道理を通して生きないとわからないこと ~無料記事~

 ハーバード大学は元々文系に強い大学なので、幸福学を教える世界的に知られた賢人もいます。(日本では幸福学なんてまず聞かないですが)
 しかし、ハーバードをはじめ一流とされる大学で学んだ人たちが、その権威や知識を使って自分たちが金儲けしたり社会的に認められたりと、私利私欲に走っていることは既に知られています。そして教えている側も問題視しています。

 僕の友人にもスタンフォードの研究室で学んだ人がいるのですが、その友人も「商売のため」に学んでいました。
 ハクをつけたら他国に移住して売り込みです。あくまでもビジネスのためなのです。

 勉強したことを使って利己的に生きる人と、「本当に教えられる能力がある人たち」の述べることは雲泥の差です。

 本人の実力が雲泥の差なのです。
 アインシュタインと、相対性理論を勉強して「覚えた」人くらい違います。

 平たく言うと、パクっている人が多いのです。
 勉強した内容をパクって復唱して、自分の目的を叶えようとしてしまうのです。

 正直、加藤諦三先生もそうだと思います。
 教える内容は基礎からみっちりやってきた人のものですが、新しいものは増えないです。
 真の最先端と言われるところでは、もう彼が教えているようなことを言っている人は誰もいません。

 今現在発生している問題に取り組んで、新しく研究して生み出しているからです。
 そのため、脳科学や他の分野の研究も多く取り入れて包括的な内容にして教えています。

 一般の人たちに教えるならば、それが一番だと思います。
 「普通の人たちが何に気をつけどうすべきなのか、そしてたった今、何に気づかなくてはならないのか」を具体的に指摘しています。

 本当に理解している人たちは、本当にすごく簡単な、誰にでもわかる説明で本質を教えます。

 加藤諦三先生はなんでも断言して正しい悪いと決めてかかりますが、同大学の同世代の目立たない先生には

 「私は新しく出てきたこれを知らないから、ちゃんと学ばないと…」

 そう言って、二十代の若者たちに混じって一緒に勉強していた人もいました。

 一緒にいて思ったのは、「この人は芸能人と同じだから、メディアで人気を博すためには必要なことが違うんだな」ということです。
 僕もメディアの世界にいましたから、一般受けするキャラで一般受けして視聴率が取れることが正義となることは知っています。

 本当に正しいかどうかはどうでもいいのです。人気が出て金が儲かればそれが正義なのです。
 それがメディアの世界です。それは昔からです。売れたものが正義です。

 僕が人を判断する時の基準は「コミュニケーション能力」です。皆さんちゃんと会話しているつもりでしょうけれど、全然できていないです。

 気の毒ですが断言します。
 人とうまく行かない人たちは、本当に驚くべきほどに会話能力が低いです。
 それでうまくいくわけがない、ということは話していればすぐわかります。

 はっきり言って、努力不足です。

 「会話の能力やコミュニケーションについて」

 その力は人生にどう影響するか、人間関係においてどう必要になってくるか、などを哲学的に考えたり、そのために精進してきていないと思います。
 考えなくても決められたカリキュラムは勝手に進むので、なんとなくやり過ごして学生時代を終えてきたのではないでしょうか。

 そのために雑談のワークショップを開いていますが、みな趣旨すら理解できないようなので今説明の仕方を模索中です。

 加藤諦三先生は、自分と人の境目が無い会話をする人でした。
 自分がない人がよくやる話し方です。
 半分だけ話して、後はこっちが「言われてないけど何を求められているのか察して返事をしなくてはならない」のです。
 ずっとクイズしているのかと思っていました。そのくらい僕が普段は絶対にしない会話でした。
 恐らく自分でもわかっていないと思います。だから無責任なのです。
 後からいくらでも自分の結論をコロコロ変えられるように話します。

 驚愕しましたけどね、納得もしました。政治家の孫!という感じの人でしたね。
 代々世間体だけを気にして生きているだけのことはあります。熟練の技ですね。
 人間関係がうまく行かないのは間違いなく本人のせいですが、それを人のせいにできる技も卓越したものがありました。
 問題をすり替えたり、自分がやらせていることなのに自分がやらされているような立場になろうとしたり、本当に上手に自分の立場を常に望む場所に置ける方でした。
 あれを死ぬまでやるなら安心して生きてなど行けません。

 「だから半世紀も同じことができたんだ」と。納得しました。

 僕は「自分こそが敵だったのだ」と自覚したあと、親が敵だと思ったり悪いやつがいると被害者になったり、そんなことはまったくありませんでした。敵なんか誰もいなかったんだ、と気づいてからは、それまで嫌悪していた友人のことさえ、ひとりひとりを知ることが楽しくなり、結果どんどん人と仲良くなっていきました。

 本当に段階を経て進んでいれば、そうでない人に出会ってもすぐわかります。

 事実そうでないならば、何を言っても「そこに本人がいる限り」説明で誤魔化すことはできないのです。