生まれ変われた理由、あんまり「いい話」ではないのです ~無料記事~

 神経症の人は、まだ未練があるようで、そこまで酷い環境ではなかったようです。

 親に認めてもらいたいほど期待できる部分があるなら、それなりになにかに恵まれているのでしょう。

 僕はどうしたらいいのかわからない、自分の力ではどうにもできない、と断言できるほど酷い境遇でした。

 それで外の人生まで破綻してしまったら、家の中で家族とも安心して過ごせないのに地獄の人生です。

 誰とも本当に安心して接していないのです。

 誰も信用していないのです。

 誰も好きではないのです。

 気に入った人間と、そうでない人間、それしかいないのですから。

 天は見ている。神はいた、と僕は思いました。

 本当にどうしようもない時には、救いがくるものです。

 見えないところ、つまり心の中から、やってくるものだと知っています。

 心から死んだ方がマシだ、と思えたのは、本物の優しさに触れたからです。

 それにより「失った時に自覚する現実」が残ったのですから。

 都合のいいことばかり考えて欲を出したら、どうなるか。

 罰があたったとしか言いようがない結果が待っています。

 それでこそ、道理というものではないでしょうか。

 それでいい、と納得しています。

 生きる気がある人たちは、まだ自分が全力でやりきっていないことがあるのだと思います。

 これ以上ないほど本当にやりきったら、「もうどうしようもないから死ぬしか無い」と思えます。

 諦めるしかないと思うのではなく、本当に「諦める」のです。

 とにかく、僕の過去や体験など、結果がどうであってもあまりいいものではないのです。

 なんでも決意するにはそれなりの気持ちになれる現実の結果が必要です。

 なんの期待もできないほど酷い環境で生まれ育てば、諦めるのも早い。

 それだけの、ごく自然なことなのです。