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自分が唯一無二になれないのはなぜか ~無料記事~

 自分が唯一無二の存在になれないのは、何ができないからでもなく、人格に問題があるからでもありません。

 自分が自分だと思っている存在は、この世にいないと気づいていないからです。

 例えば、僕は僕としては生きていけません。

 僕は僕という存在として生まれてきたわけでありません。

 僕は命ある人間の中に宿っているだけの魂、意識の存在です。

 僕はこの命を使ってこの肉体で生きていく限り、生まれてきた一族の子としてしか生きられません。

 「あっちの人になりたかった」と僕が思っても、最上雄基は他の誰かにあとから変わることはできません。

 この親の遺伝子を受け継ぎ生まれてきた存在。

 その肉体をもってしか生きていくことができません。

 僕が僕がと思うのは「我」なわけですが、その「僕」を出すことなく、僕は常に最上雄基として存在するよう意識していなくてはなりません。

 僕に誰かが話しかけてきても、誰も僕には話しかけていません。

 相手により僕は違う存在に見えているわけですが、先生であったり、友達であったり、子供であったり、父親であったり、その時その時違う最上雄基に話しかけているのです。

 話しかけられた時に、どう返事をするのか考えて最上雄基を動かしているのが「僕」です。

 意識には年齢も性別も金持ちも貧乏もありません。

 ただこの体を操るだけ、考えるだけです。

 「こんな家に生まれたくなかった」と思っても、生まれたからにはもう手遅れ。

 命が与えられた時から、「この命」を生きねばならないのです。

 この命の経緯を知り、自分の運命を背負い、我が命を勝手に使うことなく、与えられた存在として生きていかねばなりません。

 意識には死はありません。消えておしまいです。

 肉体が滅びる時に同時に消えていきます。

 僕、なんて存在は、どこにもいないのです。

 いる、と自分で思っているだけの、存在しない存在です。

 僕以外の人にも意識はあります。それぞれが私だ僕だと思っている自分がいます。

 しかし、僕が他人に話しかける時も、やはり私や僕に向かって話すことはないのです。

 名前と立場のある、何者かに話しかけているのです。

 命の経緯を知れば、自分にもやらねばならないことがある、と自然に思います。

 他人がどんなに頑張っても、あなたの親の子に今からなることはできません。

 他人がどんなに頑張っても、あなた自身にはなれません。

 あなたの命を使い、あなたとして生きていける人は、あなたしかいないのです。

 自分が存在しない、と気づいていない人は、大変傷つきやすいです。

 「私に話かけている」と思って生きているからです。

 だからすぐに「~と言われた」なんて傷つくのです。

 僕は誰に何を言われても、誰にどんな扱いをされても、相手から見た僕の肉体の立場を考え、物理的に存在している最上雄基に対して言ったりやったりしたことだ、と理解しています。

