いじめている相手にもいい人だと思われたい、人を病気にする人 ~無料記事~

 漫画なんかではありますよね。

 「そんなことがあったんだ…」と、嫌がることをされた相手が自分の話を聞いてさっきのことはまるで気にしない態度で自分のことを考えてくれる。

 実際には絶対にないやつです。主人公は一人の作品だからこそ可能になっている、非現実的な脇役が登場する作品は沢山あります。

 あれは一人で楽しむためのものだから、それでいいのです。気分を楽しむためにあるのですから。

 私がこの世の主人公だと思っている人は、自分は確実にいい人だと思っています。理由があるから私は悪くない、なのです。

 嫌いになるなら相手が悪者なのです。

 そして自分が嫌われる、ということは理解できないのです。

 主人公は悪者にはならないからです。

 なので、「機嫌が悪くなった」以外に理解できないのです。

 「自分のこと」が嫌になった、とは理解できないのです。

 だから嫌なことをしたら機嫌を取れば機嫌が直って「元通りになる」と思うのです。

 元通り、なんてこの世にあるわけないのに、元通り、があると思っているのです。

 全ての記憶が残っていくのですから、過ぎたことはもう変えられません。もとには戻りません。

 いじめをしている人は、そもそも自分がいじめをしてもそれは理由があるから仕方ないと思っています。
 理由があってもいじめはしてはいけない、という道徳性が欠落しています。

 別に意地悪をしようとしてやったわけではなく、気づいたらやっていただけ。

 だから自分は相手をいじめているわけではない、と思うのです。

 「そんなつもりでやったわけじゃないから」

 ここで、現実を理解することができないのです。

 どんなつもりであっても、自分がしたことは相手からしたらどういうことか?と考えないのです。

 相手の身にならないのです。

 いじめをする人はこう言います。本当にいじめなどされていないのに、自分の思い通りにならない時に相手に言うのです。

 「本当に悪気はない」

 人間なら仕方ないような本当に意地悪でもなんでもないことでも、とにかくなんでも難癖をつけてこう言います。

 「どんなつもりであっても、これはいじめだ!」

 これが本当にいじめをする人です。

 自分が反省する時はそう考えても、他人に対して言うことではありません。

 「自分がいじめだと感じたら、それはいじめなのだ」とどこかで聞けば、それを利用して人をいじめようとします。

 「私がいじめだと感じたんだから、それはいじめだ!」

 完全な暴君です。本当の虐待者は、多少賢ければすぐに「この人頭おかしい」とわかるような言動を取ります。

 大人になっている人はわかると思いますが、この手のことは自分の中で考えることであって、そのまんま他人に口に出して言えばただのいじめです。

 書いていると僕も時々情けなくなってきます。小学校低学年の子が言う理屈です。

 本当に、こんなものを大人向けに書いている自分が情けなくなってきます。

 そのくらい口に出すのも憚られるほど情けない話ですよ。

 自分自身のレベルが低くなっていく気がして、僕も時々嫌になるのです。

 しかしその感覚すらない人がこの世にはいるのです。

 理屈で考えて感情を無視して生きる人は、今起きてることを無視します。

 なんでもいいから形だけ望んだ通りになればいいと思っているのです。

 心底頭が悪い、と僕は思っていましたが、どうやら神様の真似事をして生きているからそうなっているのだとわかりました。

 いちいち起きたことに「きっとこう考えてるに違いない!」などと、起きてもいないことを勝手に解釈して世界を作るのです。

 今起きたことで、そんなことわかるか?

 わかるわけないのです。

 しかし、わからないなら「作り出す」のです。

 人間には絶対にわからないことなのに、自分が作るのです。

 起きていることをです。