの人生のことなので、誤解なきよう。

 

 

僕は反エリート主義です

 僕の活動理念を書いておきます。

 心理や教育を説く人にも色々な人がいますが、とりあえずその人がどういう思想や理念で活動しているのかは、受け手に重要だと思います。

 僕は反エリート主義です。負け組、底辺、地方の味方でありたいと思っています。

 僕は藩エリート主義です。
 加賀藩士の末裔として浄土真宗の教えの元に育って参りました。
 元より社会のため、志を同じくする同志と共に精進し尽くしていくことにはなんら疑問は持たず、金や地位より領民の安寧こそ、遣り甲斐だと思っています。

 心理学は世の中でもよくわからない占いめいたものがわんさかある分野です。怪しげなものだと思われることもありますが、他のものと同じように様々な根拠あり成り立っている学術です。

 しかし、僕は心理の分野においても他のエリート分野と同じく「エリート至上主義」が見られることを知っています。
 学歴肩書絶対の世の中になれば、一部の層の下に多くの人々が劣等感を持つでしょう。
 何よりも、そこを能力の要にするならば失敗は許されません。

 しかし現実は言葉ではありません。

 僕の身内含め身近な人々には自殺した人が何人もいます。
 病院に長く通う人が何人もいましたが、薬をもらい続けカウンセリングを受け続けても、彼らはどんどん諦めムードになりました。

 人生のどれだけ多くを、彼らが病院に通うだけの生活に費やしてきたことか。

 人の救いにならないならば、名前に意味などないと僕は思っています。
 死んだ人は戻ってこない。
 大丈夫大丈夫と言いながら、人の命を預かっているという姿勢が見られないと僕は思いました。人の人生と命を預かる仕事です。信じているからみな病院に行くのです。
 心理的成長を促すのですから、親を超える導師でなくてはならないと考えています。

 知識や経験は大事です。
 肩書にそれは全て付属してくると人々は信じています。
 命を預かるということが、どういうことか。

 僕は真実を知るために、この分野を選びました。
 こんなに面白い学問があったのか、いつも考えていることをしているだけじゃないかと思いました。

 自分自身の哲学など、持っていて当たりまえ。
 人の心理や自分自身についてなど、考えていて当たりまえ。
 心理の道にいる人々は、自分自身が家族の問題など抱えているわけがないでしょう。
 それを解決するだけの知識なのだから。
 愛情あふれて幸せに問題なく、生きがいを感じて生きているはずです。

 多くの人がそう信じているのは、教えているからです。
 自分の問題を解決できない人は、他人の問題に手を出さないからです。

 何よりも、学んでみてわかりましたが、この学問は理解すれば悟りに近づいた人になることが可能です。それが心理学です。
 過去の天才たちが、その仕組みをブッダとは違った形で解き明かしました。

 つまり心理学の専門家とは、人として成長した人である証だと言えます。

 僕は戦後の人間です。
 今は昔と違い、平民から努力に努力を重ねた「エリート」の方が命を賭して仕事にあたってくれています。
 国民のため社会のため、一丸となり自分の欲や得を捨て、お役目にあたります。昔ならば切腹覚悟だったところ、今の世では命を捨てません。

 もう武士はいないのだと気づき絶望した子供時代の後、「よりお役に立つ方が社会に出るべきなのだ」と納得し、多くの人と共に力を合わせて社会のお役に立とうと僕は決めました。

 好きでもない学問、仕事、本当に好きでやる方には敵いません。
 僕が好きでもないことをやれば、枠がひとつ減ります。
 何をやるにも一所懸命は当然ですが、心からやりたいと思えないものは選びません。好きでもない、懸命にもならないのに、枠をひとつ減らすことが社会にとって迷惑にしかならない、人の才能を伸ばすチャンスを奪っていることにしかならないとわかっているからです。

 専門職を選ぶ方は、命を懸けていると僕は考えていました。
 心からやりたくなければ、専門の道など選びません。
 それをしているだけで楽しくてやめられないのが専門分野です。

 専門の道を敢えて選んだ人は、やればやるほど楽しくなるものを見つけたとてもラッキーな人です。
 悩んで道がわからなくなる人たちとは大違いの、超ラッキーな人たちです。