 事実そうだからです。

 それにより、相手の考え方や人格を知るだけです。

 常に、僕は最上雄基を動かさなくてはならないので、他人をどうこうしようとは思わないのです。

 この肉体を動かしていられる時間もどんどん減っています。

 命はそのうち終わりますから、当然のことです。

 この命があるうちに、意識の僕がやらねばならないと思うことはやり切って死なねばと思います。

 子供の頃に、僕は誰からも見えない存在だと気づいた時は、とても寂しく思ったものです。

 しかし、それは皆さんも同じですよね。

 誰も誰かの意識そのものと対面できる人はいません。

 ただ、こうして自覚して生きている僕は、他人の中に意識の存在がいる、とわかっています。

 わかっているので、人を形あるもので見ることはしないのです。

 意識の存在に気づいてもらえないと、本当に寂しいものです。

 他人から見た「私」の中に、意識の私がいる。

 表面でしか見てもらえず、中身の「私」が存在していることにすら誰も気づかない。

 形だけでうまくいくのは楽に思えますが、中身に誰も気持ちを向けていないのは虚しいものです。

 誰にも気づかれることなく、いつかはそのまま消えていく存在。

 僕自身がそれをとても孤独に思っていたので、他人の中身が「存在している」としっかり覚えておくようにしています。

 年老いて死んで行くときには、誰もがおじいちゃん、おばあちゃんです。

 しかし意識の自分は年などとりません。

 変わらず存在している「私」に、僕もできるだけ多く出会い、たとえ相手が僕を表面でしか見ていなかったとしても、「確かにいた」と覚えておきたいと思います。

「私は愛されなかった」とはなんなのか?受け身な人の悪質さ ~無料記事~

 なんとなくすっきりしない、腑に落ちない、と思っていることはいつまでも気になるものだ。

 何か身勝手な悪意を感じると思っていたことがある。

 「愛されなかった私」

 この解釈だ。

 愛されずに育った私。と、「私」が解釈している場合と、他人がそう思っている場合では全く違う。

 他人が「あの子は愛されずに育った、可哀想に」と思うのは同情心だ。

 自分が「私は愛されずに育ったので」と言う場合は、そのあとに何かの要求がある。

 「だから~なのです」は、言い訳だ。何かを受け入れさせようとしている。

 この解釈が、どうしても腑に落ちなかった。

 僕は「愛されずに育った」と思っていない。

 虐待されたとも思っていない。

 そもそも「親に愛されなかった」と嘆くならば、親は愛することができる人でなくてはならない。

 愛することができるのに、愛されなかった。これなら納得だ。

 好きな人に振られたようなものだ。

 しかし、自分が愛されなかったと言うならば、親だって愛されなかったと言える育ち方をしている。

 それで「愛されなかった」の解釈は親に対するいじめだ。

 愛されずに育ったから、私はどうなのか?

 私は愛することができるのか?

