道理を通して生きないとわからないこと ~無料記事~
地獄の入口で気付けるのは、既に地獄にいない人だけです。
地獄にいてそこから脱せるのは、天国にいる人を見て「違う場所がある」と気づいた人だけです。
地獄の理屈で考えたら常に自分は正しいわけですから、何か誰かがなんとかしてくれるまでは「今のまま」になるのです。
今になって「やはりこれで正しかったのだ」と自分で納得しているのですが、僕は加藤諦三先生から早く離れてよかったです。
彼の周りにいたら、他の人たちと同じように地獄に生きることになったでしょう。
元々誰も恨んでいなかったので、「自分が正しいと認めてもらえる」ことに価値を感じなかったのです。
その時点で自分の目的が明確になっていましたから、目指していた未来から逸れていくことが不安でした。
不思議に思っていたことがありました。
これは不幸な人たちみんなに言えることです。
同じことを続けていること。
人は変化していきますから、ずっと同じことを間違っていると叩いているのは不思議でした。
救いが用意されていないこと。
悪い何かを叩くのはいいですが、相手も人間なので代わりとなる良い提案を同時に提示し、更に人そのものが悪者にならないように問題を指摘しないとただの虐待になります。
新しい発見を求めていないこと。
今まで知っている正しさを武器にして、解決しない問題を解決すべく新しい何かを見つけようとしていないこと。
加藤諦三先生の場合は、彼自身が人間の心を数学の問題のように考えていて、正解と不正解があると考えていました。
彼だけではなく、日本の偉くなったおじいちゃん達は戦時中の教育を正しいとしている人たちばかりで、特に帝大に行った彼のような人たちは「お国のために正しいことをする人」になればそれが人生の成功なのです。
彼らは元々、国が求める正解をいかに正確に早く出せるかだけのために教育されてきた人たちです。
哲学的なことを考えないように教育されていたので、それらを考える脳が発達していないと思われます。
発想自体がない、と言えるでしょう。
本来は自分で考えて変化し続けなくてはならない部分を「これはこういうものだ」と先に決められて、それを鵜呑みにして育っています。
彼らにとっては「社会的権威に正しいと認められること」だけが、人生の成功です。
認めてもらって、地位をもらって、お金をもらって、とにかく幸せは「上からもらうもの」なのです。
社会的に貢献することが目的なのではなく、社会的に貢献したと権威に認められて成功なのです。