 そうでなくては困ります。
 それが心理的に健康な人だからです。

 ところが、実際には今のエリートは昔の武士とは違いました。
 貴族化された社会です。

 そして多くの「エリートになりたがった人」たちは、自分たちがどうしてそうしようとしたのか知りません。
 150年前にどういう動きがあり、突然の学歴エリート社会に転じたのか、そして自分の一族がなぜその道を選ぶ必要があるのか、まったく考えていません。

 僕はなぜ学問は好きなのに、学歴至上主義に対して反発心があるのか考えました。
 僕は加賀藩士の中でも、社会が変わった時に武士の生き方を捨てられなかった一族だからです。加賀藩士たちは悩みました。長く続く一族は特に悩みました。

 その分、僕は自分が差別的な世界で有能な方になっていくことを望みませんでした。家柄で選ばれることも選びませんでした。

 「お百姓さんが一番大事なんや、武士が刀差してるからて偉いと思うな。」

 この教えの元、僕は人は誠実さや愛情や、勇気や信念こそ大切だと考えています。人は上も下もなく、役割分担して協力していくべきと考えています。

 死んだ命は後から何を言っても戻ってきません。
 しかし、その責任は誰も取ってくれません。
 他人任せにせず、自分の力でなんとかしていくしかないと思いました。

 僕は精神医療の世界に大いに疑問を持っていましたが、今の社会の流れを理解し、よくわかりました。

 「今は」エリートとなった人たちも、自分たちが誰かの真似事をしているだけだと知らないし、この社会は最後には家柄しかないのだ、生まれ育ちが全てなのだと知りません。

 最初からコネのある人間にはどう頑張っても勝てないのだと、知らない人が多すぎです。
 同じになれた気分の人は、自分が得たら得られない人たちを差別します。

 そして僕は、今のこの世の中は良くないと考えています。

 加賀藩士の末裔として、信念や志なく、自分の優越や金のためにエリートになるなど、以ての外と考えています。

 昔から日本の領民は善良だったので、力ある人たちが責任を持ち、彼らのことをよく考えていかねば世の中は成り立たないのです。

 僕は考えた末、とにかく何屋さんでも良いので、与えられた天才頭脳を人々のために活かすことにしました。天賦の才は天の物、人々のために使うものです。
 そして自分自身が安心安全な場所にいて、「そんなものは無くてもいいんだ」と言っても説得力がないと思い、好きにすることにしました。

 僕の恩師加藤諦三先生を、この人は専門の訓練を受けていないと罵る人がいます。
 専門の訓練を受けただけの烏合の衆と、加藤諦三は違うのだとわからない人です。

 結果、何をしたか。
 彼は数年前、国から功績を認められ勲章を授与されました。

 結果、何をしてきたかが全てなのだと僕は考えています。

 それにしても、他人を尊敬できない、人の功績を称えられない、人をバカにして蹴落とすことしか考えない、およそ武士なら考えられない下卑た精神です。

 欲に釣られるとここまで人は変わっていくものなのかと残念になります。

 日本の領民は元々善良で温厚で、働き者です。

 僕はエリート至上主義に乗らなかった人、乗れなかった人、自分には何もできないと思い込まされている人々の味方として、活動しています。

 昔は無かった概念を、この150年で刷り込んだこのやり方こそ、間違いだと僕は思っています。

 そしてより大きな力を得た人々こそ、より人々のために尽くし、働き、学び、人の幸せを願えないのならば、僕は死んでも死にきれない気持ちです。

 我々が屈辱を味わって身を引いて行ったこの日本が滅んでいかないよう、他の皆様と同様に、自分自身の小さな力を持って支えていく所存です。

 もう自分は負けたから、これからも大したことはできないんだ。と信じている人々に、希望と勇気を。

 自分たちが得たら「この程度」と人より得ても感謝できず、大勢が苦しんでいても足りないものをまだ得ようとする完璧主義の人々は、幸せになる必要はない、と僕は思います。

 分け合って力を合わせて生きていく人々にこそ、幸せは感じられるのです。

 