 愛されずに育っても、「愛する」ということが今できるのか。

 人間には、やりたくてもできないことがある。

 それを親にだけは許さない。完璧であることを強要し、いつまでも恨む。

 どんな環境でどんな育てられ方をしようが、「親なんだから子供を愛するのは当然だ」という勝手な決めつけで親を悪者にする。

 子供を子供が望むように愛せない親は悪で、子供が望むように苦もなく生きていけるようにすれば「普通」なのだ。

知り合って間もないのに、親や過去の話ばかりされたのはなぜ?~無料記事~

 知り合ってまだ間もないのに、相手の過去の話、親や家族の話など、相手の記憶の中にしかない話ばかりされたのはなぜか。

 仲良くなりたそうに思えるかもしれませんが、相手はあなたと仲良くなる気は微塵もありません。

 ここは勘違いしないように。なれるわけないのですから。

 人と仲良くなっていくためには、共通の思い出、体験が必要です。

 いきなり「相手にしかない過去の続き」にしようとされているのは、相手があなたに興味がないからです。

 どこまで行ってもこっちは部外者ですから、今後どのようなことがあっても親しくなれるわけがありません。

 夫婦は夫と妻だけの関係であり、当事者は二人しかいません。

 関係は当事者同士の問題ですから、「自分が部外者」にしかなれない話をされているのはあなたに興味がなく、あなたと親しくなりたくないからです。

 「この人とは親しくなりたくないな、恋愛関係になりたくないな」

 と思った時、過去の恋人の話をします。

 まだ親しくないので、「別の人」の話をすることで頭の中に相手を入れないようにするのです。

 目の前の人を心の中に入れたくない時に、相手が決して登場しない、関わっても来られない話をします。

 そうすることで、相手との関係を完全にシャットアウトできます。

 「この人のことは記憶にも残したくない」

 という場面で使える手段です。

 目の前にいて「うわー、ちょっと無理だなー」と思うほどの相手に出会った時は、相手のことは考えたくないので、考えたい過去の記憶を想起して話をします。

 そうすることで、心は過去に旅立っていき、目の前の人と共にいる、という「嫌な現実」を拒否できるのです。

 心で拒否している時にやることです。

 親しくなりたくないことを暗に伝えるための手段でもあります。

 いたくもない相手といる時は、別のことを考えてしまうものです。

 過去ばかり話してくる人は、自分と一緒にいたくないのです。

 相手に聞く必要はありません。聞いたら誰もが「そんなことない!」と言うでしょう。

 親しくないからこそ、そう言うのです。

 「起きていること」を見れば何をされているのか丸わかりです。

 言葉で確認する必要はありません。

 理由はどうでもいいのです。どちらにせよ決して親しくならないことだけは確かです。

 物理的に目の前にいることはどうしようもない、と大抵の人は諦められます。

 しかし、心は自由です。

 どうしても一緒にいたくない場合は、別のことを考えるのです。

 そして自分と仲良くなりたくないことは罪ではありませんから、少なくとも相手も嫌々自分と接しているのだと悟るしかないでしょう。

 相手が知らない話ばかりしていれば、共通の時間を持つことができません。

 お互いが当事者である関係を作れなくなります。

 作れなくなる、ということは、「作りたくない時」にやることなのです。

 現実は今起きてることで判断するものです。

 どう思っているのか、言葉で聞く時は自分が真実を知りたくないからです。

 起きていること全体で見れば、自分と親しくならない人だけが過去の話ばかりしてくるとわかります。

 逆に、親しくなる場合はお互いに過去の話をしません。

 相手にはわからないことを話しても、相手はただ聞く一方になります。

 それでは親しくなることも、共通の思い出を作ることもできません。関係そのものが何も始まらないままになります。

 どちらもが同じ立場になるように配慮するのが、親しくなっていける相手との始まりです。

 過去や背景よりも、今ここにいる時間を大事にします。

 過去の恋人や親などの話ばかりをされるのに、あたかも親しくなりたいかのように「見せかけてくる人」がいますが、それは自分になにかやらせたいことがあるだけです。

 その「やらせたい仕事内容」に比例して、自分に好意的に見せてくるでしょう。

 今ここにいて、「あなたのことを考えたくありません」とはっきり行動で示しているのですから、仕事を頼みたいだけなのだと理解すればいいのです。

 今目の前にいる人を放置して、自分しか思い出せない世界の話をしているのですから、その時点で心の中では拒否されていることは明白です。

 絶対に共有不可能なものを出してくるのは、「共有したくない」からです。

 当事者たる本人にどんなに詳しく話を聞いても、話題となる問題の部外者でありながら他人の過去の続きを生きることはできません。

 共に生きる未来を作りたい人は、今ここで始まるものを大事にします。

 少しずつでも本物の関係が作られ、少しずつでも本物なので自然に進んでいきます。

 いきなり消えることはありません。

 何よりも、互いの意識が今ここにある場合は互いに通じ合う実感があります。

 しかし、部外者だった場合はどこまで行っても部外者です。

 いつも遠くの話を聞いているような感覚で、テレビドラマを目の前で見せられているような不思議な気分になります。

 今ここで起きていることが現実だとは全く感じられません。

 心がバラバラなので、そうなるのは当然なのです。

 大抵の人は自分が好かれたいし、嫌われている、無視されているという現実自体は望ましいと思いません。

 しかし、傷つくかもしれませんが、現実は現実のまま、起きていることは起きているままで受け入れるしかありません。

 関係そのものは一切作られませんが、仕事と同じなのでなにかそこで得られるものを持って、やはり相手には関係のない自分の未来に進むしかないでしょう。

 最初から始まりもしない関係は、いきなり相手の過去の話から始まります。

 何かの途中でやってきた人なのです。自分は最初から一切関係ありません。

 「あなたと共に生きたくないけれど、私の過去の関係をなんとかする手伝いをしてほしい」

 こんなところです。

 そこは割り切って生きた方が気も楽というものです。

 どうしても忘れられない人がいる誰かに出会った、というだけなのです。

 相手がいつまでも愚痴を言うならば、愚癡の相手のことが忘れられないのです。

 それだけ執着しているのですから、話題の相手が親でも別れた恋人でもなんでもいいですが、とにかくまだその人が好きだということなのです。

 過去が終わらない人と共に進める未来はありませんし、「親しくなりたくない」という理由であえてとっくに忘れて気にもしていない過去の話をする場合もあります。

 ですから、どんな理由かはわからなくてもいいので、とにかく「自分と共に進む未来は作りたくないのだ」ということだけわかればいいのです。

 どうせ今後の自分には関係ない別世界の人なのですから、自分の未来だけ考えていた方がいいのです。

 自分の未来を考え、しっかりと一人で進む道を進んでいけば、相手はそのうちいなくなります。

 その相手とは、出会っているようで、出会ってもいなかったのです。

 今から可能な未来を進みたい人もいれば、今までに合わせた未来にするために生きている人もいます。

 過去が大事な人は「必要なもの」が最初から決まっているので、今ここで初めて出会った誰かと共に生きる未来など最初から必要としていないのです。

 ですから、あなたが「今ここで出会ってはじめてその人の存在を知った」ならば、あなたは最初からその人にとって不要な人間です。

 相手が必要としているのは、「最初から自分を知っている人」であって、今はじめて自分を知った他人ではないのです。

 話をしたら自分の過去を自分と同じように思い出す事ができる、自分の過去の続きを一緒に生きてくれる他人を探しているのです。

 そんな人がいるわけない、と思いますか?

 確かにそんな人はいません。

 ですから、その事実から「この人は人間そのものが嫌いで、人間と関わりたくないのだ」ということがわかるのです。

 起きていることから、すべてを知る。

 言葉は真実ではありません。