人間と仲良くなりたかった、仲良くなれたから幸せ ~無料記事~

 仲良くなってもいずれは離れてしまう可能性が高いです。一生共に生きる人など家族くらいですから。
 それでも、いつか死ぬなら最初からいらない、とは思いませんでした。

 いつかいなくなるなら最初から要らないならば、僕だって誰からも必要とされません。

 今だけでも、少しの間でも、良い思い出になる体験がしたいと思っていました。

 僕は本当に誰彼構わず仲良くなろうとしました。
 相手が仲良くなりたくないのだなとわかったら、すぐに諦めました。
 これだけ多くの人間がいる中で、一人に固執などしている暇はないです。
 家では誰も仲良くしてくれないのだから、最初から仲良くなろうという姿勢がある人と仲良くなるしかありません。

 そうすると、自然と最初から人間と仲良くなろうとしている人たちと、本当に仲良くなれました。
 特別扱いなんてなくても、仲間なのだという安心感や、絶対に裏切らない真の仲間だという信頼感は、元々そんなものがなかった僕の心には感動を生みました。
 家の中にもなかったのに、それでもやはり他人の中には最初から仲良くなろうとしてくれる人がいました。

 いろんな人と仲良くなれました。
 仲良くなりたいのは僕の方だったので、最初から偏見で見てより分けるなんてことはしません。

 結局、いまこうして世間を見ていると、誰も誰かと仲良くなりたいと思っていないし、そこまで寂しいとは思っていないんだなとよくわかります。
 案外、口で言うほど家族は酷くもないのでしょう。

 他人のことは結局わからないものです。
 自分の前で何を言おうが本当かどうかはわかりません。
 ただ、自分と仲良くなろうとしているかどうかだけはわかります。

 妄想恋愛ストーカー女子と呼ぶ人たちは、最初から仕事のように関係を作りたがりました。
 普通はどうするものだ、と強制的に何かをさせたがりました。
 機能社会の関係です。勿論、それは友人や恋人、家族を作るときのやり方ではなく、ビジネスの世界で取引を行う場合の関係です。
 既に答えがあり、何かをしたら何かをするという決まったやり取りをするだけのものです。

 彼女たちは、おそらく他に誰か仲良くしている人がいるのか、恋人がいるのか、実際のところはわかりませんが少なくとも僕と仲良くなろうとはしない人たちでした。

 僕は本物の恋愛なら必要ですが、本当に仲良くなるのではなくビジネスとして恋人をやりたいとは思いませんでした。

 寂しい、とは思ったことがない人たちでした。いつもいつも怒っていましたし、誰かを恨んでいました。
 戦いの中を生きていく人がいるのは、それはそれで自由なのでなんとかしようと思いません。

 あの加藤諦三先生も、ずっと怒りながら生きている人でした。
 みな戦いたいだけなのです。

 僕は恨んでいる相手と戦って勝っても、残るものを持っていませんでした。
 戦った相手は敵としても、それとは別に最初から仲良くしている仲間がいないと意味がありません。

 人生は生きられる時間に限りがありますから、僕は誰かを憎んでいる暇はないのです。
 それは恵まれなかった証拠と言ってもいいでしょう。

 最初から、「人間となんとかして仲良くなりたい」なんて目的を持って生きている人はなかなかいないです。
 それなりに、みんなうまくやっているのだなと思います。

 僕は毒親の子という人たちも寂しいのかと誤解していて、誰かと仲良くなりたいのかと勘違いしていました。
 でもそうではなかったです。

 僕は死ぬまで人材としてだけ人と付き合っていくのは嫌でした。
 敵がいるから集まった、被害者仲間と一緒にいても嬉しくありませんでした。

 憎しみしか持たない人は、それが嬉しいらしいですが、僕は親や他人に対する憎しみ以外にも

 心から誰かと仲良くなりたい

 という欲求を持っていました。

 だからこそ、誰かと仲良くなれました。
 僕は元々人と仲良くなるために生まれてきたんだと思います。
 その方が嬉しいからです。やってみてよくわかりました。