最上 雄基



天国への階段

まだ見ぬ君へ

 今日はまだ見ぬ友人の君へ、先に教えておきたいことがある。

 もし君が、ほんの少しでも自分を見つけていたら、一度は体験していると思う。

 憎しみや悔しさや、過去の嘆きを捨て、人のことを一度でも本当に考えて何かしてあげたなら、体験したことがあると思う。

 天国への階段は、崖から落ちて進む。

 欲しいものが手に入らなくなる、これで苦労も水の泡———

 もうこれからは辛い道しかないんだ

 なんの希望もないんだ

 そんな気持ちで進むものなのだ。

 やけになったわけではない。

 本当に心から諦めてそう思うのだ。

 もうどうにもならない。

 諦めるしかない。

 なぜこうなったんだろう。

 どうしてこんなことになったんだろう。

 こんな未来があると、あの時は思っていなかったのに。

 そんな気持ちで、泣く泣く何かを諦める。

 なんとかすればパッとうまく行くと思っていた「希望」の道は閉ざされる。

 なんの面白みもない。希望もない。

 「そんなの当たり前」

 でしかない、特に変わったことも起きない普通の人生。

 「当たり前のことしか期待できない、なんの変哲もない人生。」

 それが絶望に思えているうちは、地獄にしがみつく。

 地獄に進む時は、こんな風に思って進む。

 こんなコミュ障の自分でも、こんな冴えない自分でも、こんな友達もいない自分でも、こんな取り柄もない自分でも、こんな性格の自分でも…

 「こんなに辛い目に遭っても我慢して頑張ってきたんだから」

 きっとどこかにわかってくれる人がいて、幸せになれるはず———

 君はなんて優しいんだ、そんなに我慢して頑張ってきて、みんなのためを思ってあげて、なんて素敵な人なんだ!

 とこれまでの自分の過去に驚いて

 「是非そんな君を幸せにしてあげたい」

 と救ってくれる人が現れる…。

 そんな形の夢物語を思い描いているうちは、地獄にしがみつく。

 自分の中では我慢して頑張って優しい自分。

 美化した自分しか見ていない。

 だが、自分以外の全ての人に対しては…

 こんなに優しくしたのに…

 こんなに我慢したのに…

 こんなに頑張ったのに…

 こんなに気を使ってやったのに…

 恩着せがましい、傲慢な自分

 良いと思えなくても、傷つけないように良いと褒めてあげた、優しい自分

 常識はずれなのに、気を使って気にしないふりをしてやった、優秀な自分

 頭悪いやつに、まともに取り合ってやった、人を大事にする自分

 間違ってるのに、傷つけないように黙っていてやった、心の広い自分

 本当はもっとすごいのに、控えめに言ってやった、謙虚な自分

 めんどくさいやつなのに、顔にも出さずにいてやった、思いやりのある自分

 そんな心優しい、愛情あふれる自分

 そんな自分なのに、誰もわかってくれない

 こんな優しい自分なのに、みんなは優しくしてくれない

 こんなにしてやってるのに、ちっとも感謝してくれない———

 だが、そんな自分の真の姿はこう。

 他者からの評価を勝手に自分で決めず、ただありのまま、心の中にあるものだけを見たらこう。

 なんだこいつ、そんなもの良いわけないだろ

 信じられない、常識外れ

 頭悪いやつ、どうかしてんじゃねえの

 こいつ間違ってるよ、気付いてねえよ

 なんだこいつ、めんどくせえやつ

 自分の思ったことを、神のように絶対のものとして判断する。

 自分は絶対に正しいから。

  そして神はこうする。

「そんな奴でもこの優しい自分は、馬鹿にせず、見下さず、傷つけないように気を使ってやる」

 褒めてやるか

 優しくしてやるか

 話を聞いてやるか

 スルーしてやるか

 黙っててやるか

 喜んどいてやるか

 こんな馬鹿どもでも、優しくしといてやるか

 「俺って、超優しい!」

 そんなに優しい自分なのに、周りのみんなは優しくない。

 このクズども。

 こんなに優しくしてやってるのに、人を疑ってくる。

 こんなバカ相手に優しくしてやってるのに、こんな思いやりもない連中相手に親切にしてやってるのに、こいつらは人の努力をなんとも思ってない。

 お前らみたいにどうしようもない連中相手に、謙虚に親切にしてやってるのに。

 

 こんなに優しい努力家なのに、誰もわかってくれないのだ。

 なんて不幸なのだろう。

 こんな冴えないやつが、せっかく馬鹿な連中相手に頑張って親切にしてくださっているのに。

 君はどう思う?

