生まれ変われた理由、あんまり「いい話」ではないのです ~無料記事~
僕が十歳のことを度々話していますが、本気になって変わった理由はそんなにいい話ではないんです。
僕は自殺するために本気になっただけなんです。
もう死のうと決めて、最後に心残りがないように、今生最期に「確信を得て未練を完全に断ち切るため」に頑張っただけなんです。
本気で死のうと思う人、まずいないでしょう。
そこまで今の日々を生きていて、苦痛しかないと思っている人はまずいないと思います。
小学生の頃は外では完璧に優等生で、これ以上良い成績は取れないし、これ以上母の手伝いを完璧にすることもできない、とそれには確信を持てるほど頑張っていました。
どんなに頑張っても手に入らないものはあります。
最初から小学校のクラスメイトとは言葉も違うし、話題も知らないことばかりだし、バカにされたり笑われたり、リンチされたり本当に「楽しい」とは無縁な日々でした。
友達とは友情の前に、まず話についていかねばならない。話題を知る方が先。そして言葉を覚えて直す方が先。
家は貧しく3日に1度しか風呂に入れなかったり、友達が持っているものは買ってもらえなかったり、休みの日にはバイトをしていたり。
それで毎日毎日、母の機嫌が悪ければ因縁をつけられては拷問でしかない責め苦。
黙ってそこにいるだけでいきなり殴られまくるなんてこともザラにありました。
「暴力を振るわないでほしい。根拠なく疑ったり決めつけたりして、バツを与えたり罪人扱いを継続したりしないでほしい。」
ただ、安心して家にいられるようになりたかったのです。
納得がいくことなら罰を受けても構いませんが、納得もできないのです。
なんとかして母が「普通に話をできる人」に変わってくれないかとそればかり思っていました。
そして、「こんなに話を聞いてくれる子はいなかった」と感激するほど僕の話をちゃんと聞いてくれる子に出会い、僕は母への恨みから「なんにも不満がなかった子」を支配して利用しようとしはじめ、遂には仲良くしようと頑張ってくれた子も離れていきました。
もう何もなくなったので、死のうと思いました。
これからのことを考えても、地獄しか待っていないからです。
本当に「死にたい」と思う時は、死にたいという気分ではありません。
本当になんの希望もなく、絶望しかないのです。
ただ、まだ十歳なのにこれで人生が終わりなんだと思うと、まだ未練があったのです。
だから今生最期に「あやふやな部分は全て確信に変えて、未練を断ち切って死ぬ」と決めたのです。
どうせこのまま生きていても、いいことなんて何もないのはたかが十歳でもわかりました。
まず「家からなんとかして逃げること」を考えなくてはならない人生の始まりなのですから、まともな道など行けるわけがありません。
それまでの「きっとこうに違いない」を全て「事実そうである」の認識に変えるまで、頑張りました。
「もし、僕が違う人間であったならば」
違う心で人に接していたら、どうなったか。
それも「やってみないとわからない」のです。
バカにされても孤立しても、もう後はどうせ死ぬだけなので、どうでもいいことです。
心からそう思えるほど、自殺を決意していました。
だから「死ぬ気の努力」ができました。
今生最期ですからね。やれることはやり切る気で努力しました。