 可哀想だと思うだろう?

 なぜこんなに優しい「冴えないコミュ障の友達もいない、取り柄もない性格の悪い人」が、頑張っているのに。

 なんて人間は冷たいのだろう。

 ろくな人間がいないのだな。

 君もそう思うだろう?

 だが、自然界の神はこう言う。

「お前は地獄行きだ」

 なぜ幸せになれないのか、気付くまで地獄をのたうち回るがいい

 と。

 良くないことだと、誰が決めた?

 常識は誰が決めた?

 頭悪いと、誰が判断した?

 間違っていると、誰が判定した?

 誰が誰をすごいと言った?

 めんどくさいやつだと、誰が決めた?

 誰が人々を裁いた

 人は神の元に平等。人は神が裁く。

 「でもこれは絶対こうだ」と決めたのは誰だ。

 判断は誰だ。

 「それはあの人が…」

 あの人に誰が話した。

 誰が誰の判断を、話した。

 できない者、弱い者、持たざる者に、優しさの欠片もない傲慢な人間。

 さあ、みんな聞いてくれ。

 この優しい「冴えない人の心の中」を。

 気づかずにいるのは罪だから、心の中でこの人がみんなを今までどう思っていたのか聞いてくれ。

 心の中を全部知ったら、きっとこの「優しい方」に感謝するだろう。

 

 さて、この優しい方は地獄にいるわけだが、不思議だと思うかい?

 皆が罪悪感に苦しみ、悔しい思いをし、これまでの人生を後悔することがこの方の幸せだ。

 こんなに優しい人はいない。

 みんなの幸せを願っている。

 この方の夢が叶ったら、みんなの心は罪悪感と後悔でいっぱいになるんだ。

 それを与えようと頑張っているこの方が、なぜ不幸になるのだろうね。

 僕は変わり者なので、不思議に思わない。

 だが、君はきっと不思議だろう。

 

 冴えないコミュ障の特になんの取り柄もない、ありふれた程度の目立ちもしない大したことの無いやつ。

 気を使って優しくしてもらえていた、この人

 間違っているのに気付かないから黙っていてもらえた、この人

 頓珍漢なことを言っても、気付いていないのでスルーしてもらえていた、この人

 本当は大したことないのに、褒めてもらえていた、この人

 常識はずれなことをしても、黙っていてもらえた、この人

 褒めてもらいたがっているから、気を使って褒めてもらえていた、この人

 他人がずっとそうしてくれていたことに、気付いてすらいない、この人

 そして結果がおかしいと嘆いている、頭の悪いこの人

 ミエミエなのに、スルーしてもらえていた、この人

 その程度の他人なら、「当たり前」に手に入らないと思うものを、自分は手に入ると信じている、現実知らずのこの人

 図々しい夢を、いい年して本気で見ている、この人

 

 黙っていてくれた人たちに、感謝もしていない、この人

 人の優しさに、気付きもしない、この人

 自分だけできてるつもりの、ナルシストなこの人

 してもらえていることには、気付きもしないこの人

 

 きっと僕が子供の頃のままだったら、こうなっていただろう。

 こんな奴はどうしたらいい?

 殺した方がいいな。

 こんな醜い鬼は、心の中で一度死ね。

 バカは死ななきゃ、治らない。

 

 だから崖から飛び降りるのだ、全ての「希望という名の図々しい妄想」を捨てて。

 そして

 天国にたどり着く。

 君がもし一度でも体験したことがあるならば、先に言っておく。

 行き詰まるたび、この崖に到達する。

 毎回毎回、これから何もない人生だと諦めて崖を飛び降りる。

 

 絶望するだろう。

 絶対にそこに幸せなどない、と思えるだろう。

 だが、毎回諦めた先に天国はある。

 毎回だ。

 だからどんなに辛くても、諦めないで欲しい。

 

 人生を諦めることなく、しがみついている夢を諦めてくれ。

 必ず今までより幸せになる。

 必ずそうなる。

 

 そうなるように、できている。

 

最上 雄基